第79話 葬儀

 宴会の翌日、クミルを含めた男衆を中心にして、葬儀の準備が行われた。


 身内が居なかった三笠と違い、敏久が喪主になる。

 他にも異なる点が存在する。それは、ギイとガアの参列が認められた事だ。


 葬儀の準備は、村の男衆だけでなく、調査隊の助力を得る。

 その準備に、ギイとガアを参加させない事で、調査隊との直接的な接触を避けた。

 また、阿沼の計らいにより、全盲の僧侶が手配された。


 ギイとガアの取り扱いに関しては、これからも協議を重ねるのだろう。

 差し当たっては、現状の維持。所謂、元の生活を保証するのが、賢明かもしれない。


 何よりも、ギイとガアをさくらの葬儀に参列させてやりたい。

 それは、彼らに不自由が無い様と願った、さくらの想いを叶える為の行動であろう


 ギイとガアについては、準備の間を三堂家で隆と過ごす。準備を終えた後、家に戻りさくらの遺体と共に、別れの時を過ごす。

 そして、そのまま葬儀参列する予定になった。


 葬儀の準備が進められる間、敏久はひっきりなしに電話をしていた。


 本来さくらの様な、社会的な地位の高い人間は、密葬だけでは済まされない。


 秘書に命じ、関係各所に訃報を流している。

 そして信川村で葬儀を行い、別日に改めてお別れ会を行う予定で、段取りを進めさせている。

 それでも敏久が、直接電話をするべき相手は少なくない。


 その点で敏和は、幾分か負担が少なかろう。多少、部下から取り急ぎの連絡が入るが、準備の手伝いをするには問題ない。


 また洋子は、事前に準備していた、ギイとガアの礼服を持って、三堂家を訪れていた。


「ギイちゃん、ガアちゃん。これを、着てくれるかな?」

「これ、きう?」

「そうよ。サイズは大丈夫だと思うけど、念の為にね」

「ギイ、わかった」

「ガアも、わかった」

「良い子ね」


 洋子は園子の手を借り、ギイとガアの着替えを行う。


 ギイとガアが着たのは、子供用の既製品では無い。

 みのりに、ギイとガアのサイズを測って貰い、わざわざ仕立てたのだ。

 しかも窮屈に感じない様、ゆったりめに仕立てて貰った。


 流石に服は着なれたのだろう、礼服に関しては嫌がる様子はない。

 しかし、靴下は履くだろうか?


 さくらから、ギイとガアの様子を聞いていた洋子は、少し戸惑った。


「宮川さん。ギイちゃん達は、靴と靴下を嫌がると思うわよ」

「やっぱりそうですか。それなら仕方ないですね」

「ええ。さくらさんなら、笑って許してくれると思うわ」

「確かに、お母さまなら」


 靴下等については、三堂家に訪問した際も、園子からも指摘された。

 一応は用意した。だが、無理に履かせる必要はあるまい。

 そう考えた洋子は、自分の荷物と共に床に置いた。 

 しかし着替え終わったギイとガアから、予想外の言葉が飛び出した。


「ギイ、そのやつ、がんばうよ」

「ガアも。ばあちゃ、よおこぶ、がんばう」


 ギイとガアは、洋子の荷物の近くに有る、靴下を指差した。

 しかも、洋子の戸惑いを慮ったのか、笑顔を浮かべた。


 ギイとガアは、意味もなく嫌がった訳ではあるまい。

 もしかすれば、彼らにとっては、大切な事なのかもしれない。

 寧ろ、身体構造上の問題なら、無理をさせてはいけない。

 それを彼らは、さくらの為にと言う。


「無理はしなくていいのよ」

「そうよ、宮川さんの言う通りよ」

「ギイ、ばあちゃ、かんしゃ。ぎしき? それ?」

「ギイ、だめ。ちゃんと、ゆう」

「ガア? ことば、わかりゅ?」

「ん。クミリュ、いってた。ぎしき、かんしゃ、すりゅ。たいせちゅ」

「そ、たいせちゅ」


 ギイはガアに、言葉の意味がわからないと指摘され、首を傾げる

 変わりにガアが説明し、ギイが明るく同意する。

 愛らしさも相まって、周囲は柔らかな雰囲気に変わる。


「でも、大丈夫なんですか?」

「たきゃし。ギイ、だいじょぶ、ない。すこし、がんばう」

「ガアも、だいじょぶ、ない。すこしだけ、むりにゃい」


 満面の笑みで浮かべて、ギイとガアは答える。そんな彼らの好意を、誰が否定出来るだろうか。

 きっとこんな時、さくらならこう言うのだろう。


「やってごらん。辛くなったら、裸足になりな」


 ギイとガアも、同じ想像をしたのだろう。

 皆が目を合わせる。そして、同調したかの様に、笑みが零れた。


 ☆ ☆ ☆


 夕食を食べた後、ギイとガアは家に戻る。そして今日から戻るのは、桑山家でなくさくらの家だ。

 いつものように、外で足を洗うと、玄関へと向かう。


 人の出入りが有る為、玄関は開け放たれている。家の中から、声が聞こえる。

 その瞬間、ギイとガアは違和感を感じた。


 さくらが不在の時は、みのりが居てくれた。

 玄関を開けると、さくらではなく、みのりが出迎えてくれる事もあった。

 それでも家から、さくらの存在を感じていた。

 

 ここはもう、さくらの家では無い。

 

 そう感じたのは、直感的な事なのか。それとも匂いで、判断したのか。

 少なくとも、クミルの匂いならしたはずだ。感じないのは、さくらの匂いだろう。


 もう、さくらはどこにもいない。


 あの、安心する匂いが家からしない。それだけで、現実を突き付けられる。

 張り詰めていた気持ちが切れる。足が震え立ち竦み、一歩も動けなくなる。


「おっ! ギイ、ガア、こんなとこで、どうした?」


 それは、偶然だった。ギイとガアの背後から声がする。

 声の主から、安心する匂いと、良く似た匂いを感じる。

 

 ギイとガアは、声の主が誰かを確認する事なく振り返ると、思い切りしがみついた。


「おい、どうした?」


 声の主は、ギイとガアの表情を見て、気がついたのだろう。


「おい、大丈夫か? ちょっとだけ、我慢できるか? 直ぐ横になれる所に、連れてってやる!」


 声の主は慌てる様に立ち上がると、ギイとガアを両腕に抱えた。


「親父! 親父! ちょっと手伝ってくれ! ギイとガアが、大変なんだ!」


 その声に反応し、居間の襖が勢い良く開く。


「敏和。ギイとガアが、どうした?」

「玄関で、震えてたんだ。休ませてやらなきゃ!」

「わかった。布団を敷くから、ゆっくり連れて来い。あんまり揺らすなよ」

「わかってる」


 敏和が、ギイとガアを運ぼうと、足を踏み出した時だった。

 小さな手が、体を叩いているのを、敏和は感じた。

 敏和は、廊下で立ち止まると、ギイとガアの顔を、順に覗き込む。


「大丈夫なのか?」

「ギイ、だいじょぶ」

「ガアもだいじょぶ」


 ギイとガアの答えを聞き、両者をゆっくりと下ろす。


「ばあちゃ、におい、しない」

「ガア、ばあちゃ、においすき」

「そっか、暫く入院してたからな。それで不安になったのか。でもお前ら、落ち着いたのか? 俺で良ければ、一緒にいるぞ? 横になれよ」

「ギイ、ばあちゃ、そばいたい」

「ガアも、ばあちゃ、そばいたい」

「そっか。まぁ、もう少し落ち着いたら、飯でも食おうぜ」

「ギイ、たべた」

「ガアもたべた」


 やがて、ギイ達を連れて来ない事に、不安を感じた敏久が、寝室から飛び出して来る。

 敏和が事情を説明すると、敏久は胸を撫で下ろす。


「コロコロと、環境が変わってるからな。特にこの子達は、感受性が豊かだと聞いている。敏和、落ち着くまで、一緒に居てやれ。ギイとガアも、それで良いかい?」

「としかじゅ? ばあちゃ、におい、にてう」

「ガアも、としかじゅ、いっしょ。すこし、あんしん」

「そうか、良かった。こいつは君達の兄だ、幾らでも我儘を言って良いんだよ」

「ははっ、ギイ、ガア! 少しが、いっぱいになる位、一緒に居てやるからな!」


 ギイとガアを敏和に任せ、敏久は仮眠を取る為に、客間へむかう。

 敏和は、ギイとガアをさくらの遺体が眠る部屋へと連れて行く。

 そしてギイ達に、さくらとの思い出を語った。


 ギイ達は、楽しそうに敏和の話しを聞いた。また拙い言葉で、自分達の事を語る。

 やがてクミルが加わり、さくらの思い出話に花を咲かせた。


 日付が変わる頃に、ギイとガアが舟を漕ぎ始める。

 ギイとガアは、さくらと一緒に居たいはず。

  

「交代しよう、敏和。ギイとガアを、寝かせてやりなさい」

「あぁ、わかった。クミル、お前もだぞ!」

「としひささん。わたし、だいじょうぶ。せんせいのとき、やった」

「クミル。君の気持ちは嬉しい。でも、頑張るのと、無理をするのは違う」


 そして敏久は、優しくクミルの肩を叩く。


「今日は、準備を頑張ってくれたんだ。もう、充分だよ」


 その時、クミルの中に薄っすらと、感情が流れ込む。

 敏久と敏和は、ギイ、ガア、クミルの三名を、既に受け入れている。その言葉は、優しさで溢れている。

 そして、歩み寄ろうとしてくれている。だから、素直に受け止められる。


 合理的ながらも、優しさを持つ敏久は、母のさくらと良く似ている。

 さくらより、言葉は柔らかい。しかし、さくらに言われたと、錯覚してしまう。


 また、敏和の温かな感覚は、さくらと良く似ている。

 ギイとガアが、安心したのも、それが大きいのだろう。


 彼らの存在が無くても、村の人達が居る。

 これからの行く末について、それほど大きな不安は無かった。

 しかし彼らの存在は、大きな安心を与えてくれる。


 クミルは、ありったけの感謝を籠めて、深々と頭を下げた。

 そんなクミルに、敏久は言う。


「直には無理だと、わかってるよ。でも、甘えて欲しい、我儘を言って欲しい、頼って欲しい、一人で抱えないでほしい。家族なんだから」

「はい」


 そして、敏和とクミルで、ギイとガアを運ぶ。

 目覚める頃には、日が昇り始める。


 ☆ ☆ ☆


 厳かな雰囲気の中、ギイとガアは周りに習い、両手を合わせた。

 そしてさくらの旅に、幸せが有る事を願う。


 葬儀が終わる頃には、火葬場の準備が整っている。

 これが本当に最後の別れとなる。


 息子の敏久、妻の洋子、孫の敏和がさくらの棺に言葉をかける。

 そして、クミル、ギイ、ガアがその後に続いた。


「お袋、ありがとう。後の事は、俺に任せろ」

「お母さま、ありがとうございます。家は私が守って見せます」

「ばあちゃん。俺はまだまだだけど、親父の力になれる様に頑張るよ」

「さくらさん。おん、かえせなかった。せめて、おいのりします。よい、たびたちを」

「ばあちゃ、いってあっしゃい。まあ、あおうね」

「ばあちゃ、げんきえね。まあ、ごはんをたべよおえ」


 ギイ達は笑顔を作り、棺の中で眠るさくらに手を振った。

 そして、村人達がそれぞれに声をかけていった。

 

「さくらぁ。俺も直ぐに行くからな。元気で待ってろよ」

「さくらさん。向こうでまた会いましょう」


 住人達が、さくらにかけたのは、別れの言葉ではない。再会の約束である。


 さくらとの付き合いは、五年位しかない。そんな短い付き合いだが、多くの言葉を交わした

 だからこそ、語り尽くせない思い出がある。


 また会おう、そんな言葉が告げられ、最後は隆の番となった。


「さくらさん。僕に光が戻ったのは、さくらさんとこの村の皆さんのおかげです。あの時、僕にかけて下さった言葉は、絶対に忘れません。ありがとうございます」


 隆は、感謝の言葉を述べる。

 別れを終えると、棺の蓋が閉じられて、出棺となる。


 火葬場には向かうのは、さくらの親族。敏久の意向で、クミル、ギイ、ガアも同行する事になった。


 読経から別れ、そして骨上げへと進む。未体験の事で、ギイ達は戸惑っていた。

 骨上げの際、僧侶が語った言葉に、ギイ達は首を傾げた。


「これ、ばあちゃ? ちいさいね?」

「ばあちゃ、ちがうよ。ここ、いないね」


 ギイ達の言葉は、涙を誘う。だが、決して涙は流さない。

 粛々と葬儀が終わり、親族とギイ達は集会所へ向かう。

 

 集会所では、宴会の準備が整えられている。

 身寄りのいなかった三笠とは違い、精進落としでの挨拶は敏久が行った。


「こんなに温かい方々に囲まれて、母は最期の時を迎える事が出来ました。常々、母は私に語ってくれました。後悔しない生き方よりも、後悔しない最後を迎えなさいと。その言葉の意味が、今ならわかるような気がします。皆さんのおかげで、母は笑顔で旅立つことが出来たでしょう。母の旅立ちを祝して、献杯!」


 信川村には、さくらの思い出が詰まっている。

 忘れ去れた村、姥捨て山と揶揄された信川村は、さくらによって生まれ変わった。


 この日、さくらの思い出を語り合い、宴会は夜通し続いた。

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