第78話 感謝

「十月二十三日、午後四時十五分。宮川さくらさんの、死亡を確認しました」


 貞江は、最後まで勤めを果たした。

 信川村の住民全てが集まる中で、貞江が一番冷静であった。


 貞江は、死亡宣告をする際、個人を尊重しフルネームを告げる。

 それに呼応して、診療所のあちこちから、すすり泣く声が聞こえる。


 住人達は皆、死を受け入れたつもりだった。しかし、さくらの死だけは、受け入れ難かった。


 死亡を告げられてから、僅かに時間が経過する。誰もが俯く中、ギイとガアが立ち上がる。

 そして、詰め掛けていた住人達を掻き分けるようにして、ギイとガアは病室を飛び出した。


 五分も経たずに、ギイとガアは戻ってきた。彼らの手に有ったのは、日本酒の一升瓶であった。

 そしてギイとガアは、住人達に日本酒を差し出す。


「ないてうの、ばあちゃかなしむ」

「ばあちゃ、たびだちゅの、おくりゅ」


 悲しんでるだけじゃ、安心して眠ってもらう事は出来ない。

 自分達は大丈夫、そう伝えなきゃいけない。


 それは奇しくもギイとガアが、三笠の死に直面した際、さくらから学んだ事であった。


 日本酒を差し出し、涙をボロボロ流しながら、ギイ達は笑顔を作ろうとする。

 そんな彼らを見れば、いつまでも悲しんでなど居られまい。


 ギイ、ガア、クミルが、どれだけ奮闘したか、知っている。

 引っ張られる様に、自分達に何が出来るかを考えた。


 同時に羨ましくもあった。

 これだけ多くに支えられて旅立てるなら、人生は捨てたもんじゃないと思えた。


 さくらが、何の為に生にしがみつこうとしたのかを、誰もが知っている。

 寿命だから仕方ない。それをさくらは、覆して見せた。


 真似など出来る気がしない。

 しかし年老いて尚、抗う事の大切さを教えてもらった。


 人生なんて、必要とされてる内が花さ!

 格好つけてないで、足掻きなよ!


 そんな声が聞こえる気がした。


 崩れ落ちる様にして、涙を流していた孝則が立ち上がり、ギイとガアの頭を乱暴に撫でる。


「お前達の言う通りだ。さくらを盛大に送り出してやらねぇとな。おい、みんな! 祭りの準備だ! 村の大恩人が、旅立つんだ! しっかりと、祝ってやろうぜ!」


 皆の瞳からは、涙が止まらない。

 しかし、別れの儀式を準備するために、動き出した。


 葬儀の準備は、着々と進められていく。夜になり、さくらの親族が到着する。

 そして通夜に代わる、宴会が行われた。


 宴席で、息子の宮川敏久を筆頭に、親族は一人一人に頭を下げた。


「母がお世話になりました。ありがとうございます」


 親族が、親の死に目に会わないなんてと、非難する者はいない。

 さくらなら、自分より仕事を優先しろと、言うはずだから。

 それでも、仕事を切り上げて、葬儀に間に合う様に駆けつけたのだ。

 充分であろう。


 最後に親族は、クミル、ギイ、ガアに深々と頭を下げた。


「クミルさん。母の面倒を見てくれて、ありがとうございます。母から、貴方の事は聞いております。良かったら、あの家はそのまま使って下さい。母が喜ぶはずですから」

「あ、あの。わたし、なにも、できなかった。さくらさん、ちからに、なれなかった」

「何を仰います。あなたは誠心誠意、母の看病をして下さいました。ありがとうございます」


 そう言って深く頭を下げる敏久に、クミルは返す言葉を持たなかった。

 続いて敏久は、ギイとガアにも話しかける。


「ギイさん、ガアさん。あなた達のおかげで、母は笑顔で旅立つ事が出来ます。ありがとうございます」

「ばあちゃ、しやぁせ?」

「ばあちゃ、ねむえう?」


 種族の壁を越え、声帯を変化させてまで、日本語を話せるまでに至った。

 口から出る言葉は、子供の様に拙い。しかし気持ちは、これ以上もないほどに伝わる。


「母をばあちゃと呼んでくれるんですね。なら、私はあなた方の父です。あなた方が幸せに暮らせる為に、私と妻、そして息子が尽力します」

「チチ?」

「ハハ?」

「そうです。これから、あなた達は私達の息子です。遠慮なく何でも言って下さい」

「ありやと、おああいあす」

「ありやと、おやいやす」


 敏久はギイ達に笑顔を向けると、再びクミルの方へ体を向けた。


「あなたの事情は、色々と聞いております。クミルさん。準備が整ったら、あなたと養子縁組をさせて頂こうと考えております」 


 その言葉と共に、クミルの中へ、敏久の感情が薄っすらと流れ込んでいく。


 敏久から感じたのは、亡き母の願い。

 そう、死の淵にあっても、さくらは自分達の事を心配してくれていた。


 この村には、隆を除いて老人しかいない。

 隆は、容体がよくなれば、元の生活へ戻るだろう。

 だが、クミルは違う。日本人でも、就労ビザを持った正式な渡航者でもない。


 そんな曖昧な存在であるクミルは、老人達を全て見送った後、独りになる。

 記録上、信川村の住人は、存在しない事になる。


 その時、不法入国者であるクミルは、どうなるのだろうか。

 ゴブリンの寿命を考えれば、その頃にはギイ達も居ないはずだ。

 その事を考え、さくらは手を回していた。


 さくらの想いと、それを叶えようとする敏久の想いを感じ、クミルの瞳から涙が零れた。


 ☆ ☆ ☆


 一方、独り診療所に残り、片付けをしていた者がいた。

 

 遺体の処置を終えた貞江は、さくらに改築して貰った診療所で、さくらが用意してくれた設備を、静かに点検していた。


 誰よりも悔しい思いをしていたのは、貞江ではなかろうか。


 医者だから、泣いてはいけないと思っていた。

 最後まで、全力を尽くそうと思っていた。

 絶対に助けると、約束した。

 運命を捻じ曲げても、笑顔にしようと決めた。


 でも、救えなかった。結局、何一つ出来なかった。

 情けなさだけが残った。


 後、どれだけ頑張ったら、救えただろうか。

 他に、どんな知識が有れば、良かったんだろうか。

 どんな設備を揃えておけば、良かったんだろうか。

 どんな、どんな、どんな……。


 こうやって、大切な命が、零れ落ちていく。

 

「さくらさん。ありがとうなんて、言わないで。私、駄目だったのよ」  

 

 それが精一杯の言葉だった。


「そんな事は有りません。貴女がいたから、我々は母と別れが出来たんです。貴女の様な方が、母の主治医で良かった」


 それは、あり得ないはずの言葉だった。

 今頃は、さくらを送る為の宴会に、参加しているはずなのだ。

 

「宮川さん……、どうしてここに?」

「旦那さんに、聞きました。貴女は多分ここだろうと」

「何をしに?」


 口にした瞬間、意味の無い問いかけをした事に、貞江は気がついた。

 開口一番に、お礼を言って下さった。それ以上、何の意味が有る?

 わざわざ探しに来て、不満を仰る方ではないはずだ。


 貞江の様子を見て察したのか、敏久は柔らかな表情を作ると、深々と頭を下げる。


「母の事、ありがとうございます」


 貞江にとってそれは、聞きたくない言葉だった。

 己の無力を感じ、矮小さを思い知らせていたのだ。感謝の言葉は不要だ。

 しかし、敏久は言葉を続ける。


「これからも私の子供達を、よろしくお願いします」


 貞江は、言葉の意味を直に理解出来なかった。僅かな時間、呆けていた。


 やがて、さくらと敏久のやり取りを、思い出す。

 貞江は、あの場所にいて、話しを聞いていたのだから。


「子供達って、ギイちゃんと、ガアちゃん……」

「ええ。クミルは、正式に養子として、迎えます。私の後継者として、頑張って貰うつもりです。ギイとガアは、証が無くても私の子供です」

「そう……ですか……」

「先生には引き続き、あの子達の主治医として、腕を振るって頂きたい」

「私で、良いんですか?」

「貴女に、お願いしたいんです」


 それは貞江を、後悔の渦からすくい上げる言葉だった。


 敏久は、貞江の役割を、敢えて明確にした。

 診療所に入り、貞江の様子を見た瞬間、その必要が有ると感じたからだ。


 仮に、今回の件を悔いた貞江が、引退を決意しても、変わりの医者を探す事は、敏久なら造作も無い。

 しかし、信川村において、貞江の変わりが誰に務まるだろうか。


 貞江は、まだ必要な人材だ。それに、とても優秀だ。

 後継者が育つまで、頑張って欲しい。


 形は違えど、やはり親子なのだ。さくらと同じ様に、役割を与えてくれる。

 

 さくらとの約束を、果たす事は出来なかった。

 しかし、まだ必要とされるなら、さくらの様に最後まで足掻こう。


 貞江は、ゆっくりと首を縦に振る。

 そして、敏久は笑顔を浮かべた後、宴席に戻っていった。

 

 ☆ ☆ ☆


 家では、さくらを取り巻く人々が、顔を合わせてさくらの話題で盛り上がる。

 これは、祭りの始まり。 


 宴会は小一時間程で終わり、それぞれが家に戻っていく。

 そして日が開ければ、さくらを送る為、荘厳な儀式の準備へ移る。

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