第72話 やつれて

 さくらの体調悪化は、住人達に不安を与えた。

 何故、人は不安になるのか。それは、己の力が及ばない事を、理解しているからではなかろうか。


 医者ではない。当然に、医療技術やそれに伴う知識がない。有していると言えば、古くから伝わる民間療法程度の知識だ。

 そんな物が、役に立つとは思っていない。だからといって、このまま黙っている事は出来ない。

 それでも、何かせずには居られない。

 

 そしてある者達は、好物を絶ち、祈りをささげた。


「さくらさんは、大丈夫なのかしら」

「くたばる訳ねぇだろ! さくらだぞ!」

「そうよね。元気になるわよね」

「ったりめぇだ! 殺しても死にそうにねぇ、化け物みてぇなババアだぞ! 病気如きに負けやしねぇ!」

「化け物は失礼よ! でも絶対、元気になるわよね」

「華子。俺はぁ、暫く酒を呑まねぇぞ」

「あら珍しい。でも、いいわね。私も付き合うわよ」


 ある者達は、体に良い食材を入手する為に、山へと向かった。


「あれはなぁ、精がつく物を食わねぇから、いけねぇんだ」

「本当かよ、師匠」

「疑ってんのかてめぇ!」

「そこまでは言ってないだろ?」

「正一、お前も付き合え。自然薯を取りに行くぞ!」

「自然薯? 山芋って事か?」

「山芋じゃねぇ、自然薯だ!」

「呼び方なんて、どうでもいいだろ!」

「うるせぇなぁ! 自然薯ってのは、滋養強壮、食欲増進なんて、効果が有るんだ。それに、免疫力を高めるって言われてんだ。いいか、漢方薬にも使われてんだぞ!」

「すげぇな! それをさくらさんに、食わせるのか?」

「そうだ! 口をこじ開けて、流しこむんだ!」

「馬鹿じゃねぇのか、師匠。それじゃあ、喉が詰まっちまうだろ!」


 ある者達は、体力を使わせる事を危惧し、敢えて顔を合わせなかった。


「村長、手が止まってますよ」

「そうか、わりぃな」

「心配ですか?」

「あぁ? 何がだよ!」

「さくらさんの事ですよ」

「あの糞ババアの事なんて、誰が心配するんだよ!」

「そうやっていつも、喧嘩になるんですよね。お見舞いに行って来ればいいのに」

「うるせぇな! 俺は忙しいんだよ!」

「それで、私に丸投げしてる書類仕事をしてると」

「なんか文句でもあんのか、佐川ぁ!」

「いいえ」

「あいつはなぁ、俺より先には逝かねぇよ!」


 それぞれがさくらを思い、行動を起こす。

 そんな中、主治医の貞江は、医療関係の知人に連絡を取った。

 そして、さくらの症状を克明に語り、意見を求めていた。


「う~ん。ちゃんと診ないと、はっきりした事は言えませんけどね。風邪じゃないんですか?」

「確かに気管支炎では、無さそうですね。でも、体調の急変が気になるな」

「もう一度、診察されては如何ですか? 悪化してる可能性は、充分に考えられますし」

「お聞きした限りでは、風邪で間違いないと思います。無礼を承知で言わせて頂きますが、怖いのは合併症です。特に高齢者の場合は、初期症状が出辛い」


 どの意見も、貞江の想定を超えるものが無かった。言い換えれば、貞江の判断は決して間違いだとは、言い切れない。

 だからこそ、貞江は深く後悔をしていた。

 

 症状が顕在化する前に対処出来ていれば、体調悪化を防げたかもしれない。

 せめてあの時、無理にでも診療所に移して、入院させれば良かった。

 その考えは、貞江を苛んでいた。


 ☆ ☆ ☆


 一方さくらの家では、クミルが貞江の指示に従いマスクを装着し、感染に備えた上で看病を行っていた。

 クミルは、地球で生まれ育ったのではない。生活環境が異なれば、体が有する免疫システムも異なっておかしくない。

 例えば、風邪のウイルスが存在しない世界であれば、風邪に対する抵抗力が、体内で生成する事はないだろう。

 

 念には念を、貞江の判断が功を奏したのだろう。

 さくらの疾病が確認されてからの、潜伏期間も含めて換算しても、クミルに罹患した兆候は見られなかった。

 だからこそ、本来ならば避けるべきであった、さくらの看病が続けられた。

 

 それでも住人達には、脆弱に見えたのだろう。

 さくらの見舞いに訪れた誰もが、クミルに語った。


 今は大丈夫でも、油断はするな。さくらの事は、自分達に任せろ。


 それでもクミルは、さくらの看病を他人に譲ろうとしなかった。

 それは、母を失った事を思い出し、今度は失うまいとしているのか。それとも、大恩の有るさくらに、尽くそうと考えているのか。

 固執した理由が何かは、クミルにしかわかるまい。もしかすると、クミルも理解していない感情かもしれない。


 主治医である貞江の想定から外れ、さくらの症状は悪化の一途を辿った。

 咳は止まらず、更に酷さを増す。 


 食事が満足に取れなければ、体力は低下していくだけだ。

 クミルは、貞江から教わったレシピだけでなく、住人達から聞いたレシピを試した。


 美味しく、食べやすく、且つ栄養価の高い料理。最初の内は、美味しいと言って、さくらは料理を食べていた。

 しかしさくらは、徐々に食事自体を避ける様になっていった。


「さくらさん。けさは、たべるの、できますか?」

「悪いね。せっかく作ってくれたのに」

「すこしだけ、たべてほしい。さだえさんから、いわれてる。たべないと、びょうきにかてない」

「わかってるんだけどね、受け付けないんだ」


 恐らく今のさくらには、短い会話すら辛いのだろう。

 直ぐに激しく咳き込み、クミルに背中を擦られる。そしてクミルに支えられ、ゆっくりと体を寝かせる。

 横になったからといって、咳は止まらない。それは、さくらを著しく痛めつける。

 

「さくらさん、おくすりだけでも、のんでほしい」

「ああ」


 咳が邪魔して、固形物が喉を通らない。故に、食事が流動食へと変わる。徐々にそれすらも、喉を通らなくなる。

 食事を口に運ぼうとしても、薬を飲ませようとしても、結果は同じだ。激しい咳が邪魔をし、液状の物すら上手く飲み込めなくなっていく。


 食事が出来ている間は、まだ良かった。

 食事の量と比例し、加速度的にさくらの抵抗力が失われていく。それは、負の連鎖を生み出していく。

  

 問題は食事だけではない。

 風呂を沸かして貰えば、自分で入る事は出来た。食事を用意してくれれば、食卓へ着く事も出来た。

 無論、家事の一切をクミルに任せていても、最初の内はある程度の事は出来ていた。


 日を追う毎に、起きていられる時間が少なくなっていく。

 病は確実に、さくらの体を蝕んでいった。

 

 ☆ ☆ ☆


「やっぱり、直ぐに入院させましょう」


 医師達の意見を求める迄もなく、貞江の心は決まっていたのだろう。

 貞江は直ぐに車を動かし、さくらの家に急ぐ。


 ただこれまで、何故さくらの体調変化に、誰も気が付かなかったのか。それは、さくらが平然とした顔で、何事も無い様に振舞っていたからだろう。


 他者の感情が漠然とわかるクミルでさえ、さくらの変化には気が付かなかった。それはさくらが、己すら騙して生活を続けていたからであろう。


 熱は出てない、咳なんか出るはずがない、怠さなんて微塵も感じない。そんな思い込みで症状が緩和するなら、もはや自己暗示など優に超えている。 

 それは凄い事なのだろう。しかし、褒めれれる行為だとは言えまい。


 弱音を吐かないから、内に歪が生じている事に気が付かない。若い内なら、それでも何とかなった。寧ろ、何とかしてきたというのが、さくらに限っては正確なのだろう。


 だが、既にさくらは、その区分に含まれない。己を過信すればどうなるか、さくら自身にもわかっていたはずだ。

 歪みを放置すれば、様々な現象を引き起こし、建物でさえも倒壊する危険が有る。人間は建物じゃない、もっと繊細に出来ているのだ。


 さくらが現役から退いた大きな理由は、夫の死去である。ただ、それだけの理由でさくらが、引退を決意するだろうか。

 年齢上、無理が利かない事がわかっていたのだ。だから、息子に後を託した。


 それなのに、無理をした。それは何故なのか。

 ギイ、ガア、クミルの存在があったからだろう。信川村と温かい心を持った住人達が居たからだろう。

 

 騒動に始まり、様々な変化が村に訪れた。それに対処する為に、さくらは陰ながら尽力した。それ以前に、信川村を後世に残す為、働き続けた。

 それは、ギイ達に平穏を齎せる為、村の住人達が安心して旅立てる様にする為だ。


 もう、とっくに限界は訪れていたのかもしれない。しかし貞江は、それを認める事が出来なかった。

 

「さくらさん、入院しましょう。ここでは、適切な処置が出来ない」

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