八章 病魔の果てに

第71話 感じる違和感

 隆が信川村に戻って来た。

 既に一定の効果が出ている事から、医師と連携しつつ、信川村で継続的なリハビリテーションを行う事に、両親は反対しなかった。

 ある一点を除いて。


 現状で隆は、中学校を休学している。

 将来的な事を考えれば、何かしらの手を打つべきだ。両親がそう考えるのも、致し方ないだろう。

 ただし、隆の症状がどの様に変化していくか、医師でも断言は出来ない。


 もしかすると、普通の学校に通える様になるかもしれない。

 それとも特別支援学校の様な場所で、自身の体を社会生活に適応させる工夫を、習得する必要が有るかもしれない。

 これ以外にも、選択肢は存在するだろう。


 どちらにしても、両親や祖父母、また村の人間達が提示出来るのは、あくまでも選択肢のみ。

 いずれかを選択するのは、隆である。また、いずれも選択しない事さえ、隆の自由であろう。


 この問題について、当事者である隆、そして両親と祖父母、さくら、それに江藤を加えて、対話を行った。


「まぁ暫くは、リハビリに専念するのが良いんじゃないかい? 勉強なんて、少し遅れようが取り戻せるさ。なにせ、隆は賢いんだから」

「ご両親の心配は尤もです。しかし私は、さくらさんの意見に賛成です。今は、彼が多くを選択出来る様に、下調べをするのが適切でしょう。協力は惜しみません」


 さくらと江藤の発言に、両親と祖父母は頷いた。

 そして、将来的な進路を検討しつつ、選択肢を定めていく事になった。


 こうして隆が信川村に戻ってから、一週間が過ぎた。

 順調にリハビリが進む一方で、小さな異変が起きていた。


 ☆ ☆ ☆


 東京で受けた検査では、異常が無かった。医師に指摘されたのは、加齢による血圧の上昇くらい。

 極めて健康体、それどころか体年齢は、実年齢より二十以上も若かった。


 だけど、最近少しずつ、倦怠感を感じる様になった。歳も歳だ、仕方が無いだろうね。それに、ここ数日は咳が酷い。

 少し辛いけど、今は倒れている場合じゃない、あの子達の為にもね。

 

「ごほっ、ごほっ、ぐぅおほっ、ぐぉっほほ、がはがはっ、がはぐぅあはっ」

「さくらさん。せき、ひどい。だいじょうぶ?」

「心配要らないよ。ごほっ。貞江さんに連絡したからね」

「でも、しんぱい。わたし、なにか、できない?」

「クミル。ごほっ、ぐぉっほ。あんたには、ギイとガアの面倒を頼むよ。あの子等を、暫くあたしに近づけちゃ駄目だよ」

「はい。でも、ぎいとがあ、すごくさびしがる」

「だから、あんたに頼んでるんだ。それに、隆も居るだろ?」


 咳が続く、それは老いた体に酷く負担をかける。しかし、熱は出ていない。だから、直ぐに治まるだろう。

 さくらはこの時点で、自分の体に起きた異変を、ただの風邪程度に考えていた。

 

 気にかけていたのは、自分の体よりも、子供達の事。ギイとガアは、人間ではない。風邪のウイルスが、体にどの様な影響を与えるか、定かではない。


「これは、ごほっ、ごほっ。みのりか園子さんに、相談しなきゃ駄目かもね」


 隆の影響だろう、ギイとガアが、さくらの布団に潜り込まなくなっていたのは、幸いだった。

 しかし何処かの家で、ギイとガアを預かってもらう事も、視野に入れるべきだろう。


 桑山の家なら、みのりと孝道が居る。三堂の家には、友人の隆が居る。どちらでも、ギイとガアは楽しく過ごせるだろう。

 それに、どちらの家も引き取る事に、反対をしないはずだ。


「ぎいとがあのこと、さんせい。でも、わたし、どこにもいかない」

「あんた、案外強情だね」

「さくらさん、まけない」

「ははっ、そうかい。ごほっ、ぐぅおほっ、ぐぉっほ。ったく、好きにしな」

「さくらさん、くすり、のむ」

「ありがとうね、クミル。ごほっ、ごほっ。それより、ギイ達を連れて行ってきな」

「はい、そうする。さくらさん、かじしない、やくそくして。おとなしくする、やくそくして」

「わかってるよ。ごほっ。後は頼むね、クミル」

「はい、いってきます」


 ギイとガアを伴いクミルは、三堂家へ向かう。それから数時間後、貞江がさくらの家を訪れた。

 

 問診をし、聴診器を当てる。

 そして、さくらの主治医である貞江の診断は、風邪であった。


「薬は三日分です。お昼までには、お持ちします。今日の昼からは、市販の薬と切り替えてください」

「ごほっ、わかったよ」

「往診の予定も、三日後に入れて起きます。その間、少しでもおかしいと思ったら、直に連絡下さいね!」

「あぁ、悪いね」

「いつもお忙しそうにしてらっしゃるんですから、たまには体を休める事も必要ですよ。なんなら、入院します?」

「やだよ、ごほごっほ。だって、あんたに迷惑をかけるじゃないか」

「その位、いいんですよ。倒れてからじゃ遅いんですから」

「酷くなるようなら、考えるかね」

「そうして下さい。後、お仕事は駄目ですから! 次の往診で治ってなかったら、即入院ですからね!」


 流石のさくらも、主治医の言葉には逆らえまい。珍しく素直な態度のさくらに、貞江は苦笑いを浮かべる。

 そんなさくらが、ふと神妙な面持ちに変わる。


「わかったよ、所でさ」

「ギイちゃん達の事ですか?」

「あぁ、よくわかったね。ごほっごほっごほっ。最近の内科医は、メンタルケアもやるのかい?」

「何を仰ってるんです? 全く、直に茶化すんですから!」

「ごほごほっ、いや悪かったよ」

「お母さまに、相談しておきます。間違いなく、喜ぶと思いますよ。園子さんと、取り合いになるんじゃないですか?」

「それはそれで、面倒だよ」

「その辺は、お任下さい」

 

 診察を終えると、貞江は診療所に戻る。

 再びさくらの家を訪れた時には、クミルが戻っていた。余程、さくらが心配だったのだろう。

 貞江は、さくらの病名を伝えると共に、感染予防の注意事項を、クミルに伝える。


「いい? あなたも風邪引いたら、誰が看病するの?」

「ちゅうい、する。だいじょうぶ」

「慎重にね! 本当は、あなたが看病するのは、反対なんですからね!」

「さだえさん、なぜ?」

「あなたの場合、抗体が有るかわかってないのよ! だから、マスクをつける! うがいと手洗いを忘れない! 絶対だからね!」

「こうたい、よくわからない。でも、いわれたこと、まもる」

「そうして頂戴」

「さだえさん、わたし、なやみある。さくらさん、しょくじ、なに、いい?」

「そうね……、後でさくらさんのスマホに、レシピを送るわね」

「はい。みせて、もらう」

「でも、こうなると、あなたのスマホも必要ね」


 貞江はクミルに薬やマスク等を渡すと、念の為にと昼ご飯の用意をしてから、診療所に戻った。

 その後、江藤に連絡して詳細を伝えた後、スマートフォンを用意する様に依頼する。

 次に自宅に連絡を入れ、みのりに事の詳細を話した。


「そうね。うちで引き取るのが、良いんじゃない? だって、咳してるさくらさんと、一緒に居たんでしょ?」


 みのりの発言は、尤もだろう。

 数日とはいえ、咳き込んでいるさくらと、同じ家の中で生活してきたのだ。飛沫感染している可能性は、充分に考えられる。

 貞江が近くに居た方が、ギイとガアも安全だろう。


「ギイちゃんとガアちゃんには、私から上手く言っておくわ。正一さんにも、私から連絡しておくわね」

「すみません、お母さま」

「いいのよ。どうせ暇なんだし」

「そんな、暇なんて。家事をお任せしてるのに」

「ふふっ。こんな時くらい、私を頼りなさい」

「ありがとうございます、お母さま」


 貞江の電話を切ると、みのりは直ぐに正一のスマートフォンに連絡を入れる。

 事情を話すと、正一は直ぐに自宅へ戻り、ギイとガアを電話口に出してくれた。 


「さくらさんは、少し忙しくなっちゃったみたい。だから、さくらさんの邪魔にならない様に、少しの間、わたしと一緒に居ましょ」


 さくらの為と言えば、ギイとガアは喜んで頷く。

 少し狡いかもしれない。だが心優しいギイ達に、余計な心配をさせるよりは良い。

 また前回、さくらが検査で東京に行った時とは、状況が異なる。直ぐ近くにさくらが居る、それだけでギイ達の不安は減るはずだ。


 そして、夕方近くになり、正一がギイとガアを桑山の家へ送ってくる。

 明るく出迎えたみのりに、ギイとガアは飛びつく。


 ただの風邪だ、薬を飲んで、三日経てば治る。ギイ達を始め、村の連中に移さない様に注意すればいいだけだ。

 言われた通り、三日間は自宅で大人しくしてよう。それで、快方に向かうはずだ。


 その時のさくらは、そう信じていた。

 貞江とクミルを始めとした、村の住人も同じ様に考えていた。


 しかし皆の予想に反し、病はじわじわとさくらの体を侵食し、体力を奪っていく。

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