第70話 奇跡が起きる時

 ある夜、隆は一枚の絵を祖父母に見せた。

 いつもの抽象的な絵ではなく、デッサンに近い。また、風景ではなく人物を描いていた。


 隆が描いたのは、クミル、ギイ、ガアの三名。それを見た正一は、言葉を失い唖然とした。

 そして、園子はおずおずと問いかける。

 

「隆。お前、クミル達が見えているの?」


 それだけ上手く描かれていたのだ。誰が見ても、それがクミル、ギイ、ガアであると、断定できる程に。


「いや、違うよおばあちゃん。ギイさんとガアさんは、体を触らせてくれるんだ。だから、どんな姿をしているのか、何となくイメージ出来た」

「そんな事が有ったの? それで、隆はどう思ったの?」

「別になんとも」


 クミルには驚かないはず、何せ同じ人間なのだから。問題は、ギイとガアであろう。普通なら、驚くだけでは済むまい。

 しかし、隆はあっけらかんとした様子で、首を横に振った。


 ギイとガアの存在を知っても、隆が何らかの精神的なダメージを受ける事は無さそうだ。

 隆の様子を見て、一先ず正一と園子は胸をなでおろす。


 しかし、まだ大きな問題が残っている。ギイ達の存在を、外の人間が知ったのだ。

 何の為に、調査隊がいつまでも駐留し、村の出入りを監視していると思っている。

 ただ、誤魔化すにはもう遅すぎる。実際に、隆はギイとガアを認識しているのだ。


 最悪の場合は、隆を村から出さない様にする可能性も有るだろう。その方がよっぽど、隆にとってマイナスになるはずだ。

 

「ギイさんとガアさんが、多少僕らと違う存在でも、温かい心を持った存在には、変わりがないでしょ? 僕の目が見えていたら、拒絶しちゃったかも知れないけどね」

「隆……お前……」

「今は見た目で判断できなくて、返って良かったと思うよ」

「そう。なら、わたしから言う事は無いわ」

「だけどな、隆。これは、村の秘密だ」

「わかってるよ。少し前に、ネットで騒ぎになったでしょ? それが関係してるんだよね。喋る訳ないよ、恩人の秘密なんかさ」


 一応、隆には釘を刺しておいた。しかしこの件は、直ぐさくらに伝える必要が有る。

 園子は隆の描いたデッサンを写真に撮り、さくらのパソコンへ送る。続けて、さくらに連絡を入れる。

 だがさくらの反応は、園子の予想と大きく反していた。


「あの子は、大したもんだね」

「暢気な事を言ってて良いんですか?」

「でも、隆は黙ってるって言ったんだろ?」

「ええ」

「なら構わないだろうよ。あの子は、嘘をつかないさ。明日そっちに行くから、詳しい事はその時に話そうよ」


 そして翌朝、さくらはクミル達を連れて、三堂家を訪れる。

 クミル達には、事態を話していなかったのだろう。デッサンを見たクミルは、正一と同様に言葉を失っていた。


 これまで隆が描いた物は、初見ではない。山や川等の自然は、誰もが見た事が有るし、想像し易い。そんな物を多く描いて来た。

 だが、クミル達は違う。隆の目で確認した事が無い。映像記憶として残っていない。それをどうしたら、感触だけでリアルに描けるのか。


 凄いという言葉で、終わらせていい絵じゃない。

 光を失った少年が、ほんの僅かな間で、こんな絵が描ける様になったのだ。


 またギイとガアは、絵に近づいて、はしゃぐ様に飛び跳ねていた。

 自分達を描いてくれたのが、嬉しかったのだろう。

 だから、思わず口から零れた。


「ギイ!」

「ガア、ガア!」


 その瞬間、さくらの視線がギイ達に向かう。そしてギイ達は、喋る事を禁止されていた事を思い出し、両手で口を覆った。


 驚かせたかもしれない。ギイとガアは、恐る恐る隆を見る。だが隆の様子は、驚くというよりも、嬉しいといった様子であった。


 隆は優しい笑みを称え、ギイ達の声がした所までゆっくりと歩く。

 そして、ギイとガアにゆっくりと触れた。


「嬉しいな。ギイさんとガアさんの声は、予想以上に可愛らしいですね。何か理由が有ると思って、我慢してたんです。でも本当は、お二人と話してみたいと思ってたんです」


 隆の言葉を聞いて、ギイとガアはさくらに視線を送る。

 そして、さくらは微笑みながら、ゆっくりと首を縦に動かした。


「いいよギイ、ガア。喋っておやり。だけど隆。この子らの言葉は、難しいだろ?」

「さくらさん。そんな事は無いです。ギイさんとガアさんは、言葉以外で、僕とこれまで会話してくれました」

「ギイギ、ギギギ」

「ガアガ、ガアガア」

「ふふっ。そうですよ、ギイさん、ガアさん。僕らは、もう友達ですもん。まぁ、僕の場合、ギイさんとガアさんの賢さに、甘えてるだけですけど」

「いや、そんな事はないさ。ギイとガアを受け入れてくれて、ありがとう」

「そんな。それは、こっちのセリフですよ」


 隆は笑って答えてくれた。そしてさくらは、園子の方に体を向ける。

 さくらが口を開こうとした瞬間、それを遮る様にして、正一が声を上げた。


「あ、安心してくれ、さくらさん。隆は黙ってくれるって言ってた。隆は、約束を破る子じゃない!」

「あははっ、何言ってんだい正一。あたしが話した事は、園子さんから聞いたんじゃないのかい?」

「それは、そうだけど。重要な事だろ?」

「そんなの、いずれは分かる事さ。それを承知で、許可してんだ。心配なんて要らないよ。ただ、思ったよりも、ずっと早かったのには、びっくりしたけどね」


 さくらは、正一の心を慮って、笑って見せた。そしてさくらは、再び隆の方へと体を向け、徐に口を開く。


「隆。ギイとガア、それにクミルは、この世界の事を良く知らないんだ。だから、あんたが教えてあげてくれないかい?」

「いいんですか僕で?」

「いいさ。あんただから、頼みたいんだ」

 

 そして、さくらは隆に近づくと、優しく頭を撫でる。


「よく頑張ったね。良く乗り越えたね。あんたが、この村に来た頃とは、顔つきが全く違うよ。だからこそ、あんたに頼むんだ。教えてやってくれるかい? あんたの目線で見た、この世界をね」


 それを聞いて、暫く考え込む様に、隆は黙り込んだ。五分は経過していないだろう。

 もしかすると既に、隆の中では答えが出ていたのかもしれない。

 考えを巡らせるように目を瞑る隆を見て、さくらはそう感じていた。


 考えているのは、出来るか否かじゃない、何をどう伝えようかだろう。

 人間の嫌な部分と良い部分、その両方を見て来たから考え込むのだ。また、そうやって悩めるから人間だからこそ、さくらは依頼をした。

 

 やがて目を開けると、隆は徐に口を開いた。


「わかりました。僕なりの方法で」

「あぁ。頼んだよ、隆」


 そして、さくらはクミル、ギイ、ガアの三名に別れを告げると、玄関へ向かう。

 三堂夫妻は、さくらを送る為、その後に続いた。


「園子さん、心配かけたね。まぁギイ達の事は、折を見て話すつもりだったし、手間が省けたよ」

「ありがとうございます、さくらさん」


 さくらは、いたずらっ子の様な、おちゃらけた素振りで、その場を和ませた。


 実の所さくら自身は、隆がギイとガアの正体に、近づく事はないと考えていた。自宅に戻るまでずっと、ただの子供だと思い込む、そんな可能性すらあると考えていた。

 短期間で判明したのは、それほど親密な関係になった事の証だろう。寧ろ、喜ばしい事だ。


「子供の成長ってのは、早いもんだね」

「本当に、そうですね」

「もしかすると、いや止めておこう」

 

 さくらが言い淀んだ言葉の意味は、園子にも理解が出来た。

 余計な期待をして、それが気付かぬうちに、隆へプレッシャーを与える事になってはならない。


 そんな想いを、胸に仕舞い。さくらは、三堂邸を去る。三堂夫妻も隆達に、一言告げて畑へと向かう。

 そして隆達は、いつもの様に散歩へと向かった。


 ☆ ☆ ☆


 隆の心は、いつも以上に弾んでいた。

 これまで、ギイとガアに問いかけると、体をポンポンと叩いて反応するか、クミルが代わりに答えるだけだった。

 それが、直接声を聞ける様になった。それだけで、より親密になれた気がしていた。

 それは、ギイ達も同じだったのだろう。


「ギイ、ギャギャガ。ギャガガガ、ギイギギ。ギイ?」

「ガガ、ガガア。ガガガ、ガガガア」


 確かに、意図を理解するのは難しい。そんな時は、クミルが補足する。


「ぎい、おどろいてます。なんで、うまくかけるか、きいてます。があ、たかしさん、ほめてます。すごい、いってます」

「クミルさんは、ギイさん達の言葉がわかるんですか?」

「わたし、わかる、すこしだけ。とくしゅ、のうりょく? みたいなもの、わたしもってる。すこし、きもち、かんじる」

「凄いですね」

「ギギギ。ギイギギ」

「すごいのは、たかしさん、いってる」

「はははっ。凄くなんてないですよ。ギイさん達が触らせてくれたおかげで、描けたんです」


 他愛もない会話をしながら、一同は散歩を楽しむ。

 クミルの提案で、いつもより少し先まで歩いた所で、休憩をする事にした。


 道の脇にある草むらに、一同は腰を下ろす。無論、隆が座る前に、ギイとガアが安全かどうかを確認する。


 隆がゆっくりと腰を下ろすと、クミルは背負った鞄を草むらに降ろし、中をまさぐる。

 そして水筒を取り出し、中のお茶をコップに注ぐと、ゆっくりと隆に手渡した。


「ありがとうございます」


 クミルに礼を述べてから、隆は少しずつお茶を口に運んでいく。

 その時、脇からはしゃぐ声が聞こえてくる。


「ギギギ?」

「ガガガ?」


 その言葉だけは、隆にも理解が出来た。


「うん。おいしいです。ギイさんとガアさんも、飲んで下さい」

「ギイギギ」

「ガアガガ」

「どういたしまして」


 飲みかけのお茶を渡すまでも無く、水筒には充分な量が入っている。恐らくそんな事は、隆も理解しているはず。

 でも隆は、飲んでいたコップをそのまま手渡した。そして、ギイ達は喜んでそれに口をつけ、礼を言った。


 これは、仲のいい友達の光景なのだ。


 大人しい性格の隆は、率先してクラスメイトと行動する事は無かった。休み時間は、黙々とノートにスケッチをしていた。

 クラスメイトとは、多少の会話をする。また、挨拶も交わすし、スケッチを見せてと言われれば、快く見せる。

 そして感想を聞いたり、リクエストを聞いて絵を描く。そんな風なコミュニケーションも図っていた。


 ただ、一緒に食事をしたり、回し飲みをする事は無かった。

 何てことの無い、誰でも一度はやる事だ。だが隆には、初めての経験だった。友人という実感が湧き、嬉しくて笑顔が零れる。その感情は、伝播する。


 そんな時だった。ギイとガアがそれぞれ手を伸ばし、隆の顔に触れようとする。


「ぎい、があ、だめ! あぶない!」

「いえ、いいですよ。クミルさん」


 音や気配で、隆もギイ達の行動を把握していたのだろう。諫めようとするクミルに、隆は優しく声をかけた。

 そしてギイとガアは、そのまま手を伸ばし、隆の目を覆う様に触れた。いつも握っている手と同じ、右側をギイが、左側をガアが覆う。

 そして隆は、手の温もりを感じて、静かに目を閉じる。


 その時、クミルの中に、ギイとガアの感情が流れ込んでくる。


 目が見える様になって欲しい。治って、今よりもっと元気になって欲しい。

 それは祈りにも近い、感情だった。


 ギイとガアの、隆への想いは、クミルの胸を熱くする。

 そしてクミルは、力を失ったネックレスの欠片を握りしめて、祈りを籠める。

 

 もしかすると、偶然に起きた出来事かもしれない。

 隆の担当医は、失明の原因が心因性の可能性が有ると示唆していた。

 今、隆は前を向いて全力で、歩みを進めている。そんな隆の傍には、クミル、ギイ、ガアが居て支えている。


 可能性としては、充分あり得る。だが、それは奇跡に近い。

 祈りを籠めて覆っていた手を、ギイ達が離す。それに合わせて、隆もゆっくりと瞼を開く。

 

 そして奇跡は起きる。

 何も映さないはずの黒の世界に、淡い光が差し込んでいた。


「えっ、えっ? 何? 何が? 光が、光が見える、見えるよ! 光が!」


 混乱する様に、隆は声を上げる。そして、自然と涙が零れる。隆の驚きと、言葉にならない感動を感じ、クミルは涙を流した。

 そして、ギイとガアは、声を上げて泣いた。


 無論、帰宅後にその事を祖母たちに話すと、泣いて喜んでくれた。それは、直ぐに両親へと伝わる。

 そして、真夜中に両親が到着して、隆を抱きしめる。


 翌日、村の住人全てが、三堂邸に集まった。


「隆、お前の目は、必ず治るからな。今度来た時は、旨い野菜をたっぷり食わせてやる」

「心配すんなよ。お前の頑張りは、みんなが見てたからな。行って来い!」

「隆君、良かった。君は見違える程、良い表情をする様になった」

「今度、何かされたら、俺達に言え。そいつら全員、ぶっ飛ばしてやるからよ。お前の為なら、東京でもどこでも、直ぐに駆けつけてやる」

「隆、郷善の言葉は聞き流せ、言葉の綾だ。今のお前には必要ねぇだろ? それと忘れんな! お前は家族だ。いつでも帰って来い」


 一人一人、隆へ言葉を投げかける。その言葉を受け取り、感極まったのか、隆の瞳から涙が止まらずにいた。


「ギイギ、ギギイギギイギ?」

「ガアガ。ガガアガガ?」

「治るさ、心配は要らないよ。そうじゃないかい、隆」

「はい。きっといい報告が出来るように、頑張ってきます」

「たかしさん、おうえん、してます」

「はい。行ってきます!」 

 

 隆は診察の為に、東京へと戻っていく。

 そして、さくらは皆に向かって、言葉を紡いだ。


「大丈夫。心配しなくても、きっといい知らせが来るよ」


 そして数日後、さくらの言葉通りに、連絡はやってきた。

 隆の視力が戻った事、そして定期的に検査と診断を受ける必要がある事が伝えられる。

 そして、何よりギイ達を喜ばせたのは、主治医が最後に言った言葉だろう。


「滞在した場所の環境が、目の治療には良いのかも知れない。暫くの間、このままの環境で、治療を続けると良いでしょう。ただ、通院を忘れない様にして下さい」


 それから数日の後、隆は信川村へと戻ってきた。

 それは、大切な友達との再会であった。

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