第66話 痛みを乗り越えて

「朝食が終わったら、そのまま置いといてね」

「わかってるよ、おばあちゃん」

「何かあれば、直ぐに連絡するんだよ。畑は近いから、直ぐに戻って来るからね」

「大丈夫だよ、おばあちゃん。安心して」

「そうだ。だけど、無理する事は無い。それより、早く行くぞ」

「いってらっしゃい。おじいちゃん、おばあちゃん」


 こんな掛け合いが、三堂家では朝の恒例になっていた。

 心配なのか、園子の口数が多くなる。正一は、無関心を装いながらも、さり気なく隆に声をかける。

 

 朝食を食べようとすると、決まって彼らが家を訪れる。そして玄関を開けると、大きな声で隆を呼ぶ。


「たかしさん、はいります」

「はい。どうぞ」

 

 三人分の足音が、隆の耳に届く。音に集中すると、足音に個性が有るのがわかる。

 一つは、落ち着いた感じ。他の二つは、限りなく小さい音だが、明るく跳ねる様な感じだ。

 リビングの扉が開かれると、元気が飛び込んで来る。


 クミルは、食事のサポートをする訳ではない。テーブルの上に、何が有るかを伝える。


「そこ、みぎて。みそしる、ある」

「ありがとう、クミルさん」


 支えるとは、どんな事なのか。何から何まで、してやる事なのか。

 食事を口に運ぶ事が、必要な事なのか。それとも、出来る事をやらせる事が重要な事なのか。

 

 甲斐甲斐しく世話を焼いても、隆は返って窮屈に感じるだろう。

 クミルは、隆の心を慮って行動している。恐らくそれは、隆にとっても正解なのだ。


 食事が終わると、ギイとガアが慣れた手つきで食器を片付ける。さくらの家で行っている事が、そのまま成果として現れている。

 あっという間に、食器を片付けると、クミルは隆に話しかける。


「じつは、ぎいとがあ。たかしさんとさんぽしたい、ねだります。どうしましょう?」


 問いかける内容は、毎日の様に変わる。そして隆も、その意図を理解している。

 全ては、隆を連れ出す口実なのだと。


「クミルさん。ギイさんとガアさんのお願いなら、仕方ないですよ」

「いつも、わがまま。すみません」

「いえいえ、こちらこそ」


 ☆ ☆ ☆


 一人では、怖くて外に出る事は出来ない。それが、僕の本音です。

 それをわかって、受け止めてくれる。クミルさんからは、そんな温かさを感じます

 大丈夫、心配ない。わかってる、わかってるから、安心して。そんな想いが伝わってきます。


 光を失い、改めて人の温かさに触れました。


 心なんて、目に見えるものではない。しかし、確かにそこに有るのでしょう。

 今まで当たり前だったから、気が付かなっただけなのかもしれません。

 間違いなくそこに存在して、自分の周りに溢れていて、それでも見ようとして来なかった。それだけなのかもしれません。


 光を失い、初めてそれを理解しました。

 敏感に感じ取れるようになった。それは、良い事なのかもしれません。


 体の傷は、直ぐに治ります。心の傷は、簡単には治りません。

 幾多の暴行を受け、体中に残る痣は、時を経る事で薄くなったでしょう。


 しかし、暴力を振るわれる事は、とても怖いんです。恐怖に耐え、痛みに耐え、父と母に心配をかけまいと、気丈にふるまう。

 辛い日々でした。その上の事故です。


 何故、あんな事を言ったのか、自分でもわかりません。でもあの時は、そうする事が当然だと思いました。

 それは、後悔はしてないです。そして江藤さんが説明してくれた、僕が加害者を出したくなかったというのも、ある意味では正しいです。

 ただ引き籠ったのは、両親に反抗してまで、彼らを守りたかった訳では無いんです。


 違うんだ! そんなに僕は偉くない!

 彼らに会う事が怖かった!


 彼らの両親が、謝罪に訪れていた事は、ドア越しに聞こえてました。

 彼らの両親でさえ、会うのが怖かった。謝罪される事自体が怖かった。

 あの時の事を思い出すのも、嫌だったんです。


 江藤さんが話してくれた事は、僕が思っていた一部です。

 僕の本心は、もっとどす黒く、汚いものなんだ! 


 僕を傷つけた彼らに、普通の生活を過ごして欲しいと思う反面、視力を奪った罪を償えとも思っていました。

 どす黒い感情が、僕の中に蠢いている。どうにもならない嫌な感覚が、僕の中に有ったんです。


 父と母は、彼らを許す気が無い。それを肯定する気持ちと、否定する気持ちが、僕の中でせめぎ合っていました。

 どうしていいかわからなくて、誰にも相談できなくて、そのうち外に出る事も怖くなって、眠れなくて、食欲もなくなって、死んだようにぼうっと過ごしていました。


 多分、その時の僕は何もかもを、諦めていたんだと思います。

 そして、いつしか僕は、完全に光を失いました。


 僕は、泣き喚きました。

 それを聞いた父と母は、更に怒ってました。


 本当は、そんな事を望んでいない。二人が僕の為に怒る所は、見たくない。

 そこには、絶望しか有りませんでした。


 強引にドアを開けられ、この村に連れてこられた時も、何も変わらないと思ってました。

 だけど母は、おじちゃんとおばあちゃんに、怒りをぶつけていました。

 そんな姿は見たくない。何でこんな事になってしまったのか。


 それは、僕を傷つけた彼らのせいだ!


 そう思った瞬間、また僕の中でどす黒い感情が膨らんでくる。そんな感情は、見たくない。見たくないんだ!

 多分、江藤さんには、僕のそんな狡さがわかっていたんでしょう。だから叱ってくれたんです。

 江藤さんは何も悪くない、でも誤ってくれました。大人のせいだと、謝ってくれた事が嬉しかった、同時に恥ずかしくもなりました。


 今ならわかります。江藤さんに言われた事は、尤もです。

 いったい何を考えて、何をして来たのか。僕は江藤さんの言う通り、もっと早く相談すべきだったんだ!

 もっと早く、自分がどうして欲しいか訴えれば、視力を失う事も無く、父と母を傷つける事も無かったんだ!

 僕を傷つけた彼らに対しても、別の方法が有ったはずだ!


 今なら思う事が出来ます。

 僕は、間違えた。

 

 僕は最低の人間です。だけど江藤さんは、そんな僕に希望を与えてくれました。

 さくらさんは、僕を抱きしめてくれました。

 もう頑張らなくてもいい。そう言われた時に、何かから解き放たれた気がしました。


 自然と涙が、流れました。もう枯れ果てたと思った涙が、流れていました。


 僕は、色んな人を心配させ、迷惑もかけました。しかしさくらさんは、全てを受け止めて、後は大人に任せろと言ってくれました。

 だから、変わらなきゃって思いました。

  

 おじいちゃん、おばあちゃん、父、母、さくらさん、江藤さん、クミルさん、ギイさん、ガアさん。

 支えて下さった皆さんに、温かく迎えてくれて皆さんに、顔向けが出来るように、僕は歩みださなきゃいけないんです。

 

 散歩に出た時、村の人達とすれ違うと、決まって明るく話しかけてくれます。


「よう、隆。今日は晴れてよかったな」

「クミル、隆に説明してやれよ。すげぇ景色だろ?」

「おう、隆。元気そうだな。無理すんなよ、疲れたら休めよ」

 

 顔も知らない誰かではない、顔は見えないけど、優しい家族なんでしょう。


 東京で暮らしている時は、感じていなかった。通学中の道は、当たり前のように通り過ぎて、気が付く事もなかった。

 

 光を失っても、世界には色で溢れてる。それを、クミルさんが教えてくれます。

 世界には感動で溢れてる。それを、ギイさんとガアさんが、教えてくれます。


 僕の目には映らないけど、クミルさんが笑ってくれる。ギイさんとガアさんが、笑ってくれる。おじいちゃんとおばあちゃんが、笑ってくれる。

 それが、何よりも嬉しいです。


 そして気が付いたら、僕の中にあったどす黒い何かが、薄くなってきてるのがわかります。

 皆さんの温かい心が、僕の汚い気持ちを洗い流してくれたのかもしれないです。


 ありがとう。


 ありがちで、言葉にすれば薄っぺらくなるかもしれない。でも、この感謝の気持ちは、忘れない様にしたいです。

 そしていつの日か、僕は必ず恩返しをします。

 その日の為に、今は上を向いて、一歩を!

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