第65話 出会い
三堂邸からの帰り道、さくらと江藤は物珍しい光景を目にした。
布で目隠しをしたクミルが、ギイとガアに手を引かれて歩いている。
ギイとガアは、クミルの足元や周りを確かめる様に、キョロキョロと視線を動かしている。対照的にクミルは、ギイとガアの声を頼りに、一歩ずつ確かめる様に足を踏み出す。
感覚が鋭いギイとガアの事だ。
目視出来る位置まで近づく前に、さくらと江藤の存在に気が付いていたはずだ。
しかし今のギイとガアは、さくら達を気にする様子が無く、クミルを誘導する事に集中している。
「ぎい、があ、こわい。ゆっくり、おねがい」
「ギギイ? ギイギイ、ギイ?」
「うん。すこし、あんしん」
「ガアガア、ガガア」
「あし、あぶない? どっちのあし?」
「ガアガガ!」
「みぎ? ゆっくり? そっか、くぼんでる」
更に近づくと、会話が聞こえてくる。
その様子を見て、さくらは笑みを浮かべ、江藤は感嘆の声を漏らした。
「いや、大したもんだ。さくらさん、彼らに何を言ったんですか?」
「目が見えない子が来るから、手を貸してやれって言っただけさ」
「それだけですか?」
「目が見えない怖さを、体験させたよ」
「そうですか。でも、普通それだけでは、こんな事を考えつきませんよ。彼らは、予想以上に優秀ですね。社長に話したら、欲しがるでしょう」
「報告するのは、構わないけどね。ついでに言っときな。せめて、後任を育ててからにしろってさ」
「相変らず、社長には厳しいですね」
「フン。取締役ってのは、沢山の家族を支える為に有るんだよ。中途半端な奴に、やらせて堪るかい! あんたもやる気が有るなら、推薦してやるよ」
「いや、私にはその覚悟が有りませんよ。それよりも、前、前!」
不穏な空気を感じた江藤は、自分に矛先が向く前に話を逸らす。そしてさくらは、鼻を鳴らして、視線をギイ達に戻した。
さくらはギイ達に、何も指示していない。
支えてやれの一言で、彼ら自身が何をすべきか考えて、思いついた行動だろう。
目が見えない不安は、体験した。しかし、どんな不都合が有るかは、実際に体験しないとわからない。
だから、試しているのだ。
三堂邸は、さくらの家と同じく平屋建てである。しかし、バリアフリー対策が施されている訳ではなかった。
隆が訪れる前に、郷善を中心に孝道やライカ達が協力し、極力屋内の段差を減らしている。
慣れれば、家の中は自由に動き回れるだろう。
だが、一人で外出するのは、余りにも危険だ。息子夫婦が案じた通り、重大な事故が起きる可能性を、多分に含んでいる。
それを理解しているからこそ、目隠しで疑似体験した隆の感覚を、クミルはギイとガアに伝える。
ギイとガアは、クミルの様子を観察し、どうすれば安心できるか考える。
彼らは相互に教え合い、「支えてやれ」に備えているのだ。
大人でも、先を予想し行動できる者は少ない。それを子供に出来るだろうか?
その考えに至る事自体が、凄い事なのだ。
「ん? かえる? いえ?」
「ギイギ、ギイギギギ」
「さくらさん、かえってきた?」
「ガアガ、ガアガガガ」
「そうだね。じゃあ、あんないして、ぎい、があ」
「ギイ!」
「ガア!」
ギイとガアは、クミルの手を引いて歩き出す。
ゆっくりと庭先を通り、玄関へと近づく。そこでギイとガアはクミルの手を離し、足を洗ってサンダルを履く。
その間、クミルは静かにギイ達が戻るの待つ。
最後まで、ギイとガアは気を抜かずに、クミルを案内する。そして、玄関を潜り靴を脱いだ所で、クミルは目隠しを外した。
「これは、決まりですね」
「あぁ、予想以上だよ。あの子等に任せれば、安心だ」
この夜、三堂家では久しぶりに、家族が集まり食事を行った。温かな一家団欒を過ごし、息子夫婦と隆は、川の字になって夜を過ごした。
翌日、息子夫婦は自宅へと戻る。そして隆の、信川村での生活が始まった。
☆ ☆ ☆
息子夫婦と入れ替わる様に、さくらと江藤が、三堂家を訪れる。
昨日と同じく、さくら達は客間に通される。襖を開くと、ちゃぶ台の前に、隆が座っているのが見える。
そして、園子が人数分のお茶を淹れた後、さくらは話し始める。
「隆の世話を、子供達にさせるんですか?」
「そうだよ、園子さん。あんたらは、畑仕事が有るだろ? 付きっきりで、隆の世話は出来ないよ。隆も、それは望んでないだろ?」
「あの、おじいちゃん、おばあちゃん。さくらさんの、言う通りだよ。僕は、おじいちゃん達の負担になりたくない」
「隆、お前……」
「そんな事……。負担なんて、私達は考えてないよ、隆」
「でも……」
「正一、園子さん、わかってるはずだろ? この子は、優しいんだよ」
さくらがクミル達を、隆の付き添いに推したのは、幾つかの理由が有る。
先ずクミルは、片言でも日本語を話せる。言葉でのコミュニケーションが可能だ。
そして、ギイとガアの身体能力は、人間よりもやや高い。感覚器官は、人間よりも遥かに優れている。
危ない場面が有っても、匂いや音等で察知し、隆を助ける事が出来るだろう。
また彼らの仕事は、基本的には孝道の手伝いだ。彼らが抜けても、作業量が元に戻るだけで、孝道の作業に支障をきたす事は少ないだろう。
確かに家の前は、舗装されていないあぜ道である。用水路が流れている個所もある。
しかし都会と違い、人がほとんど通らない。外を歩く練習には、適した環境のはずだ。
これまで引き籠った生活をしていたのだ、この機会に屋外へ出て欲しい。
そして、純真な彼らを通して、真の笑顔を取り戻して欲しい。
戦い抜いて傷ついた心を、癒して欲しい。
「結局、誰かに負担をかける事になるんです。僕は……」
「隆。はっきり言っとくよ、他人に迷惑をかけない奴なんて、この世の何処にも居ないよ。紹介するのは、あんたと歳が近い子供等だ。正一と園子さんとは、違うんだ。あんたの手伝いを、させてくれないかい? 友達になってあげて、くれないかい?」
「……はい。ありがとうございます」
失った物を嘆くより、前を向かなけれならない事は、隆にもわかっていたのだろう。
逡巡するように、瞼を閉じると、ゆっくりと頷いた。
隆の同意を得られた後は、江藤の出番になる。
江藤が鞄の中から、機械を取り出す。それは、住人達が腕につけている、スマートフォンの付属ツールに似ていた。
「江藤さん。それは、なんだ?」
「三堂さん。これは、皆さんが付けている物をベースに、改良を加えた物です」
住人達が装着しているのは、あくまでもスマートフォンの付属物である。スマートフォンを通じて、色々なデータ処理を行っている。
その為、腕に装着して何等かの作業をしても、違和感が無い程に小型化している。
江藤が取り出したのは、盲目者用に改良した試作品。ただし、付属ツールではなく、スマートフォンの本体である。
手に持って操作するより、声に反応する事を重視している。それ故、腕に装着して使用する、特殊な形状のスマートフォンになった。
登録者の声に反応して起動する。装着して無くとも、遮蔽物が無い場所なら、半径二メートルから三メートル位は、登録者の声を感知する。
幾つかのアプリがインストールされて有り、声に反応して検索を行うだけでなく、装着時はバイタルを計測して、登録した病院へデータを転送する。
「あくまでも試作品でね。できれば使用感と合わせて、君から要望を貰えると助かる。まだまだ、改善すべき点が残されてるはずだからね。テストに付き合わせて、申し訳ないが」
「いえ江藤さん、凄く助かります。色々と試させて下さい。意見などは、まとめて報告します。メモのアプリは、入ってるんですよね?」
「あぁ、入っているよ。メモのアプリに要望を吹き込んで、メールで提出してくれればいい」
「SNSは?」
「インストールしてあるよ。全て、声で操作出来るようにしてある。既存のアカウントが有れば、それを使っても構わない」
「凄い機能ですね」
「いや、本当に試作段階なんだ。ラグや誤認識、誤操作、こんなのは、逐一教えてくれるとたすかる」
「はい。こんな凄い機械を使わせてもらうんですから、ご協力させて下さい」
「それにしても、君は本当に中学生かい?」
「えぇ。正真正銘、中学生です」
「いや、君が大人びてるから、感じるのかもしれない。本当に君は、優秀だね」
隆は少し照れるように、頭を掻く。
正一と園子は話について来れず、見ているしか出来ずにいた。しかし、その表情はとても明るい。
さくらが凄いのは、わかっている。
そして江藤は、僅かな期間で、隆に関する事を詳細に調べ上げた。さくらが信用しているだけ有り、優秀な人物だ。
そんな大人に、隆が褒められている。それが何よりも嬉しい。そんな感覚なのだろう。
「そうだ。また勝手にと、叱られるかも知れない。君は、イラストを描いていたね」
「あ、あぁ。いや、お恥ずかしい」
江藤の言葉に、隆の顔は瞬時に赤く染まる。そして、照れ隠しなのか、隆は片手を前に突き出し、大きく振る。
江藤は、隆の事を色々と調べたのだ。隆の趣味に関して知っていても、おかしくは無い。しかし突然、趣味の話題を振られたら、動揺して当然だ。
ただ、江藤は真面目な表情で、話しを続けた。
「そんな事はない。サイトにアップされてた絵も見たよ。君は液タブを使って、描いたんだね」
「はい。父にねだって、買ってもらいました。アナログだけじゃなくて、デジタルにも慣れておきたくて」
「サイトでは、かなりのファンがついてたね。凄い事だよ」
「いや、まだまだ初心者の枠を超えられてません」
「あぁ。確かに、素人さは感じる。ただ私の友人に、アプリ開発をしている会社の、社長がいてね」
「まさか、見せたんですか?」
「ごめんよ隆君。でも友人は、君を褒めていた。将来はうちの絵師として、活躍して欲しいと言ってたよ。勿論、技術面のサポートはするからとね」
「そんな! 嘘でしょ?」
「嘘じゃないさ。今の君にとって、この話は酷な物かもしれない。でも、そんな希望が有るって事は、忘れないで欲しい。それに、君の努力と才能も、ちゃんと自分で評価してあげて欲しい」
「何から何まで、ありがとうございます。江藤さん」
少し涙ぐみながら、受け取ったスマートフォンを握りしめて、隆は頭を下げた。
☆ ☆ ☆
その翌日、さくらはクミル達を連れて、三堂邸を訪れた。そして、やや緊張した面持ちの隆に、クミル達を紹介する。
「わたし、くみるです。にほんご、べんきょうちゅう。ききづらい、ゆるしてください」
「いや、お上手ですよ。クミルさんは、外国の方なんですね」
「はい。さくらさん、いえ、すんでます。いそうろう? あってる?」
「ははっ、有ってるよ、クミル」
「そう。いそうろう、してます」
軽く笑い、クミルをフォローするさくらの様子を想像し、隆は少し苦笑いを浮かべる。
「わたし、あなたのこと、えとおさん、きいた。あなた、すばらしい。とてもゆうきがある」
「そんな事……無いです!」
「あなたみたい、ゆうきあるひと、いっしょにいる、こうえいです」
「いや……勿体ないです。僕は、褒められる様な事は何も……」
「おてつだい、させてください。わたし、やくにたちたい」
「ありがとうございます」
見えなくも、心が籠った声は届く。そして、隆は右手を差し出す。
握手の文化は、既に知っている。クミルは、嬉しそうに笑うと、隆の右手を握り返した。
「クミルさん。ありがとうございます。お世話になります」
「あなたのおてつだい、のぞむ。わたしだけ、ちがいます。わけがある、しゃべれません」
自分が障害を持つからこそ、敢えて事情を聞かずに、隆はただ頷いた。
その反応を見て、クミルは言葉を続ける。
「かれら、あなたより、すこしちいさい。わたしよりたくさん、やくにたつ。ぎいとがあです」
クミルの紹介が終わると、ギイとガアは小さい手で、隆に触れる。
隆は温もりを感じ、優しくその手を取ると、膝を突いて目線の位置を合わせた。
「ギイさん、ガアさん。よろしくお願いします」
隆に応えようと、右手をギイが、左手をガアがそれぞれ握る。
そして、ブンブンと忙しく上下させる。
クミルから聞いた小さいというフレーズと、ギイ達の行動で、隆は子供を連想したのだろう。
隆の表情が、柔らかになる。
元々、内気なタイプだ。決して、人付き合いが上手い方では無い。だがギイ達の行動で、いつの間にか隆の緊張は解れていた。
そして終始、その様子を眺めていた三堂夫妻は、安堵する様に笑みを零した。
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