第64話 優しい勇者

 さくらと江藤は靴を脱ぐと、正一の後について、廊下を進んでいく。甲高い声は、耳が痛くなる程、大きくなっていく。

 そして、客間の正面で立ち止まると、正一は勢いよく襖を開ける。その時、母親の視線は、正一の後ろに立つ二名に向かっていた。


「お義父さん。なんで、他人を入れるんです? ここは家族の話し合いじゃないんですか?」


 いきり立った、酷く攻撃的な口調に晒されても、正一は何も答えずに座る。そして、さくらと江藤に、中に入る様、手招きをした。


「聞いてるんですか? さっきから何も仰らないのは、どうしてなんですか? この子が心配じゃないんですか?」


 それは最早、喚き散らすといった方が、近いかもしれない。

 さくらは、深いため息を漏らすと、母親を一瞥し言い放つ。


「うるさいねぇ。子供の前で喧嘩なんて、みっともないよ」

 

 さくらの言葉が、気に障ったのだろう。さらに音量を上げて、母親は喚き散らす。対してさくらは、母親を無視して、周囲を見渡し隆を探した。

 隆は、暗い表情をして俯いていた。それは、何かを我慢している様にも見えた。


「家族じゃない方は、出て行って頂けませんか?」

「何を言ってんだい? あたしからすれば、あんたが客だよ」

「はぁ? 何を!」

「わからないかい? この村の人間は、みんな家族なんだよ。あんたは、その家族の子供ってだけさ。余所もんは、あんたら夫婦だよ」

「馬鹿にしてるんですか?」

「馬鹿にしちゃいないさ。だけどね。大事な息子に、あんな辛そうな顔をさせる母親が、何処にいるんだい?」


 とげとげしい言葉に対し、さくらは柔らな口調で話す。それに反して母親の怒りは、更にヒートアップしていく。


「あなたに、何がわかるって言うんですか!」

「じゃあ、聞くけどね。あんたは、この子の何を知ってるんだい?」

「私は、この子の母親です。それにこの子は、いつも話しをしてくれてました」

「じゃあ、何でも知ってるって事かい? なら、何でこんな事態になるまで、あんたは気が付かなかったんだい?」

「そ、それは……」


 さくらの言葉に、母親は言葉が詰まり、返す事が出来なかった。続いてさくらは、父親に視線を向ける。


「あんただけじゃないよ。あんたもだ。父親なんだろ? 仕事だけすれば、父親としては充分なのかい? そうじゃないんだろ? この子は大切な宝なんだろ?」

「当然です」

「なら、何が有ったか知りなさい」

「でも、この子は何も……」

「それは、あんたの聞き方が悪い。母親なんだろ? 子供が苦しい思いをした時くらい抱きしめてやりな!」


 父親は一言だけ発し、それ以上口を開く事はなかった。そして母親は、さくらに窘められて、言葉を失った。


「いいかい。この子はねぇ、あんた達に心配かけまいと、頑張ってたんだよ。それに、何も話さないのは、加害者を出したくないからじゃないのかい?」


 その言葉は、息子夫婦の心を揺さぶった。


 暴力を振るったクラスメイトを、隆が特定したら、その子はどうなるのか? しかも後遺症として、重度の障害が発生しているのだ。

 拘置所で拘留され、裁判後に更生施設へ送られるなら、ましな方だ。逆送になれば、前科がつく。


「息子をこんな目に合わせたんです。当然の結果じゃないですか!」

「まだわからないのかい? あんたの息子は、それを望んじゃいないんだよ! それどころか、自分に怪我を負わせた相手すら、守ろうとしている。こんな優しい子の前で、あんたは何を語るんだい? 何を語れるんだい?」


 穏やかな口調の中に、強烈な意志が籠る。圧倒されるかの様に、母親は口を噤んだ。

 そして、さくらは江藤に視線を送る。江藤は静かに話し始めた。


「隆君。君が隠そうとしている事は、全て調べてわかっている」


 一瞬、江藤の言葉に隆が反応を見せる。だが、直ぐに俯いた。

 厳しい目つきに怯んだからではない。江藤の目を見た瞬間、自分の意図を慮ってくれると、感じたからだろう。


「無論、君が本当に隠したい事は、話さないと約束しよう。だけど、事情がわからなければ、お父さんやお母さんも心配するだけだ。それは理解してくれるね」


 隆は、俯いたまま反応を示さなかった。

 先ほど隆は、ほんの僅かでも反応を見せた。その隆が無言を貫いているのは、肯定の証に違いあるまい。

 そして、江藤は息子夫婦に向かい、調べ上げた一切の事情を説明した。


「元々、虐めのターゲットは、隆君ではなかった。そこまでは、ご存じですね」


 息子夫婦に向かい、念を押す様に江藤は問いかける。その問いに頷くのを見て、江藤は説明を続ける。


 虐めのターゲットが隆に移った事実。これは、厳密には間違いである。

 隆は、虐めのターゲットを、自分に向けさせる様に行動した。そして暴力を振るわれながらも、クラスメイトを諭していた。


 虐めのターゲットが、他に向かわない様に。

 二度と彼らが虐めを、行わない様に。


 だが、血気盛んなクラスメイトには、隆の想いがなかなか届かない。そんな時、教室内で事故が起きた。

 突き飛ばした際に、隆は強く頭を打ち、大量の血を流す。その時の隆は、暴力を振るったクラスメイトに、こう言った。


「逃げろ! 先生が来る前に逃げろ! みんな、これは事故だ! 単なる事故だ! 僕が足を踏み外しただけだ! そういう事だ! わかるよね!」


 朦朧とする意識の中で、隆は暴力を振るっていた子達を庇った。

 傷害を起こしたとなれば、今度は彼らがクラスに居場所を無くす。それどころか、前科者になる可能性も有る。

 頭のいい子だ、瞬時にそれを理解したのだろう。

 

 それ以降、教師にも警察にも、隆は無言を貫き通した。

 しかし、教室で起こった事だ。隆の口から言わなくても、他のクラスメイトから、幾らでも証言は取れる。


「ここからは、推測になります。穏便に済ませたい隆君の思惑と、徐々にずれが生じて来たのでしょう。お二人は、怒りで周りが見えていなかった。違いますか?」


 息子夫婦は、反論する事が出来なかった。そして江藤は、更に続ける。


「自分が何も語らなければ、事件として立証されずに済む。そう信じて、隆君は引き籠ったんじゃないでしょうか? 結果的に事件後の出来事は、隆君に大きなストレスとして、圧し掛かった」


 そして、江藤は大きく息を吐き、呼吸を整える。そして、より強い口調で、訴えかける。

  

「隆君が、両目の視力を失ったのは、残念で仕方が有りません。しかし私は、こんな勇気の有る子を、見た事が有りません! 人を許すのは、大変な事です。大人でも、出来る事じゃない! だけど、隆君はそれを事も無げに行った! それが、どれだけ凄い事か、わかりますか? どうか隆君の意思を、尊重してあげてください」


 江藤の説明を聞き、園子は涙を流していた。正一でさえ、鼻をすすっていた。

 息子夫婦は、隆に視線を送り、声をかける。しかし当の隆は、俯いたまま反応しようとしない。

 そして、江藤が再び口を開く。


「いいかい、隆君。君の行動は、尊敬に値する。それだけに悲しい。それだけに、愚かだと言わざるを得ない。もっと早く大人を頼れば、怪我を負う事は無かった。少なくとも、退院当時は有った視力が、完全に無くなる前に真実を話し、自分の意志を強く主張すべきだった」


 園子は、声を上げて泣いていた。正一の瞳から、涙は止まらなかった。息子夫婦の瞳からも、涙は流れ続けていた。


「大人が、信用できないかい? それなら、君の視力を奪ったのは、我々大人だ。許して欲しい、隆君」


 隆に優しく語り掛けると、江藤は深々と頭を下げた。

 そして、ゆっくりと頭を上げ、隆を見つめながら、江藤は口を開いた。


「それとね、隆君。これは、君の治療を行った担当医からの話しだ。君の手術は成功している。しかし残念な事に、視覚に障害が残る結果となった。ただそれは、失明に至るものではない」


 それは、暗闇の中でポツリと光る、小さな光明だ。


 江藤は、隆の担当医に問い合わせを行っていた。 

 そして担当医は、治療を受ければ、視力はある程度の回復が見込めると語った。


 ただし隆が、失明となった原因は、詳しく診ないとわからないとも、担当医は語っている。

 そして、江藤が隆の生活環境を話した所、担当医は心因性の可能性を示唆した。


 本音を言えば、直ぐに来院して、治療を受けて欲しい。だが、心因的要因が有るなら、自然環境が豊かな場所で、心を休めるのも必要な事だ。

 それが、担当医の判断である。


「わかるかい。君の視力は、戻る可能性が有るんだ。この村でゆっくり休んだら、必ず病院に行きなさい」


 その時、俯いた隆の瞳から、ぼろっぼろっと、大粒の涙が零れ落ちる。その瞬間、さくらは隆をしっかりと抱きしめた。


「よく頑張ったね。ほんとに、よく頑張ったね。後は、大人に任せなさい。あんたはこの村でゆっくりと、体を休めなさい。いいんだ。あんたは、充分すぎるほど頑張ったんだからね。いいんだ、もういいんだよ」


 そして、隆は声を出して泣いた。

 さくらが隆を離すと、飛びつく様に息子夫婦が隆をしっかりと抱きしめる。


「ごめん。ごめん。ごめん。お父さんは、お前に何もしてやれてなかった。ごめん。本当にごめん。お前の為にしてるつもりになってた。もっとお前から、話しを聞くべきだった」

「ごめんね隆。ごめんね。お母さん、間違ってたね。ごめんね。あんたの優しい所を、踏みにじってたね。ごめんね。ごめんね隆」

「僕も、ごめんなさい。いっぱい心配をかけちゃって、ほんとにごめんなさい」


 家族が抱き合うのを見て、さくらと江藤は静かに席を立つ。それを見た三堂夫妻は、深々とさくら達に頭を下げた。

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