第63話 慎重すぎる程に

 全ての連絡を終えた後、さくらはPCに向かう。

 そして、現状でネットに溢れている、隆に関する情報を収集し始めた。

 当然、実名が公表される事はない。村の騒動に隠れて、大きく取沙汰される事は無かったが、幾つかの記事とツイッターの呟きを見つけた。


 得られたのは、酷く曖昧で恣意的な意見が多分に含まれており、役に立つ情報ではない。

 何等かの隠蔽が成されているのか、隆自身が事情を話そうとしないのか。少なくとも、親族である三堂夫妻が、事故の原因を明確に把握していない。

 いずれにしても、詳細を掴んでいる者が限られているのだろう。

 

 さくらは、情報収集を江藤に任せる事にし、環境調査のデータ整理に取り掛かる。作業に没頭すると、時間が過ぎるのを忘れる。

 さくらは、ギイとガアに体を揺さぶられ、昼時を越えていた事に気が付く。


「どうしたんだい? そうか、悪かったね、出迎えもせずにさ」

「ギイギギギ?」

「ん? ばあちゃんが、心配かい? ありがとうね」

「ガアガ、ガガア?」

「あんた達は、優しいね」

「ギギイ、ギイギ、ギギイギ」

「おや、お昼はクミルが作ってくれたのかい?」

「ガアア、ガアガ」

「クミルは、上手だからね。楽しみだね」


 さくらは、立ち上がろうとする。それに気が付いたギイとガアが、手を差し伸べる。そしてさくらは、笑顔を浮かべて、ギイ達の手を取った。

 ゆっくりと立ち上がると、さくらはギイ達の頭を撫でる。そしてギイ達に手を引かれ、居間へと向かった。


「さくらさん。かってに、つくった。ごめんなさい」

「謝る必要は無いよ。ありがとう、クミル。助かったよ」

「いえ。でも、のこりもの」

「充分さ。さて、頂こうかね」


 ちゃぶ台の前に腰を下ろすと、手を合わせて食事が始まる。

 食事をしながら、ギイ、ガア、クミルが、その日にあった出来事を、さくらに報告する。さくらは、嬉しそうに頷いて、彼らの話しを聞く。


 食事が終わると、クミルを先頭に片付けが行われる。

 普段なら少し休んだ後、勉強に取り掛かる。しかし、この日のさくらは、三名を対面に座らせると、語り始めた。


「近いうちに、住人が増えるよ」

「ギイギイ?」

「ガアガア?」

「そうだよ。来るのは、正一と園子さんの孫だ」

「しょういちさん? まご?」

「子供の子供って事さ」

「その、こどものこども。しょういちさん、そのこさん、あいにくる?」

「ちがうよ。訳が有ってね」


 さくらは、隆の事情をかいつまんで説明した。

 十四歳の少年で目が見えない。村へ来るのは、環境を変える為。逗留期間はわからない。


 さくらの心が伝わったのか、クミルは凡その事情を理解した。しかし少ない情報で、ギイとガアが察する事は出来まい。


 さくらは、長めの布を用意すると、ギイの目を塞ぐ様にして巻き付ける。

 そしてギイには鼻を摘まませ、ガアにはギイの耳を覆わせた。


「ギイ、どうだい? ばあちゃんが、どこにいるか、わかるかい?」

「ギイギ、ギギ?」


 手で耳を覆っても、音を完全には消せない。

 それでも、感覚器官が人より発達したゴブリンにとって、頼りになる音や匂いを制限されれば、どうなるだろうか? 必要な情報を制限されると、どう感じるだろうか?


 不安になるのだ。


 近くにさくらが居る事は、わかっている。耳を塞いでいるのは、ガアだ。

 でも、手を伸ばしても、さくらの場所がわからない。


 段々と、不安が恐怖に変わる。ギイは、鼻を摘まんでいた手を後ろに回し、ガアの存在を確かめる。その後、首を振ってガアの手を払いのける。

 そして布を強引に外し、さくらを見つけると、勢いよく抱き着いた。ギイの恐怖が伝わったのか、遅れる様にガアもさくらに抱き着く。

 

「ギイギ、ギギギイギ」

「そうかい、怖かったかい。ごめんよ、ギイ」

「ガアガ、ガア、ガガガアア」

「もう、やらないよ。心配しなくていい、ガア」

「あの、さくらさん。ぎいとがあ、おしえたい。めがみえない、こわさ?」

「そうだよ。だからあんた達には、これから来る子に、優しくしてあげて欲しいんだ」


 隆は視力を失っている。故に、ギイ達が正面に立っても、驚かれる事はない。

 だが、知っていて欲しかったのは、感覚器官を失う怖さだ。


 今まで見えていた、それを失った。それがどれほど怖い事か。

 ギイは身を持って体験したはずだ。ガアは、ギイを通じて理解したはずだ。クミルには、ギイの恐怖が伝わったはずだ。


「もし、外で見かけたら、助けてあげて欲しいんだ。出来るかい?」

「ギイ!」

「ガア!」

「はい!」


 さくらの問いに、三名は一斉に頷いた。

 

 視力を失った以上に、隆の心は深く傷ついているだろう。だが、今の状態を理解出来れば充分だ。後はこの子等が上手くやる。

 自らを犠牲にして、傷を負った優しい少年に、寄り添ってくれるはず。それが出来る子達なのだ。

 さくらは、少し安堵した。


 その夜、正一から連絡が入り、隆の訪問日を告げられた。


 ☆ ☆ ☆


 それから三日が過ぎ、夏休みが終わりに近づいた頃、隆を乗せた車は山道へ近づいていた。

 

 山道の入り口は、大型車両を使って封鎖されている。

 既に孝則が、通過予定の車種とナンバープレートを伝えてある。隆を乗せた車は、調査隊に止められる事なく、順調に山道を通過する。

 

 山道を抜けると、山道を封じていたのと同じ車両が、目に飛び込んで来る。

 村の状況は、政府の発表を通じて知っている。調査隊とは、上手く言ったものだ。停まっているのは、明らかに普通の車両ではない。

 この村が、自衛隊の監視下に入っているのは明白だ。慣れ始めた住人達とは違い、物々しいと感じるだろう。


「あなた、やっぱり引き返しましょ」

「あぁ。でも、ここまで来たんだ。親父達と話しをしてから」

「そんな事を言って! 隆はどうするんです?」

「大きい声を出すな! 隆、済まないな」

「ごめんね、隆」


 振り向かなくてもわかる、隆は俯いたまま、口を開こうとしない。問いかけても、反応を示さない。

 ここまでは、まだ良かった。


 農村部に近づくと、舗装された道が無くなる。

 あぜ道には轍が出来上がり、所々に雨水によって作られた、小さな窪が有る。


 また、都市部の市街地では、蓋の無い側溝を見かける事は、ほとんど無いだろう。しかし、この村ではU字溝が埋まっているだけで、グレーチング蓋すら設置されていない。

 それ以外に、農業用の水路も存在する。うっかり足を踏み外せば、大怪我を負いかねない。


 それだけに注視するならば、この村は視力に障害を持った者に、向かない環境であろう。

  

 母親の表情が、より険しくなっていく。腫れ物に触らぬ様、父親は口を閉ざす。

 車内の空気が張り詰めていく。その緊張は、目を通さなくても伝わる。


 庭先に車を停めると、父親が手を添えて、隆を車から降ろす。見方によっては、語り掛けても反応しない隆を、引っ張り出した様に感じたかもしれない。 

 そして出迎えた三堂夫妻を待っていたのは、久しぶりの団欒ではなかった。


 ☆ ☆ ☆


 正一から連絡を貰い、さくらは江藤を連れて、三堂邸へ向かった。

 さくらの後を歩く江藤は、片方の腕にノートPCが入ったバッグを担ぎ、体をゆらゆらと揺らしながら歩いていた。


 丁度、三堂家に近づいた時、甲高い声が響いて来る。響いてくる声は、ほどんど一つ。隆の母親だろうか。

 明らかに険悪な雰囲気を感じる。


 江藤はさくらに、視線を送った。一方さくらは、少し落ち着くのを待てと、仕草を返す。

 そして玄関先までたどり着くと、江藤は荷物を地面に置いた。


「目が見えないんですよ! こんな場所に置いておくのは、危険です!」

「外出する時は、わたしが付き添いますよ」

「介護が必要な年齢の方に、何が出来ると言うんです?」

「ちょっと待て! それは言い過ぎだ!」

「あなたは、少し黙っていて下さい! それに、病院はどうするんです? 遠いじゃないですか!」

「必要が有れば、車で連れて行くし、呼べば来てくれますよ」

「専門は? 外科ですか、内科ですか? それとも精神科ですか? この子のケアをしてくれるんですか?」

「専門的な事は、わかりませんよ」

「話しになりません! それに勉強はどうするんです? 遅れるだけですよ! それに、元教師の方は、最近亡くなったそうじゃないですか!」


 数軒先の距離から、聞こえた程だ。そのけたたましい声は、玄関先ですら、耳を塞ぎたくなる。

 

「正一さんと園子さん、よく耐えてますね」

「ほんとだよ」

「相手がさくらさんなら、蹴りが飛んできますね」

「不満ばかり言って、何もしない奴が、嫌いなだけだよ」 


 母親は過敏になっているのだ。

 子供を嫌う親は、どの位いるのだろうか。少なくとも、息子夫婦はそうではない。

 子供を案じるあまり、他者に強い態度に出る。それが過ぎると、モンスターと呼ばれる様になる。


 何か有ってからでは遅い。これ以上は、傷ついて欲しくない。息子が重大な障害を持つ事になったのだ、仕方ないと言えよう。

 しかし戦う相手が違う。息子夫婦は、冷静さを欠いていた。


 江藤が調べた所によると、息子夫婦は共働きだったらしい。そして、放任主義にも近い、教育方針だったらしい。

 のびのびと色んな事に挑戦して欲しい、そんな気持ちの現れだったのだろう。

 ただし家族として、会話を絶やす事は一切しなかった。


 隆が大人しい性格なのは、わかっていた。しかし、色んな事を話してくれる子だった。

 だから安心していた。


 しかし突然、大怪我をしたと連絡を受けた。慌てて駆け付け教師に事情を聞くと、随分前からいじめを受けていたと言われた。


 息子夫婦は、酷く混乱をした。

 なぜ気が付いてやれなかったのか、なぜ何もして来なかったのか。そうやって、自分達を責めた。

 自分達を責める想いが強くなる半面、怒りが強くなっていく。

 それよりも、今は隆の事だ。直ぐに、母親は休職届けを提出し、隆の付き添いをした。

 

 入院中、何度も担任教師が病室を訪れ、事情を話せと隆を問い詰めた。その度に、母親と口論になった。

 退院する前、医師からは後遺症が残ると言われた。その言葉は、息子夫婦に更なるショックを与えた。


 退院した以降、隆は部屋から出なくなった。食事もとらなくなった。無論、通院も拒んだ。

 そして、遂には視力を完全に失った。


 何を聞いても、答えてくれない。ドア越しに問いかけても、反応がない。思案の末に辿り着いたのが、環境を変える事であった。

 かつて隆が、はしゃぐように感動を示した場所。そこなら、隆の心を癒せるのではないか。息子夫婦はそう考えた。

 だが、実際に来てみれば、決して環境が良いとは思えなかった。


 ただ、漏れ聞こえてくる不満の数々は、目の前の老夫婦にぶつけるべきなのか?

 違うはずだ。そこに居る老夫婦は、隆の味方なのだ、息子夫婦の味方なのだ。

 怒りに任せて声を荒げ、攻撃していい相手ではない。


 さくらは、江藤に視線を送る。それは、介入する合図である。

 本来なら、身内の話しに割って入る様な、野暮はしない。だが、今回ばかりは違う。

 わざわざ三堂夫妻が、何故さくらの家を訪れたのか。それは、この状況を予知していたからだろう。

 

「邪魔するよ~」


 さくらは、玄関の戸を開けると、敢えて暢気な声を上げる。


「なんだい? なにか有ったのかい? 外まで聞こえて来たよ」


 玄関に座り込み、中まで聞こえる様に、さくらは大声で話す。

 普段なら、暫く待てば園子が出てくる。しかしその日、玄関までやってきたのは、正一であった。

 そして正一は、さくらと江藤に向かって、深く頭を下げる。


「悪いな。二人とも上がって、お茶でも飲んでってくれ」

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