第59話 足並みを揃えて 

 いつもの様に目を覚まし、出掛けていく。さくらは、ギイ達を見送ると、家事を熟しつつ出掛ける支度を整える。


 日常が戻って来る。

 男衆は畑や山へと向かう、女衆は忙しなく家の中を駆けずり回る。孝道と佐川は役場に向かい、江藤はPCのモニターを眺める。

 そしてこの日、孝則から連絡を受けて、さくらは散策のついでに役場へ寄った。


「よぉ、さくらぁ。悪いな、わざわざ」

「構わないよ、ついでだったしね。それで、何の用だい?」

「あぁ。実はな、先生の件だ」

 

 事務所の扉が開いたのを見るや、孝則は佐川に目配せをし、さくらに声をかける。

 しかし、さくらは首を横に振り、打ち合わせスペースへ向かった。そして、ソファに腰を下ろすと、リュックから水筒を取り出す。

 遅れてソファに腰を下ろした孝道は、静かに口を開く。


「遺言でな、私物を村に寄付してくれたんだ」

「はぁ? 何を貰ったんだい?」

「ほとんどが蔵書だ。後は、書棚や椅子の類だな。一応、二階の使ってないスペースを開放して、一時的な図書室にする予定だ」

「へぇ、そりゃ良い物を貰ったね。でも、見に来る奴は、いるのかい?」

「村の中じゃ江藤くらいだろ。お前も知ってるだろうけど、絶版になってる本も多いらしくてな」

「貴重な本は多いね。あたしも何度か借りたよ。それに、専門書から漫画まで揃ってるはずさ。先生は多趣味だったからね」

「この間、調査隊にその話をしたらな。是非、利用させて欲しいって奴がいてな」

「需要が有るなら、良いじゃないか」

「それとな、先生が育ててた鶏は、ヘンゲルの所で引き取ってくれる。蔵書を運ぶのと合わせて、諸々は調査隊がやってくれる」

「そうかい。話しはそれだけかい?」

「いや、お前に渡したい物が有る。厳密には子供等にだけどな」


 そう言って、孝則が差し出したのは、数冊の絵本であった。


「先生は、子供等にやるつもりで、用意してたらしい」

「なんて言うか、先生らしいね。有難く、受け取らせて貰うよ」

「まぁな。ほんと恩なんて、返しきれねぇよ。取り敢えず、後はめんどくせぇ、行政絡みの話しだ」

「その辺は、上手い事やっておくれ。頑張るのは、佐川さんだろうけどね」

「ったりめぇだ。俺の出番が増えたら、県の奴らが困るってもんだ」

「困った村長だよ、まったく」


 さくらは、苦笑いを浮かべて立ち上がる。そして、絵本と水筒をリュックに仕舞うと、少し口角を吊り上げる。


「善良な人ほど早死にするって、聞いた事は有るかい?」

「あぁ。それがどうした?」

「あんたは、あの世に嫌われてるんだよ。迷惑だから来るなってね」

「はぁ? なに言ってやがる! じゃあ先生はどうなんだよ!」

「先生は君子だからね。役目が有ったのさ」

「そんで俺は、ならず者だと?」

「違うのかい?」

「いや、違いねぇ」

「あんたは、先に逝くんじゃないよ。この村は変わるんだ。それまで、見届けておくれ」

「そりゃ俺の台詞だ、馬鹿野郎」


 昼を迎える頃には、ギイ達が戻って来る。ギイ達の帰宅に合わせて、さくらは自宅に戻り、食事の準備をする。

 昼食を食べ終わり、ギイ達が片付けをしている間、さくらは自室に戻り、絵本を手に取って居間へ戻る。

 そして、片付けを終えたギイ達に、絵本を広げて見せた。

 

「ギイ!」

「ガアガ、ガガ?」


 初めて出会う絵という概念は、ギイ達の好奇心をくすぐる。前のめりになり、食い入る様にして、絵を見つめ文字を追う。


 日本語を話し、理解を深めているクミルは、絵本が意味する所を理解したのだろう。感嘆の声を漏らし、繁繁と眺めていた。


「これは、絵本っていうんだ。子供が言葉を覚える為の物さ」

「ギギイ?」

「そうだよ、絵本だよ」

「ガアガ、ガガア?」

「よくわかったね。この絵が重要なんだよ」 

 

 先ずは、手に取った一冊を読んで聞かせる。

 時に鼻息を荒くし、時に歓喜の声を上げ、ギイとガアは物語に没入していく。対してクミルは、内容を噛みしめる様に、さくらの声に耳を傾けていた。


 読み聞かせる事で、言葉が絵によって明確なイメージとなり、脳に伝達される。それが想像力を発達させる事へ繋がり、知能の発達を促すのだろう。


 手元に有る絵本は、全てジャンルが異なる。

 童話や創作物語の様な想像を掻き立てる絵本から、単純な言葉遊びの様に文字を覚え易くする絵本、それ以外にも知識を高める為の絵本も有る。

 ギイ達の学習レベルを知る三笠だからこそ、成長に合わせた本選びをしたのだろう。


 ギイとガアは何度も、読んで欲しいとさくらに願った。その度に、物語を理解していったのだろう。

 コクコクと首を縦に振りつつも、質問を投げかける。

 

 何故、登場人物がそんな行動に出たのか? それは、童話や物語なら、当然感じる疑問だ。

 白雪姫は何故、見知らぬ者から貰った林檎を食べたのか? 浦島太郎は何故、玉手箱を開けてしまったのか?


 これらの疑問に対し、推測する事は可能だろう。しかし導き出した答えは、絶対的な正解だと言い切れまい。

 それでも、安易に正解を求めずに、自らの知恵で自らの答えに辿り着く。それが読書の醍醐味であり、知能を高める行為である。

 さくらはギイ達の疑問に対し、敢えて問い返した。


「あんた達は、どう思うんだい?」

「ギギ?」

「ガア?」

 

 幾ら知能が高いとはいえ、その問いに答えるのはまだ早い。ギイとガアはコテンと首を傾げる。


「あんた達なりでいいんだ、答えを出してごらん。幾らでもばあちゃんが、読んであげるよ」

「さくらさん、わたしも、よくわからない」

「それなら、一緒に考えておくれ。それとね、時間が有る時はあんたが、ギイとガアに読み聞かせておくれ」

「わたし? わたしで、いい?」

「これも練習だよ」


 さくらは、基本的に放任主義に近い。きっかけを与えて、どう行動するかを見ている。

 そして、成長の度合いを見ながら、次のきっかけを与える。

 

 生活の中に有る物は、名前と意味そして用途を理解している。畑で作業を孝道に習っている。そして平仮名の基礎は、三笠に習った。

 ギイとガアが、言葉が話せなくとも、いずれは文字で会話出来る様になる。

 この村で生活するには、困らない知識を身に付けていると言ってもいいだろう。


 次に必要なのは、何か? 


 更なる知識か? それとも計算を身につけさせる事か?

 違う、楽しいを教える事だ。


 今までの楽しいは、好奇心を満たした満足感だろう。これからは自ら考え、達成する喜びを教える必要が有る。


「さて、絵本はお終いだよ。みんな帽子をかぶって、庭に出な」

「ギイギ? ギギイギイ?」

「ガアガ?」

「直ぐにわかるよ」


 さくらはギイ達を外に連れ出すと、説明を始める。

 説明をしたのは、日本人なら誰もが子供の頃に、一度は遊んだ事が有る鬼ごっこ。だがギイ達は、存在自体を知らない。そしてクミルは、その説明を聞いて、直ぐに理解したのだろう。

 ギイとガアを相手にするには、知恵を絞らなければ、勝つ事は出来ない。


 ゴブリンは、森の中を住処にして来た。

 当然、森の中で飛んだり跳ねたりして来たのだ、ゴブリンの身体能力は存外に高い。その代わり、体の小ささ故か、持久力は人間に劣る。

 言わば直線上で逃げ、それを追うだけの単純なゲームなら、持久力に勝る人間が、勝利するのは必然だろう。


 鬼ごっこは体を使う遊びだが、性格や行動パターンを予測する事で、活路を見出せる。必ずしも、身体能力が勝負の決めてと、なり難いだろう。


 逃げて良いのは庭だけ、家の中や裏そして物置の上へ逃げてはいけない。それでもさくらの庭は、四トントラック三台が、軽く収まる程の広さがある。

 動き回るには充分、そして勝負が始まる。


 最初の鬼は、クミルになった。

 予想通りではあるが、ギイとガアは走り回って、クミルを翻弄する。ただ、時間を追うごとに、ギイとガアに逃げる範囲が狭められていく。

 クミルが、逃げ道を塞ぐ様に立ち回っているのだ。


 もし、ギイとガアがバラバラになって逃げ回っていれば、両方共に追い込まれる事は無かっただろう。

 だがギイとガアは、いつも一緒に行動する。そこをクミルに突かれたのだ。徐々にギイとガアは、垣根へと追い詰められる。後は手を伸ばすだけ。

 その距離まで詰めた所で、ギイとガアのコンビネーションが勝った。

 

 クミルの視線を引き付ける様にして、ガアが動く。クミルがガアにつられた所で、ギイが反対方面へ動く。この瞬間、クミルに隙が生じた。


 ギイは自らの存在をアピールする様に、敢えて飛び跳ねた。ガアに向けていたクミルの意識は、強制的にギイへ向けさせられる。

 次の瞬間には、ガアが逃げ去る。それを目で追った隙に、ギイが逃げ去る。


 ギイとガアの速さを封じて、追い詰めたクミル。それに対し、咄嗟の判断で逃げ切ったギイとガア。両者共に己の良さを活かした、好勝負であった。

 

「惜しかったね、クミル。ギイとガア、どっちかに狙いを絞ってたら、タッチ出来たかもね」

「はい。くやしい」

「ギイギ、ギイギギギ?」

「ガアガ、ガアガ?」

「あんたらは、逃げ方を工夫した方がいいね。鬼を変えて、もう一度やろうか」

「ギイ!」

「ガア!」

「はい!」


 遊びとはいえ、座学では身に付かない、判断力が養われるはずだ。またクミルに必要な、筋力や体力がつくだろう。

 何回か繰り返すと、さくらはギイ達を連れて家の中へ戻る。

 急ぐ必要はない、ゆっくりでいいのだから。


 居間で一休みすると、次は家事に取り掛かる。この時、孝道の作った小物の数々が活躍する事になる。


 ギイ達の背丈では、物干しにかけられた洗濯物に届かない。しかし、孝道が作ってくれた竿上げ棒のおかげで、洗濯物を取り込める様になった。

 また室内にも、ギイ達の背丈では扱い辛い物が多い。それまでは、空き箱を利用して、高さを補っていた。だが空き箱は、それ用に作られた物ではない。乗れば、ぐらつくのだ。

 孝道の作った踏み台のおかげで、安定して作業する事が出来た。


 洗濯物を片付け終わると、クミルが行っている掃除を手伝う。その間に、さくらは夕食の準備に取り掛かる。

 一人でやるよりは、手伝いが有った方が負担が少ない。それに、一緒に作業をした方が楽しい。


 そしてクミルは、手を動かしながらも、一日を振り返る。

 さくらが語ってくれたから、物語に没頭したのだろう。ギイとガアが一緒に走り回ったから、楽しかったんだろう。

 共に歩む事が、どれだけ幸せなのか、どれだけ凄い事なのか。

 クミルは改めて感じていた。 

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