閑話 変わりゆく集落

第58話 優しい食卓

 三笠の葬儀が執り行われた日、ギイとガアは居間の座卓でノートを広げていた。そして何度も文字を書き、発生を繰り返す。


「どうだい? 勉強は楽しいかい?」

「ギイ、ギイ」

「ガガガ」

「そうかい。でも、根を詰めたらいけないよ」

「ギイギ、ギイギイ」

「ガアガア、ガガガア」

「クミルかい? 夕方には帰って来るよ」

「ギギ、ギギイ?」

「ガガアガ?」

「そうだね、今夜は何を作ろうかね。何か食べたいのは有るかい?」

「ギギイ、ギギイギイ」

「ガアガ、ガガアガガア」

「カレーかい? わかったよ、ばあちゃんが美味しいのを作ってあげるよ」


 さくらは、優しくギイ達の頭をなでると、台所へ向かう。そしてギイ達は、嬉しそうに目を細めた後、再び発生を繰り返した。


 ギイ達は、誰かに言われたわけでは無く、自発的に始めた。

 言葉を話せる様になりたい、早く村の一員になりたい。例えその身が異形であっても、温かく接してくれる村の人達と、もっと仲良くなりたい。

 その一心で、三笠に習った事を反復しているのだろう。


 それを間違いだとは言わない。寧ろ、その小さい体で、出来る限りの事をしてきた。

 しかし今の状況が、ギイとガアにとって、必ずしも良い事とは限らない。


 薬も過ぎれば、毒になる。純粋な想いは、時として無垢な心を縛り付ける。


 さくらは知っている。

 ギイとガアは、うなされて目を覚ます事が有る。そんな時、決まってギイ達は、さくらの布団に潜り込んでくる。


 拭いきれない悪夢、それはギイ達の足を絡めとる。

 藻掻けば藻掻く程、嵌っていく蟻地獄の様に。やがて、それはギイ達の呼吸を止めるだろう。


 さくらは、腕をまくって、息を吐く。そして、炊飯器のスイッチを入れると、料理に取り掛かる。

 ギイ達の為に作るのは二品、オーソドックスな家庭の味と、店で提供される味だ。

 

 野菜を炒めて、市販のルーを溶かして煮込む。じっくりと弱火で煮込めば完成する、特に変哲もないカレーだ。

 次に作るのは、行きつけだった店の味を、模したカレーだ。


 先ずはフライパンで、一口大に切った牛肉を弱火で炒める。色がついたら、ワインを加えて煮込んでいく。


 煮込んでいる間、別のフライパンで、カレーのベースを作る。

 油を入れたフライパンに、刻んだニンニクを入れてから火を付ける。香りが立ったら、玉ねぎを炒めて、クミンシードを加える。その後、おろし生姜や複数の野菜を加えて炒める。

 調合したターメリック、コリアンダー、カイエンペッパーを加えた後、ホールトマトを入れて水気を飛ばす。


 更にヨーグルトを加え、チリペッパー、カルダモン、パプリカパウダー等、数種のスパイスと塩で味を調える。

 肉が柔らかくなった所で、カレーのベースに加えて、馴染ませれば完成だ。


 ☆ ☆ ☆


 スパイスの香りが、キッチンから溢れる。ギイとガアは、鼻をクンクンとさせながらも、勉強を続ける。

 

 やがて、料理が終わる頃に、玄関の戸が開く音がする。そして、ただいまの声と共に、クミルがキッチンに足を踏み入れる。

 気配に気が付いたさくらは、振り向く事なく声をかけた。


「おや、早かったね。あんたも、食べるかい?」

「はい、さくらさん」


 クミルの腹が、香りにつられて、ぐうと鳴る。

 参加出来なかったさくら達を気遣って、料理には余り口をつけなかったのだ。そういう子だ。

 さくらは火を止めて振り向くと、クミルの顔を覗き込む。それは、子を思う母の様に。


「吹っ切れたかい?」

「すこし、だけ」

「それで充分さ。偉いね、クミル」

「ありがとう、ございます」


 クミルは、少しと語った。だが、それでいい。

 理不尽な殺意、そして仲間達の死。悪夢と呼ぶには足りない程、残酷を体験したのだ。向き合う事が出来ただけ、充分だろう。

 さくらは、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「そろそろ出来上がるからね。あんたは、ギイ達と一緒に、片付けておくれ」

「ぎいとがあは?」

「勉強してるよ」

「そう、べんきょう……」

「気になるかい?」

「はい。ぎいとがあ、つらい、はず。わたし、きょう、いろいろ、まなんだ」

「教えてやりたいのかい?」

「はい……」

「そうかい、偉い子だ。でも、お腹いっぱいになってからにしな」

「わかりました」


 やがて、カレーが完成する。

 二種類のカレーを、半人前ずつ皿に盛りつけると、さくらは声をかける。

 直ぐにギイとガアが、音を立てて走って来る。その後ろを、クミルが追いかける。


 盛り付けた皿を、ギイ達が運んでいく。そして、皆が揃った所で手を合わせた。

 いただきますの挨拶と共に、皆がスプーンを手に取る。

 

 ギイとガアは、スプーンを巧みに使って、カレーを口に運ぶ。そして、嬉しそうな表情を浮かべる。

 さくらは、ギイ達の表情を見てから、食べ始める。


「ギイギ、ギイギイ!」

「ガアガ、ガガガア!」

「そうかい、よかったね」

「さくらさん。とっても、おいしい」


 刺激が食欲をそそるのだろう。ギイとガアは、スパイスをふんだんに使用したカレーを、一気に平らげる。

 次に、オーソドックスなカレーを口にする。

 

「ギイ?」

「どうしたんだい?」

「ギイギ。ギイギ、ギギギ」

「ガガアガガ、ガアガ、ガガガ」

「こっちが、いつものカレーだよ。違う味なのが、不思議かい?」

「ギイ!」

「ガア!」 


 やはり食べなれた味は、安心するのだろう。ゆっくりと味わう様に、ギイとガアは食べ進める。

 対してクミルは、味を確かめる様に、二つのカレーを交互に食べていた。

 

「しげき、かおり、すごい。いつもの、あんしん。なんで、こんなにちがう? ざいりょう、ちがう?」

「いや、基本的な食材は同じだよ」

「なんで、ちがいでる?」

「大きい違いは、スパイスの量。それと、作り方さ。作り方を変えるだけで、違う味になるだろ?」

「つくりかた、かえる? それだけ?」

「あぁ、それだけさ。あんたは、どっちが旨いと思った?」

「きめられない。りょうほう、おいしい」

「そうかい」


 やり方を変える、それだけで結果が変わる。だからといって、今までのやり方が悪い訳ではない。

 どちらを選んでも正解なら、好きな方を選べばいい。結果に至るまで、しっかりと歩めばいい。

 

「さくらさん。なにか、わかった。きがする」

「あんたは、賢いね。クミル」 

「ギイギ、ギギギ?」

「ガアガ、ガガガ?」

「勿論、あんた達も賢いよ」


 余程、気を張っていたのだろう。腹が満たされると、ギイ達は船を漕ぎだす。

 さくらは、寝室に布団を敷く様に、クミルへ頼む。


 さくらの手を握り、フラフラと歩きながら、ギイとガアは寝室へ歩いていく。そして、倒れ込む様に、眠りについた。

 最初の内は、毎晩の様に喚いた。宥めて寝かしつけるまで、かなりの時間を要した。


 さくらは、スヤスヤと眠るギイとガアを見て、胸をなでおろす。


「辛い思いをしたなら、その倍は良い事がなくちゃ割に合わないさ。幸せにおなり。ギイ、ガア」

  

 眠りについたギイとガアの腹を、優しく叩く。すると、子供らしい可愛い寝顔に、薄っすらと笑みが浮かぶ。


「あたしは、こんな事しか出来なくてごめんよ。でも、家族の温かさだけは、あんた達に教えてあげるからね」


 明りを消すと、さくらとクミルは寝室を出て、静かに襖を閉めた。


 ☆ ☆ ☆


 廊下を歩き、さくらとクミルは居間へと向かう。そして、食器を片付ける。

 

「今日は大変だったろ。あんたも、早く寝な」

「はい、そうします」

「あんたは、大丈夫なのかい?」

「はい。だいじょうぶ、です」

「そうかい、なら良かった」


 クミルは笑って見せる。それが作り笑いではない事は、さくらで無くともわかるだろう。


「さくらさん、あのかれえ、つくりかた、おしえてください」

「あぁ、いいよ。今度は、一緒に作ろうか」

「さくらさん、もっと、いろいろしりたい。わたしたちに、おしえてください」

「私達にかい?」

「そう。わたしだけ、だめ。わたし、ぎいとがあ、いっしょ、いきる。このむら、いきる。それで、さくらさん、むらのひと。みんなに、おんがえしする。だから、しる」

「そうかい、そうかい、わかったよ。頑張りな、あんた達のペースで頑張りな」

「はい。ありがとう、ございます」


 クミルは、食事に気を遣う以前に、食べる物を碌に与えられる事が無かった。食べなければ倒れる、だから口に運ぶ。それがどんな物であっても。

 それが当然だった。味わった経験がない。ましてや、母親を失ってから、一人で食事をしていた。


 ギイとガアが何を食料にして来たのか、それは森の恵みだ。

 木の実、草木、虫等、栄養価については、如何な物だろう。やせ細っているのは、当然かも知れない。寿命が短いのも、それが一因となっているのだろう。

 

 だが、問題は必要な栄養を摂る事ではない。心を満足させることだ。

 この世界に来て、食事を楽しいと感じたなら、それは心が満たされた証だ。


 怒りや破壊衝動、暴力がトラウマを生み出すなら、優しさはそれを緩やかに溶かしてくれる。それは、乗り越える力を与えてくれる。


 母に抱かれた温かさを、クミルは覚えているはずだ、ギイとガアは覚えているはずだ。

 何もかもを忘れる必要はない、辛い記憶を受け止められれば、それでいい。


 きっと、悪夢に縛られたまま一生を終える事はない。それは、誰かが優しく溶かしてくれるから。そして、明日に希望が持てる様になればいい。


 さくらは、確かな歩みを感じ、クミルに頷いた。その瞳は、今にも零れそうな程の、涙を湛えていた。

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