第60話 偶然と必然
適度な運動と食事が体を作る。また、適度に発散する事で、より良い睡眠を誘発する。
ギイとガアが夜中にうなされる事は、日を追って少なくなる。
いつもの様に目を覚ますと、ギイ達は孝道の手伝いへ赴く。朝の作業で孝道から告げられたのは、意外な言葉であった。
「今日の作業は終いだ。俺は、朝飯を食ったら街に行く。お前達は帰っていい」
午前中いっぱい手伝うのが、習慣になりつつある。
唐突に予定が無くなって、ギイとガアは困った様に顔を見合わせる。そんなギイ達を眺め、クミルは逡巡した。
帰った所でさくらは、好きな事をしろと言うだけだろう。では、何をすればいい?
昨日の様に、鬼ごっこか? 有りかもしれない。それに頼めば、さくらは別の遊びも教えてくれるだろう。
だがそれは、勉強の時間に充てている午後でもいい。
では家事か? 今頃さくらは、洗濯物を干している所だろう。掃除等は、皆で一緒にやった方がいい。
明確な答えが出ないまま、クミルは頭に過った考えを口にする。それは、責任感故の言葉なのだろう。
「たかみちさん、わたしたちだけ、さぎょうつづける。だめ?」
「有難いが駄目だ。勘違いするな、お前達に任せられないからじゃない」
「なぜ?」
「お前等は、手の抜き方を知らねぇ。倒れられても面倒だからな」
「ギギイギ、ギギギギ」
「ガアガガ、ガガガア」
「ぎいとがあ、やくにたつ、いってる」
「そんな事は知ってんだよ。もう少し慣れたら、任せる事も増える。それまでは我慢しろ」
孝道からは、自分達を案じる気持ちが伝わってくる。
作業をしていると、つい休憩を忘れてしまう。孝道が声をかけるから、忘れずに休憩を取る事が出来る。
暑い中で作業を続ければ、体力の無いクミルは倒れてしまうかもしれない。
ギイとガアは、未だ暑さに慣れていない。油断すれば、同じ様に倒れる可能性が有る。
自己管理すらまともに出来ないのに、ギイ達を気遣う事は出来るだろうか?
確かに孝道の言葉は正解なのだろう。ならば、空いた時間をどう使おうか。
考え込むクミルは、ふと顔を上げる。その時、目に飛び込んで来たのは、信川村の雄大な風景であった。
恐らく気のせいだろう。だがクミルは、山が自分に語り掛けた気がした。
「ぎい、があ。さんぽ、する?」
「ギギギ?」
「ガガガ、ガア?」
「さんぽ、さくらさん、やってる。わたしたち、このむら、あまり、しらない。だから、あるいて、しる、どう?」
「ギイ!」
「ガア!」
クミルは腰を屈めて、ギイとガアに問いかける。対してギイとガアは、元気に手を挙げて答える。
「いいじゃねぇか。さくらさんには、俺から伝えてやるよ。それと、今日の片付けはしなくていい。このまま、散歩に連れてってやれ」
「はい、ありがとうございます」
「一応な、言っておく。役場の方には行くな、山に近づくのも駄目だ。畑の周りだったら、誰かしらの目が届く」
「わかりました」
「ギイ、ギイ!」
「ガア、ガア!」
さくらから、この村の住民と地理的な事は教えてもらっていた。各家がどこに存在しているのかも、地図上では把握している。
だが、目にした事が有るのは、畑と家の途中に有る鮎川邸と三笠邸、それと桑山邸だけだ。それ以外は、全くわからない。
正直に言えば、興味が有る。いつかは、自分の足で村を見て周りたいと思っていた。
不意に訪れた機会に心を躍らせ、クミルはギイとガアの手を引いて歩き出した。
「ギギ、ギイ」
「そうだよ。ごうぜんさん、いえ」
「ガア、ガガア」
「そうだね。向こうに、みえる、せんせいのいえ」
「じゃあ、つぎ。へんげるさん、いえ、わかる?」
「ギイ、ギイギイ!」
「うん。さくらさんにも、あいさつ」
「ギイギイ!」
「たのしみ、だね」
クミルの言葉に、ギイ達は繋いでいない方の手で、何度か胸を叩いた。
任せろ、そんな感情がクミルに伝わってくる。やはり、ギイ達の知能は高い。
ゴブリンとは、ここまで知能が高い生物だったか。いや、もう人間と変わらない。自分と何も変わらない。
兄妹は居ないが、もし弟か妹が居たら、どんな感じだろう。彼らがそうだったら、どれだけ嬉しいか。
一緒に過ごした時間は短い。でも、濃密な時間を過ごした。多分、もう家族なんだ。
クミルは、ニコリと笑って見せる。自然で、素直な笑顔に、ギイ達は満面の笑みで答えた。
途中で華子に声を掛けられ、休憩がてら他愛も無い話しをする。そこにヘンゲル夫妻が加わり、故郷の風景を話してくれる。
ギイとガアには、どの話も新鮮であろう。クミルは生活の違いに、興味を惹かれる。
新たな知識との出会いは、心を躍らせる。想像を膨らませ、耳にした風景を頭に描く。
世界の広さを知れば、狭い世界で思い悩む事が、勿体なく感じて来る。
風のささやきが、芽生えたての緑を撫でる。
一度は、作物を奪われた。しかし、こうして再び芽吹いた。この豊かな土地に支えられ、いずれは実りをつける。
「僕らはね、歳を取ってから、この村に来たんだよ。そうさ、幾つになっても、始められる。年齢は関係ない、前に進むかどうかさ」
ライカの言葉は、クミルの胸に響いた。
ギイとガアには、少し難しい内容だったかもしれない。それでも、何かを感じたのか、小さな拳を握りしめていた。
「ありがとう、ございます、らいかさん。それにしても、にほんご、じょうず」
「ははっ、君に触発されたんだよ。僕らは君の先輩だからね、君より上手くなりたいと思ったのさ」
「そう。でも、すごい。そんけいする」
「ありがとう。でも、君達はもっとすごいよ。クミル、ギイ、ガア」
クミル達は、華子等に頭を下げると、再び歩き出す。途中で、さくらに報告する為に家へ寄る。
さくらから、明るく声を掛けられ、送り出される。
ヘンゲル邸を越え、歩みを進めると、園子に声を掛けられる。そして、三堂邸の縁側に腰かける。
園子は、お盆を持って襖を開ける。お盆の上には、手作りだろう菓子と、グラスに入った飲み物が乗っていた。
ギイとガアは口いっぱいに頬張ると、笑みを浮かべて、手をバタバタとさせる。全身で喜びを表せば、作る側も嬉しいだろう。
「ギイ、ギイギギギ」
「ガア、ガアガア」
「おいしい。ぎいとがあも、よろこんでる」
「そう、良かった。こんなので良ければ、いつでも作ってあげるわよ」
「ギイ、ギイ!」
「ガア、ガア!」
菓子を食べつつ雑談をする。
炎天下の中で散歩をするクミル達の為に、エネルギーの補給と休憩を与える。それは、菓子の甘さに引けを取らない、園子の心遣いなのだろう。
程々に休息を取り、園子に礼を述べた後、クミル達は散歩を続ける。
三堂邸を超えれば、川を越えるまで、住人が居る家屋は存在しない。やや空気が変わったのを感じる。ここからは、クミルの記憶に似た風景が続いた。
崩れかけた廃屋と、それを囲う草木が、クミル達に現実を突き付ける。しかし、自然と怖さを感じなかった。
それは、住人達から心を貰ったから。
「ギイ、ギイギギイ?」
「そう。すむひと、もういない」
「ガア、ガガアガガガ」
「そうだね。ひとから、むしのすみか、かわったね」
「ギギ、ギイギギ、ギギギギイ」
「そうかも。わたしにも、きこえる。とても、にぎやか」
ゆっくりと歩みを進めながらも、川に辿り着いた時だった。ギイとガアが立ち止まる。
何かを見つけたのかと思い、クミルは辺りを見回す。しかし、特別に変わった所は無い様に見える。
「ギギ、ギギギイ」
「そろそろ、もどる? おひる?」
「ガガア。ガアガ、ガアガアガガ」
「そうだね。さくらさん、しんぱいする」
「ギイギ、ギギイ、ギイギイ」
「うん。さくらさんのごはん、おいしいね」
「ガアガ、ガガア、ガアガアガ?」
「それは、まほうだよ。おいしくなる、まほう」
「ガガア、ガガガガ?」
「みのりさんも、つかってたよ。わたし、まだ、うまくない」
「ギイギ、ギイギイギ」
「そう? ありがとう」
クミルはギイ達の頭を少し撫でると、引き返そうと振り返る。その瞬間、道の脇にキラリと光る何かが目に入った。
クミルはギイ達の手を離すと、何かが光った場所へと向かう。そして、注意深く道の脇を見ると、そこには有り得ないはずの物が転がっていた。
「なぜ、これ、ここに?」
「ギイ?」
「ガア?」
「しんぱい、ない。でも、ふしぎ。これ、こわれた。それに、ここにない。あるはず、ない」
クミルが見つけたのは、ネックレスの欠片だった。
形見のネックレスは、クミルの命と引き換えに、砕け散った。欠片に残った僅かな力で、世界を繋いだ。
だが、この村に辿り着いたのは、ここではない。この場所を、クミルは訪れていない。
それなら何故、こんな場所にネックレスの欠片が有る?
そんなことを考えながら、ネックレスの欠片を手に取る。その瞬間、クミルの脳内に映像が流れた。一瞬の事だった。でも、しっかりと脳裏に刻まれた。
流れたのは、母の笑顔。そして、クミルは理解した。
さくらが助けに来てくれた。命を救ってくれて、この村に連れて来てくれた。
貞江は弱った体を元に戻してくれた。先生は言葉を教えてくれた、色々な知識を授けてくれた。孝道は農業を教えてくれた。みのりは、掃除や料理を教えてくれた。
偶然じゃない、全て母の導きだ。
それを理解した時、クミルの瞳から涙が零れた。
クミルの様子を見たギイとガアは、クミルの下に駆けつけ心配そうに見つめる。そして、涙を拭おうと、手を伸ばした。
「ありがとう。ギイ、ガア」
クミルは、ギイとガアを抱き寄せた。思えば彼らと出会ったのも、偶然じゃ無かったのかもしれない。
「わたし、ははに、たすけられた。さくらさん、むらのひと、みんなに、たすけられた。こんどは、わたし、みんな、たすける」
「ギイギ、ギイギギギ!」
「ガアガ、がアガアガ!」
「そうだね。いっしょ、がんばろう。みんなに、おんがえし、しよう」
ずっと守られて来た。母に、さくらに、三笠に、村の住人達に。この村に辿り着いたのが必然なら、今度は自分が守れる様な存在になりたい。
この日、クミル達は決意を新たにした。
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