六章 学びと成長
第49話 特別な朝
八月十日の定期記者会見を経て、報道各社は自社のメディアを利用し、正式に謝罪を行った。
これにより、事態は一気に沈静化するはずだった。しかしその実、ネット住民の攻撃対象が変わっただけであった。
宮川グループは、最初に行った会見で、誤報道である証拠を幾つも叩きつけた。また政府も、偏向報道や違法行為について、非難をしている。
だがその後に、報道された一部の内容について、政府が事実確認をする事になった。
騒動に感心の有る者達は、真偽が明らかになるまで、沈黙を続けていた。
そして定期記者会見を経て、それまでのフラストレーションを爆発させる様に、様々なマスメディアを攻撃し始める。
これを受け、十一日の午前中に、宮川グループの会長である宮川敏久が、文章で見解を発表した。
今、メディアの意義を見つめ直す時期が、訪れているのではないでしょうか。
正しい情報の伝え方とその必要性は、マスメディアだけでは無く、ネットを利用する全ての方々が有するべきでしょう。
発言には責任が伴います。それは、周知の事実でしょう。一過性の快楽に興じ、無責任に他者を嬲る事は、決して褒められる事ではありません。
我が社は、これ以上報道各社を責めるつもりは、ございません。そして社屋に対し、投石をなさった方々を、責めるつもりもございません。
許し合える事が、何よりも肝要だと感じております。
この発言は、多くの企業に支持された。
そして、契約解除を求めて争っていたスポンサー企業が、解除要求を撤回する事になる。また、宮川グループの株価は上昇、そして各メディアへの攻撃は沈静化を始める。
但し、ここまでが仕組まれた事だとは、誰も考えはしなかったはずだ。
幾ら控える様に言われても、野次馬的な感覚で村を訪れようと考える者は、少なくなかっただろう。
結果的に記者会見以降、信川村の話題が上る事は無く、直接訪れる者も居なかった。
村に関する話題が注目を浴びない様にした上で、攻撃対象を各メディアに設定した。これにより周囲の目線を、信川村から逸らす事に成功したのだ。
用意周到な策略だと言えよう。
これは、決して正しい行いとは言えまい。それでも、大切な命を守る為に行ったのだとしたら、どうだろうか。
是非は、後世の歴史に任せればよい。
そして当の信川村では、久しぶりに訪れた穏やかな日常を、各人が満喫していた。
郷善や孝道ら農業組は、畑づくりに精を出す。猟師組である幸三と洋二は、体を休める。
女性陣は、自宅の家事や夫の手伝いに勤しむ。
また孝則と佐川は、引き続き滞在する事になった調査隊のリーダーと、話し合いを行っていた。
調査に伴う一時的な滞在であれば、廃屋に近い建物で構わなかった。ただ近い将来、国会の承認を経て、新たな基地を村に造る予定である。
故に、建造予定地の策定を含む、新たな滞在地を整える必要が有る。
「どの辺が、あんたらにとって都合が良いんだ?」
「そうですね、村の入り口付近でしょうか」
「そりゃあ、山道の辺りって事か?」
「そこから、役場に寄った辺りです」
「まぁ。そこなら、今は空き地が多いからな。それに、あの辺りは国有地になってるはずだ」
「ええ、それも確認済みです。老朽化している建造物の解体が必要ですが」
「そんであんたらは、この村で何をするつもりだ?」
「御懸念は、尤もです。ですが、ご安心ください。我々は、皆さんの味方です。無論、この村で見聞きした事は、他の隊員を含めて口外致しません」
「別に、そんな事を疑ってる訳じゃねぇよ」
「個人的には、彼らに興味が有ります。それとは別に、この村で起きた出来事は、間違いなく奇跡です。そして、その奇跡を害する者から村を守れるのは、我々だけだと自負しております」
「大層な事を言うじゃねぇか」
「まぁ、村を囲む山脈が、訓練に最適なのも、本音ですよ」
「けっ、面白くねぇ野郎だ。だが、あんたらを信用する」
悪態をつきながらも、孝則の表情は明るかった。そして孝則は、調査隊のリーダーと握手を交わす。
「それと、これは管轄外の事ですが。新たに道路を建設するとなれば、村の北部が適当でしょう」
「何でだ?」
「交通の便、それと工事の簡便さ。そんな所でしょう」
「それも込みで、入り口が監視出来る位置って事か?」
「概ね、仰る通りです」
「ったく、食えねぇ野郎だ! ただなぁ村の連中は、表立った歓迎はしねぇよ。どうせ住んでんのは、ジジイとババアだ、ゆっくり距離を詰めてくれ。それに、色々と力を貸してくれると助かる」
「地方公共団体との連携は、職務に含まれます。ご要望の旨、承知しました」
「どうせ、あんたらの事だ。国家公務員倫理法とやらに抵触するとか何とか言って、渡した支援物資には手を付けて無いんだろ? 悪いが、他の被災地に送ってやってくれ。必要以上の支援は、贅沢ってもんだ。俺達は農家だ、食いもんは育てりゃいい」
「承りました。責任をもって、対処致します」
元より、揉める話し合いではない。また、悪態を聞き流し、温和に話しを進める調査隊リーダーの姿に、孝則は好感を持ったのだろう。
佐川が口を挟むまでも無く、話し合いは終了する。そして一同は、計画地の確認をする為、役場を後にする。
一方で、さくらはのんびりとした朝を過ごしていた。
川より小の字が近いだろう。布団の上には、さくらを挟んでギイとガアが寝息を立てる。さくらの傍に居る事で、安心しているのだろう。ギイとガアは、朝まで熟睡していた。
さくらもまた、忙しい日々を過ごしていた事から、疲れていたのだろう。いつもより、少し遅くまで寝ていた。
昨日は帰宅した直後に、ギイとガアがさくらに飛びついた。そして、出迎えたみのりは、さくらにお茶を出すと、自宅へと戻る。
いつまでも佐川美津子らに、自宅の家事を任せる訳にはいかない。
恐らく彼女らは、気にするなと笑うだろう。しかし、余計な負担をかけず、本来あるべき状態に、戻るべきなのだ。
それがさくらの希望でもある。
「ありがとう、みのり」
「わたしも楽しかったです。またね、ギイちゃん、ガアちゃん、クミル君」
「ギギャギャ、ギイギ」
「ガガガ、ガアガ」
「ありがとう、ございます。みのりさん」
ただ、みのりがさくらの家を離れて、家事を誰が行うのか? それは、さくらではなく、ギイとガア、そしてクミルであった。
余程みのりの教え方が良かったのか、それともギイ達の覚えが良かったのか。恐らく両方だろう。
ギイとガアは、掃除洗濯だけでなく、簡単な調理の手伝いが出来る様になっていた。
さくらの手をひっぱり台所に行き、誇らしげに食器を洗う様を見せるのは、子供らしいと言えよう。
そんなギイとガアの頭を撫で、さくらは笑顔を見せる。それはギイ達にとって、何よりのご褒美だったのかもしれない。ギイ達は嬉しそうに破顔した。
成長したのは、ギイ達だけではない。クミルは、みのりがさくらの家で行っていた事のほとんどを、出来る様になっていた。
明くる朝、寝ているさくら達を目覚めさせたのは、家の中に立ち込める、味噌汁の香りであった。
ぐぅと、ギイとガアの腹が鳴る。そして寝ぼけながら、ギイ達は鼻をひくひくとさせる。そんな姿を、寝ぼけ眼で見やったさくらは、ギイ達の体を揺らす。
「ギャァアギィャ」
「グゥァウアウァ」
欠伸なのか、寝ぼけているのか、判別がつかない。それ以前に、さくらの頭もはっきりとはしていない。
ボケっとしながらも、体を起こそうとするさくらに、ギイとガアはしがみつく。ギイ達の重みで再び横になったさくらが、このまま二度寝に突入するかと思われた時、襖の外から声が聞こえた。
直後、襖が開き顔を覗かせたのは、クミルであった。
「ごはん、できて、ます。おきて、ください。いっしょ、たべましょ」
「起きな、ギイ、ガア」
「ギャウア、ギャア」
「ガアァァ」
「寝ぼけてんのかい? お腹空いたろ?」
「ギイ、ギィィヤ」
「ガア、ガァァァ」
「おきる、ぎいとがあ。ごはん、さめる」
「ギイ!」
「ガア!」
ご飯が冷めるという言葉が、大きかったのかもしれない。さくらとクミルの二人に揺らされて、ギイとガアは目を覚ます。
さくら達は、顔を洗い段々と覚醒していく。そして居間へ入ると、既にちゃぶ台の上には、朝食が並んでいた。
ご飯に豆腐の味噌汁、漬物と卵焼き。充分な朝ごはんだろう。
「クミル。これは、あんたが作ったのかい?」
「はい。でも、だしは、みのりさん、つくってくれた」
「充分だよ、頑張ったねクミル」
昨晩は、みのりが作ってくれた晩御飯を食べた。故に、クミルがここまで出来る様になっていたとは、気が付かなかった。
ご飯は、米を研いで炊飯器のボタンを押せば完成する。漬物は、切って皿に並べるだけ。これ自体は、そう難しい作業ではない。
だが、味噌汁は調理が必要になる。無論、玉子焼きもだ。
作り置きした出汁を使ったとしても、味噌汁と呼べる物になっている。玉子焼きに関しても、焦げが見当たらない。
充分過ぎる出来栄えだろう。
皆が座り、手を合わせると、一斉に箸を取る。
クミルは、入院中に貞江に教えて貰ったのだろう。器用に箸を使って、食事をする。
だが、ギイとガアは箸を使えなかった。またさくらは、ギイ達が箸を使えなくても、何も言わなかった。
そんなギイ達が、箸を使ってご飯を口に運んでいる。ぎこちなさは残るが、充分な成長だ。
みのりが教えたのだろう。それとクミルも協力したに違いない。
子供達の成長に、流石のさくらも、それには驚きを隠せずにいた。さくらは呆然と、子供達が食事をする様を眺める。
そんなさくらに、クミルは問いかけた。
「さくらさん、たべない? しょくよく、ない?」
「いや、そんな事は無いよ。頂くよ」
ギイとガアが、夢中になって食べている所を見れば、成否は味わって確かめる迄も無い。
最初にさくらは、味噌汁に口をつける。
いい塩梅だ。ちゃんと、さくらの好みを理解して、作ったのがわかる。
次にさくらは、ご飯を口に入れる。
これは、特に心配はしていなかった。失敗するのは、米を研がずに炊いた場合だろう。
特にぬか臭さは感じない。成功だ。
最後にさくらは、玉子焼きを口にする。
これも、さくらの好みに近い味だ。そして形状は、オムレツではなく、厚焼き玉子に近い。恐らく、何度も練習をしたのだろう。
上出来だ。それに練習すれば、もっと美味しくなるだろう。
「美味しいよ、クミル。凄いじゃないか」
「まだまだ。みのりさん、りょうり、もっとおいしい」
「あんたは、覚えたてなんだ。みのりと比べても、意味ないさ」
クミルのそれは、日本人らしい謙遜ではない。現実と理想を比べて、足りないと語っているのだ。
だが、クミルの声は明るい。恐らく、さくらに褒められた事で、自信をつけたのだろう。
その自信は、食べる側にしか、与える事は出来ない。
「ギイ、ガア。あんたらも、偉いよ。箸が使える様になったんだね」
「ギイギイ、ギギギギイ!」
「ガアガ、ガガガガ。ガガガッガアガ!」
「そうかい。頑張ったんだね、偉いよ」
ギイ達は、存外器用なのだ。教えれば、箸を使えただろう。それは実際に、証明されている。
さくらが敢えて指摘しなかったのは、覚えたいと思ってからで充分だと判断したからだ。
またさくらは、クミルに家事を覚える様に仕向けた。
だが、熟せる様になれとは言っていない。ゆっくりやればいいと、語っているのだ。
さくらは、心が温かくなるのを感じていた。
成長するのは、喜ばしい。何より、子供達から想いを感じる。
ギイとガアは、さくらと同じ様に食事をしたかったのだろう。だから、頑張った。
クミルは、さくらに美味しい食事を食べさせたかったのだろう。だから、さくらの好みの味を覚えた。
ようやく、普通の日常へと戻ったのか?
いや、違う。今日は、特別な朝だ。
さくらは、嬉しさを噛みしめながら、朝食を口に運ぶ。
そこには、笑顔が有った。食卓は、喜びで溢れていた。
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