第48話 信川村への帰還

 八月十日、ようやく全ての調査日程が、終了する。

 華子に起こされた幸三は、日が昇る前に調査隊と合流する。そして、日が昇ると同時に、調査隊を引き連れて山へ入った。

 同時刻、携帯食で腹を満たした洋二達は、下山を始めた。 

 一方さくらは、孫の敏和と息子の敏久、出社時間の違う二人を見送った後、ゆったりと過ごしていた。


「お母さま。もう少し寝てらしたら良かったのに」

「あの子達を見送る事なんて、もう無いかもしれないからね」

「寂しい事を言わないで下さい、お母さま」

「悪かったよ。でもね洋子、あたしはあんたが居てくれるから、安心して村に帰れるんだ。ありがとう、洋子」

「そんな、私なんて」

「謙遜するもんじゃないよ。家を守るなんて、あたしには真似できないんだ。あんたは、自慢の嫁だよ」

「お母さま……」

「さて、電話を借りるよ」

「はい。ご自由にお使い下さい」


 洋子に了解を得ると、さくらは電話をかける。相手は阿沼、目的は検査の報告と、今後の対応に関する確認である。

 数コールもしないで、阿沼が応答する。


「お早いですね」

「まぁね、年寄りは朝が早いんだよ」

「久しぶりの家族団欒は、如何でした?」

「良いもんだね。孫が段々と、生意気を言う様になって来たんだ。成長が楽しみだよ」

「それは何よりです。ところで、検査の結果は如何でした?」

「異常はなかったよ。結果の報告は、そっちに届くはずさ」

「ありがとうございます」


 ここまでは、挨拶程度の会話だろう。

 ここからさくらの表情は、少し真剣なものに変わる。


「ところで、あんた。この後の事は、どうするつもりだい?」

「さくらさんには、釈迦に説法でしょうけど。風評被害の拡散防止対策による、ネガティブワード削除なんて、どの企業でもやってますよ。表立った情報統制をして、余計な疑念を持たれるより、専門業者に任せる方が効果的なんですよ。これについては、息子さんがやってくれるそうです」

「相変らず、手回しがいいね。敏久からは、何も聞いてないよ」

「余計な負担をかけさせまいと、考えたんでしょうね」

「それで、自衛隊の件は?」

「根回しは済んでます。何と言うか、さくらさんの名前を出しただけで、野党の連中が大人しくなるんです。取り敢えず、基地の新設が第一フェイズですね」

「そうかい。その辺の段取りは任せるよ。上手くやりな」


 これは、他人には聞かれたくない話しだろう。

 さくら自身、策謀めいた行為をしたいとは、考えていない。だが、そうせざるを得ないのは、現在のネット社会が内包している問題よりも、人権に関わる問題が大きいだろう。


 例えばギイとガア、そしてクミルの存在を公表して、世間はどんな反応を示すだろうか。

 興味だろうか、疑念だろうか、中傷だろうか。それよりもっと酷い、無関心だろうか。


 恐らく否定的な意見が、多数を占めるだろう。

 その中に含まれる、無関心故の右に倣えは、否定するより苛烈な攻撃を加え、いとも簡単に心を踏みにじるはずだ。


 今回の騒動が大きくなったのは、マスメディアの誤報道が要因である。

 報道の仕方自体に問題が有ったとしても、流出した映像が騒動を加速させた。

 しかし、他者に寛容である社会にまで成熟していたら、ギイ達を隠す必要は無かった。

 

 全ての人間は生まれながらにして自由であり、且つ尊厳と権利について平等であると、世界人権宣言の中で謳われている。


 ただしこれが適用されるのは、人間のみだろう。

 例えば動物や昆虫が、人間同等の知能を持って活動を初めても、この権利は当てはまるまい。

 少なくとも、尊厳と権利が謳われているにも関わらず、同じ人間の中で差別が無くならない。

 これは、国外だけの問題ではない。日本を含めた、人間全体の問題だ。

 

 まだ人間には早い。

 ギイ達の様な存在を容認するには、精神的、社会的な成長が足りない。

 故に、混乱を来さない為には、隠蔽するしかない。いずれ、人間という存在が、成熟するまで。


 阿沼とて、さくらの存在が有ったから、迅速な行動を起こしたのだろう。

 しかし、彼らとの迎合は奇跡の産物だ、何が何でも守りたい。そんな想いが、阿沼には有るのだろう。

 それは阿沼が、清濁併せ吞む度量の大きい人物だから、考え得るのかもしれない。


「調査報告が上がってないのに、おかしな話ですが。既に会見の原稿は出来上がってます。後は、お任せ下さい」

「あぁ、頼むよ」

「それと、昼までには、そちらに迎えをやります」

「助かるね。ありがとう」

「では、また」

「あぁ、よろしく。阿沼さん」


 電話を切って間も無く、洋子がお茶を運んでくる。

 さくらはお茶を啜りながら、ほっとした様な笑顔を浮かべた。そんなさくらを眺め、洋子は少し昔の事を思い出していた。


 かつて洋子は、さくらの秘書を務めていた。

 洋子には、胸を張れる程の学歴は無い。そんな洋子を、引き立てて秘書として使ったのは、さくらであった。

 楽しい事ばかりでは無かった、辛い事も有った。沢山叱られた、その倍褒められた。さくらには、色んな事を教えて貰った。


「こうしてると、昔を思い出しますね」

「はは、そうかもね。今も昔も、あんたには助けて貰ってばかりだ」

「そんな、私は至らない事ばかりです」

「それを言うなら、あたしはもっとだよ。後悔しない日は無かったさ」


 かつてさくらは、戦災孤児を集めて、子供達が生きる為の組織を作った。

 さくらと同様に戦争孤児を集めて、生き残る為に足掻く集団が、他にも存在した。その中でも、大人達と対等に渡り合うまで規模を拡大した集団のリーダーが、後にさくらの夫となる宮川敏則である。


 当初二つの集団は、自らの縄張りを確保する為に対立していた。しかし幾ら集団を作っても、所詮は子供の集まりである。

 大人達は勿論の事、闇市を牛耳るやくざには、対抗する手段を持たなかった。

 故に二つの組織は、生き残る為に手を組むことになる。後に二つの組織は、それぞれのリーダーを中心に、会社を設立する。


 朝鮮特需の影響を受けて起きた神武景気は、戦争特需が意味する所から、一部の産業に需要が集中し、他の産業を活性化させるに至らなかった。

 故に、雇用増加に繋がる事はなく、内需の拡大をさせる事もなかった。そのせいか数年も経たずに、不況に陥る。

 会社組織となった二つの集団は、生き残る為に必死だった。


 男性である夫の敏則が、外で働くのは極一般的な考え方であろう。女性が家を守る、それが当然だった時代、さくらは経営者だった。

 さくらは、経営者として充分な素養が有ったのだろう。しかし母としては、不十分だったかもしれない。

 

 両親共に、朝から晩まで休みなく働く。当然、幼い息子と顔を合わせる事は、ほとんどなかった。息子の面倒を見ていたのは、昔からの仲間達であった。


 後悔しない人間などいない。だが、一代で会社を大企業にまで成長させるのは、並大抵の努力で成し得る事ではない。

 良い母でなくてもいい。息子と真っすぐに向き合う事が出来れば、それでいい。


 全ての行動に嘘が無い様になんて、出来る筈が無い。だが、息子に母だと胸を張れる様に、精一杯の努力をした。

 

 夫婦共に、息子を後継ぎにしようとは、考えていなかった。

 そもそも優秀な人材が居れば、その者に承継させるべきであり、親族に承継させる必要性は何処にも無い。

 だが結果的に息子は、夫と自分が残した会社を継ぐ存在へと成長した。


 その息子を、精神的な支柱として支え続けて来たのは、妻の洋子で有る事は間違いない。かつての仲間達、そして洋子がいなければ、今の状況は有り得ない。

 洋子には、感謝してもし足りない。それが、さくらの素直な想いだろう。


 昔の話に花を咲かせていると、時間はあっという間に過ぎ去る。迎えの時間が近づき、さくらは出発の準備を整える。

 そして、呼び鈴が鳴る。


 扉の前に立っていたのは、運転手であろうか。門の外には、タクシーが停まっている。

 そしてさくらは、洋子に別れを告げ、さくらは車に乗り込んだ。


 タクシーが走り出し数分も経たずに、さくらは寝息を立て始める。

 昨晩は、遅くまで息子達と語り明かし、今朝は早くに起きたのだ、眠くもなる。


 思いの外、順調だったのだろう。昼を過ぎる頃には、村へ続く山道へ差し掛かる。また、村の出入りを規制していたせいか、山道は混んでおらず、直ぐに村へと到着する。


 村に入り少し進むと、空き地に並ぶ中継車が目に付く。そして役場の前には、人だかりが見えた。

 緑の作業服で身を包んだ男達が、調査隊だろうか。よく見れば、役場の入り口を塞ぎ、取材陣を中に入れない様にしている。


 タクシーが役場に到着すると、取材陣が役場の入り口からタクシーへ近づき始める。それに先んじて、調査隊が通路を確保する為、取材陣を制した。

 タクシーを降りたさくらは、調査隊に守られる様にして、役場に足を踏み入れる。

 そして、外のざわつきに気が付いたのか、孝則と佐川が飛び出して来た。


「さくらぁ、無事なのか? なんともねぇのか? 妙な事されたんじゃねぇのか?」

「あんたは、相変わらず馬鹿だね。見てわからないのかねぇ? それで、よく村長が務まってるよ。佐川さんがいなきゃ、今頃この村がどうなってたか」

「心配してたんだ。そんな言い方すんじゃねぇ!」

「悪かったよ。でも、あたしはそんなに、老いぼれちゃいないよ。あんたもそうだろ?」

「心配されてる内が花だ。素直に心配されとけ」

「それより村長。立ち話はその位にして下さい。さくらさん、お疲れさまでした」 

「ありがとう、佐川さん」  

 

 孝則と佐川の後に続き、さくらが事務所に入る。

 事務所を利用し、調査報告を纏めていたのだろう。事務所内に居た数名の調査隊員が、素早く立ち上がり、さくらと挨拶を交わす。

 

 本音を言うなら、さくらはそのまま自宅へ戻りたかっただろう。

 既に、ギイ達は自宅に戻っているはず。早く帰って、ギイ達を撫でてやりたい。頑張ったねと、優しく声をかけてやりたい。


 阿沼の事だ、想定外の事が起きるとは考えられない。だが念のため、記者会見が終わるまで、事態を見届ける必要が有る。


「ところで、あんたら。報告書はメールかい?」

「はい。脆弱性のチェックは、何度も行いました。問題ないかと思われます」

「何か有っても、あたしらは責任取れないよ」

「わかっております」


 本来、報告書を受け取って直ぐに、記者会見でその内容を発表するなど、有り得ない事だろう。ただ作成した報告書は、形式的な物で有り、事前に定められた内容を記載するだけである。

 さくらがお茶を啜り始める頃には、報告書の送付が完了する。そして、事務所で待機していた一同は、TVを点けて記者会見の時間を待つ。


 阿沼は午後の定例記者会見上で、未確認生命体の存在は確認出来ない、以前に存在していた痕跡も確認出来なかったと発表した。

 更に阿沼は、いたずらに信川村を訪問し、被害に会った住人達を刺激する事を控える様に告げる。その上で、本騒動における村の安全確保の為、調査隊を引き続き滞在させる事も発表した。


 記者会計が終わると、取材陣は村長である孝則に対し、インタビューを求めた。

 そして、孝則はカメラの前で語り始める。


「疑念が払拭された事は、喜ばしく思っています。また、日本各地の心有る方々から、ご支援を頂いた事に、この場を借りて感謝の意を表したい」


 入り口の陰に隠れ、聞き耳を立てていたさくらは、孝則にしては珍しい堅い言葉に、目を丸くしていた。

 そして、孝則の言葉は続く。


「ただ、これ以上の支援品をお送り頂く事は、ご遠慮頂く様にお願い申し上げます。私は皆さまのお心を頂戴し、一早く元の状態に戻る為、そして村と住人達に平穏が訪れる様、調査隊の方々と力を合わせて尽力していく所存です」


 そして孝則は、カメラの前で深々と頭を下げる。


「皆さまには、ご配慮を賜ります様、お願い申し上げます」


 インタビューが終わり、取材陣が撤収の準備を始める。やがて、取材陣が一斉に引き上げていく。

 その様子を、孝則らは眺めていた。


「これで、少しは落ち着くのか?」

「まあ、どうなるかは様子見だね。ところで、インタビューの対応は、誰が考えたんだい? 佐川さんかい?」

「あぁ、その通りだ。俺があんな事を言える筈がねぇ!」

「村長が噛まずに答える事が出来て、ほっとしてますよ」

「佐川さん、お疲れ様。色々と助かったよ」

「なんだ、さくら。俺にはねぇのかよ!」

「有る訳無いだろ! あんたは、相変わらず何もしてないんだ! みのりを見習いな!」 

「おい、そりゃねぇだろ!」

「はいはい。あんたも頑張ったよ。ところで、送ってくれるんだろ? 早く帰りたいよ」

「あぁ、直ぐに車を出してやる」


 そして、さくらは自宅へと戻る。

 ギイとガア、そしてクミルとみのりが待つ自宅へ。

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