第50話 些細な幸せ
朝食を終え、ご馳走様の挨拶をすると、ギイとガアが率先して片付けを始める。
そして、ギイとガアが運んだ食器を、クミルが洗う。クミルが洗った食器を、ガアが丁寧に水気を拭きとり、食器棚へと仕舞う。その間ギイは、ちゃぶ台を拭いて、部屋の隅に片付ける。
作業を分担し、素早く食器の片付けが終わる。
手慣れた手つきなのは、彼らの成果であろう。どれだけ頑張ったかは、見て取れる。
顔を綻ばせ、子供達の成長を喜びながらも、さくらは立ち上がる。
家と納屋、それに畑等が騒動で荒らされた。
流石に、信川村を囲む雄大な自然までは、荒らしてはいないだろう。だが、幸三からは報告が無い。
また、既に始まっている調査隊の滞在延長、それに伴う市街地付近の開発。村を取り巻く環境は、更なる変化を遂げようとしている。
そしてさくらは、騒動が起こってから一度も、村の様子を確認していない。
「さてと。あたしは、出掛けて来るよ。今日は家で大人しくしてるんだよ」
その声に反応し、居間で片付けをしていたギイが、さくらに近づき上着の裾を掴む。
そしてさくらは、ギイの頭をそっと撫で、優しく語り掛ける。
「ギイ。心配しないでも、ちゃんと帰ってくるよ。いい子で、留守番してくれるかい?」
さくらの言葉に、ギイは頷くも、掴んだ裾を離そうとしない。
そしてバタバタと音を立て、ギイに続いて、ガアがさくらに走り寄る。そして、がしっと足にしがみ付く。
「ガア、あんたもかい? いつから、そんなに甘えん坊になったんだい? 心配しないでも、ちゃんと帰って来るから、安心おし」
さくらは、ゆっくり膝を突くと、ギイとガアを抱きしめる。
手を離すと、ギイとガアは名残惜しそうに、上目遣いでさくらを見る。そんなギイ達を優しい笑みで包み、さくらはゆっくりと立ち上がる。そしてギイ達を連れて、玄関へと向かう。
また、さくらの見送りには、クミルも駆けつける。
「みんな、いい子にしてるんだよ。クミル、ギイ達の事は頼んだよ」
「はい。まかせて、ください」
「ギイギ、ギッギイギ」
「ガアガ、ガッガガアガ」
「あぁ。いってくるよ」
玄関を出たさくらは、スマートフォンを取り出すと、電話をかける。
「おはようございます、さくらさん。調査の件ですか?」
「おはよう、周作。幸三からの報告は、来てるかい?」
「はい、山林に被害は無さそうです」
「そうかい。調査隊と社員達の報告は?」
「山瀬さんからの報告と一緒に、まとめてあります」
「それなら、孝則達の話し合いの結果を加えて、送ってくれないかい?」
「かしこまりました。それで、今日はどちらへ?」
「今日は、ざっと見るだけさ」
「お気をつけて。お帰りになるまでに、お送りしておきます」
「ありがとう、周作。頼んだよ」
さくらが散歩を始めた一方で、ギイ達は休む事なく、他の家事に取り掛かる。
クミルは、籠に集めていた洗濯物を、洗濯槽に放り込む。そして洗剤と柔軟剤を入れ、蓋を閉めるとボタンを押す。
覚えれば、これより簡単な洗濯は無い。少なくとも、クミルが生きて来た世界では、有り得ない作業だ。
クミルが洗濯機を動かしている間、ギイとガアは掃除用具を運んでくる。
クミルがはたきをかけ、埃を落とす。続いてギイが家具等を吹き上げ、ガアが器用に掃除機を操作する。
クミルが窓を拭く間に、ギイとガアが窓枠のレールを拭きとる。そして、皆で手分けをし、縁側や廊下、そして畳等を吹き上げる。
一通りの掃除が済んだ所で、洗濯機が終わりの音を奏でる。
ギイとガアが、洗濯物を籠に入れて、庭へと運ぶ。洗濯物をクミルが受け取り、物干し台に吊るされた洗濯ハンガーにかけていく。
協力し合い、段取り良く作業が終わる。
無論、みのりの教え方が良かったのは、間違いなかろう。
ただ、彼らが共に生活する中で、互いの距離を近づけていなければ、成し得ない事だろう。
「ギギギ、ギイギギ」
「そうだね。すこし、やすもう」
「ガア。ガアガガガ、ガガガア」
「おせんべい、たべるの? のこってた?」
「ギイギイ!」
「みのりさん、くれた?」
「ガア!」
「でも、たべすぎは、だめ。おひる、たべない。さくらさんの、のこしておく」
「ギギャギャ」
「そう。えらいね、ぎい」
「ガガガ、ガガアガ」
「ありがとう、があ」
クミルがお茶の用意をする間、ギイとガアは庭に面した縁側部分へ移動する。そしてクミルがお茶を運んでくると、縁側に腰かけ足をぶらんと垂らし、ギイとガアは寛ぎ始めた。
真夏の日差しは、午前中でも痛い程に肌を痛めつける。
じっとしていても、汗が流れて来る。ましてや、家事で汗を流した後だ、服は肌に張り付いている。
しかし、時折吹く風に揺られて、透き通った音を奏でる風鈴の音が、無慈悲に体力を奪う夏の暑さを、やや緩和させる。
「さくらさん、かえってくる、おひるくらい」
「ギイギ?」
「そうだよ」
「ガアガ、ガアガガガ」
「そうだね。それまでに、おひる、つくろ」
「ギギャ!」
「まだ、ゆっくりしよ。むりは、さくらさん、よろこばない」
さくらの名が出た途端、ギイとガアは立ち上がる。しかし、昼食の準備に取り掛かるには早い。
ギイ達を宥めつつも、クミルは会話を楽しむ。
風に揺れる洗濯物を眺めながら、急須に温めのお湯を注ぐ。
そして、じっくりと蒸らした後、湯呑にお茶を注いだ。
お茶を口に含んで味を確かめ、ゆっくりと喉を通す。
鼻から抜ける香りが、旨さを引き立てる。喉の渇きが癒え、ほんのひと時、暑さを忘れる。
それから煎餅に手を伸ばし、パリッと音を立てて割り、一口大を口の中に放り込む。ぼりぼりと噛めば、醤油の味が口いっぱいに広がる。
再びお茶を口に含み、次は塩気で占められた舌を洗う様に、静かに喉の奥へ流していく。
「ギイギギャギャギャ」
「そうだね、うれしいね」
「ガアガ、ガアガアガガ」
「ごごは、さくらさんと、いっしょにたべよ」
クミルが感じ取れるのは、薄弱とした意思。それでも充分に、喜びは共有出来る。
一緒に作業をし、同じ物を食べ、笑い合う。それは、この瞬間が何よりの贅沢だと思える程の、幸福感なのだろう。
一同が休憩を楽しんでいると、ギイとガアが何かに気が付いたのか、ふと玄関の方へ視線を向ける。
クミルには、気が付かなかった。特に物音も感じなかった。
しかし、ギイ達の視線を辿り目をやると、そこには三笠と孝道が立っていた。
「驚かせたか? 悪かったな」
「ギギギイ、ギギ」
「ガアガアガ、ガガッガア」
「何だ? 何かして欲しいのか?」
「いや、歓迎してくれてるんだ」
「そうか。ありがとうな、ギイ、ガア」
「ギャギャ!」
「ガア!」
ギイとガアの言葉がわからず、少し困惑した表情で、孝道は庭へと足を踏み入れる。
その後に続く三笠は、ギイ達に笑顔を見せた。
そして二人は、縁側に腰を下ろす。
すかさずクミルは、二人分の湯飲みを用意し、急須にお湯を注いだ。
「済まないな、クミル」
「いえ。せんせい、きょうは、なんのよう?」
「あぁ。色々有って伸び伸びになっていた、授業の話しをしようかと思ってな。さくらは、出掛けたのか?」
「はい。おひるには、かえる、おもう」
「そうか、早く来すぎたか」
お茶を注ぎながら、クミルは三笠に質問を投げる。そして、お茶と共に菓子器を、二人が座る間にそっと置く。
「クミル。お茶の淹れ方が、上手くなったな」
「みのりさん。おしえてくれた」
「そっか。お袋直伝か」
「それなら、上手くもなろう。さくらが教えたのでは、こうは行かん」
「ははっ、確かにな。あの人、意外とこういうのは、苦手そうだからな」
三笠の言葉に、孝道は声を出して笑う。
だが、真面目な性格のせいか、三笠は真剣な表情で孝道に視線を送る。
「あれは、苦手というより合理的なのが、身に付いているのだ」
「先生。どういう事だ?」
「せんせい。わたし、いみ、わからない」
クミルには、まだ難しい言葉なのだろう。だが、言葉の意味を説明するのは、些か簡単ではない。
故に三笠は、さくらを例にして、説明を行った。
「元より、みのりに色々と手解きをしたのが、さくらだと聞いている。やれば出来るのだ」
「それで?」
「無駄な事は手早く、面倒な事は簡便に。さくらには、そんなきらいがある。だから飲めればいい、食えればいいになる」
「なるほどな。確かにそうかもしれないな」
粋だとか、風流だとか。そんな感覚は、当然に持ち合わせている。
それでも、迅速かつ正確に。身に付いた事は、ふとした瞬間、表に顔を出す。
だがさくらは、無駄をバッサリ切り捨てる様な人間ではない。その中に価値を見出し、活用方法を考える事が出来る人間だ。そうでなければ、今この村に住んでいる筈が無い。
それは、付き合いの浅いクミルでも、理解が出来る。
「さくらさん、すごくいろいろ、しってる」
「あぁ、そうだとも。さくらは、色々と知ってる。それに、お前達はさくらから、色々なものを受け取ってるはずだ」
「うけとる? なにを?」
「例えば、さくらと居れば、安心するだろ?」
「ギャアギャギャ」
「ガアガガ」
「ぎいたち、あんしん、しってる。わたしも、おなじ」
その答えを聞いて、三笠は頬を緩めた。そして、優しい眼差しでギイ達を見つめると、言葉を紡ぎだす。
「なぁ、お前達。さくらは、お前達からも、色々なものを貰ってるはずだ」
「わたし? なにも、できない」
「ギイ?」
「ガア、ガアガ?」
「わからないか? 心だよ」
多分、言葉だけでは、感覚的な事は理解が出来まい。
だから、みのりは行動で教えた。だから、さくらは行動で示した。
互いに支え合い、影響し合う。そして共に学び合い、成長する。
そこには、互いを敬う心が有る。尊重というのは、言葉だけ丁寧にすれば、良いのではない。
ギイ達がさくらから学ぶ様に、さくらもギイ達から学んでいる。それこそが、より良い関係なのかもしれない。
「せんせい。わたし、しらないこと、たくさん」
「それで良い。お前は、これから知るんだ」
「ギイ。ギイギギ」
「ガア。ガアガガ」
「ギイ、ガア。お前達も一緒だ」
喜び勇んで、ギイとガアは立ち上がる。だが、それは三笠の言葉に反応しただけでは無かった。
「なんだい。車が停まってると思ったら、あんたらかい? そんな所に居ないで、中に入って冷房でも点けな」
「おう、さくら。戻ったか」
「戻ったかじゃないよ、先生。あんたが居ながら、何してんだい。あんたも、倒れたくなければ、早く涼むんだね」
さくらは、庭に向かって声をかけると、玄関の戸を開ける。さくらに続く様にして、三笠と孝道も玄関を潜る。
一方、クミル達は窓側の廊下を伝って、さくらを出迎えに行く。
「さくら。あの子らの勉強だがな」
「良いんじゃないかい。明日から頼むよ」
「さくらさん。今日は、買い出しだ。必要な物は有るか?」
「あたしは、家事をしてないしねぇ。クミルに聞いとくれ」
クミル達が玄関に到着する頃には、三笠と孝道が要件を伝えようと、さくらを捉まえていた。
クミル達が出迎えに来た事に気が付くと、さくらは笑みを浮かべる。
「ただいま」
「ギイギ。ギイギギギギ」
「ガアガ、ガガガア」
「さくらさん、おかえりなさい。すぐに、おひる、よういする」
「クミル、焦らなくてもいいよ。ゆっくりやりな」
「はい。ぎい、があ。てつだって」
「ギイ!」
「ガア!」
さくらの言葉に頷きながらも、小走りで台所へ向かうクミル達を眺め、さくらは笑みを浮かべた。
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