四章 訪れる危機

第26話 明かされた事実

 ギイとガアを、孝道の下に連れて行った夜、さくらは三笠から連絡を受けた。

 

「クミルが話しをしたいそうだ。お前と孝則が居た方がいいだろう。孝則と一緒に迎えに行く、家で待っていてくれ」


 ギイ達との生活は、新たらしい孫が出来た様な、甘い時間で有った。だから、これまで見て見ぬふりをして来た。それが明らかになる。

 三笠の言葉を聞いた時、さくらの頭には来るべき時が来たのだと感じた。


 住人達は、彼らが健やかに逗留できる様に、協力する事は認めた。しかし、彼らの永久的な滞在を認めた訳ではない。

 また住人達は、ギイとガアそして青年の帰還が、ほぼ不可能なのだろうと悟っている。それでも、先の会議で決定した事は優先される。

 それだけ、彼らを滞在させる事は、リスクを伴う行為なのだ。

 

 ギイ達に関するリスク、それは大きく三つ有る。

 一つに、疫病に関するリスクだ。これは、ほぼ解消されたと考えていい。

 もう一つは、彼ら自身の肉体的、精神的な負荷だ。これは現状では、判断が付かない。

 最後の一つ、彼らが信川村に滞在する事で起きる、社会的な問題である。


 仮に、感染症の可能性がほぼ無くなったとしても、このまま日本に留まれば、多くの問題が発生する。

 それは彼らを苦しめるだけで無く、信川村に著しい被害を被る事も、大いに考えられる。

 いつまでも彼らを匿う事は出来ない。互いの為には、彼らの意思確認と帰還方法を探すべきなのだ。


 それは、さくらも理解はしている。しかし、理解と納得は違う。そしてさくらは、一度決めた事を決して譲らない。何が何でも、結果を出すのがさくらなのだ。


 三笠との電話を切った後、さくらは深く息を吐く。ピリッとした空気が、さくらを包む。

 電話している所を見ていたギイとガアは、さくらの様子が急変したの感じた。ギイ達は走り寄ると、さくらに飛びつく。


「心配しなくていい。あんた達は、あたしが守る」


 さくらは笑顔を作って、ギイ達を体から離すと頭を撫でる。

 ギイ達は、この二週間で色々なさくらを見て来た。だからこそ、作り笑顔なのは、容易に理解出来る。

 不安そうな表情を消す為、さくらはギイ達を抱きしめた。 


「姉さん……」

「みのり。明日には、家に帰すつもりだったけど、もう少し居てくれるかい? そうだね、次の会議までは、ここに居て欲しいんだ」

「それは構いません。華子さんと園子さんには、面倒をかけますけど」

「そうだね。あの姉妹には、世話になる。あたしからも、お礼を言っておくよ」


 当事者に近く、凡その事情を聞くみのりには、これから何が起きるのかが、簡単に予測出来た。


 さくらがどれだけ笑顔を作っても、その顔には険しい色が見え隠れしている。無理に平然を装っているのがわかる。

 これ以上みのりには、さくらにかける言葉が見つからなかった。   


 それ後、夜が明けるまで、ギイ達はさくらから離れようとしなかった。

 孝道の手伝いに出掛ける時も、何度も振り返り、さくらを見ていた。


 やがて、孝則の運転する車が到着する。庭に車を停めると、いつになく強張った表情で、孝則はクラクションを鳴らした。

 

「後は頼むよ、みのり」


 見送るみのりに、さくらは告げる。

 後部座席のドアを開けると、三笠が座っている。三笠は、さくらの表情を見て感じたのだろう。敢えて言葉を口にせず、軽く手を挙げて挨拶をする。

 それに対しさくらは、軽く会釈をするだけに留めた。


 車内は終始無言のまま、診療所に到着する。

 そして、一切言葉を発しないまま、さくらは車を降りて、診療所の入り口へ向かう。

 自動ドアが、さくらを検知して開く。だが、さくらは診療所に入らず、立ち止まった。

 そして振り返る事無く、さくらの後に続いた三笠と孝則へ、声をかける。

 

「あの若者は、クミルと言ったね。いいかい? これはクミルから、帰る方法を聞き出すんじゃない。帰らせて良いかどうか、それを判断するんだよ」


 静かに放たれた言葉は、想像以上に重く響いたのだろう。

 三笠と孝則の表情に、険しさが増す。


「そうだな」

「わかってる」


 三笠は、一言だけ呟いた。孝則は、吐き捨てる様に呟くと、さくらを追い越して、自動ドアを潜った。

 

 孝則は険しい顔のまま、病室へと向かう。さくらと三笠は、その後に続く。

 孝則が病室に足を踏み入れると、クミルは既に起床しており、ベッドの上で貞江と話しをしていた。


 人影に気が付いたのだろう、クミルが入り口を見やる。そして孝則の後ろに、さくらが居る事にも、クミルは気が付いた。

 クミルはベッドから飛び降りると、さくらの下に走り寄る。そして、深々と頭を下げた。


「さ、さくら、さん。おそ、くなって、すみ、ま、せん。あの、あのとき? いや、わたしの、いのち。たすけて、くれて、ありがと、ござま、す」


 たった二週間だ、流暢にとはいかないだろう。

 だが、クミルから放たれた言葉は、さくらを驚かせるには充分だった。


 暫く目を丸くして、さくらはクミルを見つめていた。そして口をあんぐりと開けたまま、ゆっくりと三笠を見やる。

 してやったりという感じだろうか、三笠は少し口角を上げる。

 そして孝則は、少し笑いながら、さくらに言い放つ。


「っはははっはぁ。どうだ、さくら。驚いただろ! こいつは二週間、とにかく頑張った。すげぇだろ、なぁ?」

「あんたが、威張る事じゃないよ!」

「そうだ、孝道。お前の手柄の様に、話すな!」


 その言葉で我に返ったさくらは、孝道に言い返す。

 同時にさくらは、胸にこみ上げる熱い何かを感じていた。


 クミルはどれ程、努力を重ねたのだろう。それこそ、必死に努力しなければ、成し得ない事だ。

 それは、クミルだけの努力ではない。先生は、忍耐強く教えたのだろう。貞江もクミルを支えたのだろう。

 そして孝則は、クミルの努力を理解し、結果を湛えている。


 ここには絆が有る。

 心配しなくても、よかった。

 不安を感じなくても、よかった。

 

「さくら。私を含め、孝則と貞江は、クミルの味方だ。彼の努力に、私達は心打たれた」

「きざな言い方だね。先生らしいよ」

「さあ、皆さん。待合室に移動しましょう。ここは狭いですから」

「あぁ。貞江の言う通りだな。行くぞ、さくら、クミル」

「そんちょ、まって。けがする」

「心配要らねぇよ、クミル」


 貞江が病室を出ていく。それを追うように、孝則が待合室に向かう。

 そして、孝則を案じて、クミルが走り寄ろうとする。そんなクミルに、さくらは笑顔を向けた。

 

「まだ、片言だよ。でも、頑張ったね、クミル」

「いえ。まだまだ、です」


 さくら、孝則、三笠が、待合室のベンチソファーに腰かける。

 そして、途中事務所によった貞江が、姿を現す。その後ろには、コップを乗せたお盆を持つ、クミルの姿が見える。

 クミルが、皆にコップを配り終え、自らも腰かけると、話しが始まる。


「さて、クミル。伝えたい事が有るのだろう? ゆっくりでいい。話してみなさい」

「ありがと、ございま。せんせい。けつろん、いう。わたし、もとのばしょ、かえれない。たぶん、わたし、かえるほうほう、しらない」


 三笠の言葉をきっかけに、片言の日本語で、クミルはゆっくりと話す。

 ただ、その内容は、さくら達の予想を覆すものでは無かった。あの夜、道で泣き喚くクミルの姿を見ているのだ。村の誰もが、予想していた。

 しかし、その後に説明された事は、当事者であるさくらですら、にわかに信じ難い内容であった。


 クミルはたどたどしくも、全てを話して聞かせた。

 

 クミルの世界では、何がしか不思議な能力を持って、生まれてくる。そして、生まれながらに、能力と共に地位が決まる。


 生まれ持った能力は、鍛えて伸ばす事が出来ない。また両親の能力如何で、生まれる子供の能力は決まらない。

 王の子供が、必ずしも王足り得る能力を、持って生まれる訳ではない。


 国の為に重要な能力であれば、高い地位と豊かな生活が保障される。逆に、役に立たない能力で有れば、奴隷の様に蔑まれる。


 生物の意志が、ぼんやりとわかる。クミルが持つのは、そんな弱い能力だった。役に立たないと判定され、農奴として生きるしかなかった。

 ただし、クミルの母は違った。唯一無二の能力を持っていた。


 全。それが、彼女につけられた綽名であった。


 彼女に出来ない事は無かった。それこそ、国一つ簡単に滅ぼす事さえも。

 しかし、彼女は子供が生まれた事で、それまでの地位を捨てた。国王は、その能力を恐れて、二度と使えない様に、彼女に封印を施した。 


 ただ、大きな力には、大きな代償が伴う。

 彼女は能力と反比例する様に、体が弱かった。持って生まれた能力に、生命力を奪われ続けていた。


 彼女は、クミルと共に農奴に落ちた。

 クミル達が暮らしていた村は、戦時中に彼女が救った村である。村の人達は、彼女達にやさしかった。だが、村の暮らしは想像以上に、彼女の体に負担をかけた。

 まだクミルが六つの時に、彼女は倒れた。そして、二度と起き上がる事は無かった。


 息を引き取る前に、彼女は封じられた能力を、自らの魂から切り離して、宝石に封印した。

 お守りだと、クミルに渡した。


 さくらを、クミルの世界に連れて来たのは、渡りという能力である。万能である彼女の力なら、能力の再現も可能だろう。

 事実さくらは、致命傷を負ったクミルの目の前に現れた。そしてさくらは、クミルを生かそうとした。だからクミルは、息を吹き返した。

 これは、宝石に込められた彼女の能力が、願いに反応した結果なのだ。


 しかしこれは余りにも、大きすぎる願いだ。あの時クミルは、死んでもおかしくなかった。


 願いの大きさと求める代償、これは平等でなくてはならない。ただ、彼女の残した宝石は、残りの寿命を対価にして作り上げられた。


 言うなれば、対価の先払いである。故に、願いは叶えられた。そして、宝石は弾け飛んだ。

 最後にさくらは、この村へ帰る事を願った。弾け飛んだ宝石は、僅かに残った力で、その願いを叶えた。

 恐らく、もう願いは叶わない。そして、クミルの帰る場所もない。


 村は、化け物に襲撃された。

 もしかすると、国さえ無くなっている可能性が有る。あのゴブリン達の住処も、破壊された。同族の亡骸を、クミルは実際に目撃している。  

 無論、あのゴブリン達にも、帰る場所はない。

  

「戦争という事か?」

「せんせい。たぶん、そう」

「村の近くで、起こったのは偶然か?」

「ぐうぜん、ちがう。ぐうぜん、むずかし」

「そうすると、お前達は、巻き込まれたって事か?」

「たぶん、そう。まきこま、れら。くに、いまごろ、かいめつ」


 粗方の説明を受けても、三笠は容易に信じる事が出来なかった。

 嘘を言っているとは、思っていない。


 妙な能力、異なる世界、その世界を移動する更に妙な能力、そして国を壊滅出来る程の化け物。それは全て作り話であって、まやかしを本当の様に、信じているだけだ。

 誰もが、そう考えるだろう。それが常識的な反応だ。


「さくら、貞江。お前達は、どう思う?」

「死にかけていたのは、事実なんだしね。ただね、その後の話しは、よくわからないよ」

「クミルが、憶測で語っている部分も、有るだろう? 全てが真実ではないはずだ」

「勘違いしないでおくれ。クミルの話しは真実だよ。魂がどうのってのは、あたしが証明出来ないってだけさ」

「せんせい、ははのこと、おくそくある。でもじょうくう、さくらさん、みた。まちがいない」

「そうか。貞江、お前はどうだ?」

「先生。こればかりは、信じるしか無いです。クミルさんの傷は、ただの擦り傷では有りません。大きな動物、それも鋭い爪でやられた傷です。それが塞がっているのが、おかしいんです。実際にクミルさんは、出血性ショックも有り得る状態でした」

「かなり危ない所だったのだろう?」

「ええ、そうです。一応さくらさんが、血止めをしてます。しかし、あれでは血は止まらない。それに、あれだけの傷を負えば、肩は粉砕骨折していても、おかしくありません。だけど、クミルさんの肩は、自然治癒した様な痕跡が見られます。知識以前に、蘇生処置を行う道具が無かったはずです。だけど、クミルさんは生きてこの場所に辿り着いた」

「医学的見地からは、論証出来ると言う事だな」

「そうですね。出来る事なら不思議な力で、血まで元通りにしてくれれば、対処も楽でしたけどね」

「まぁ後は、クミルの母国語を、ネットの翻訳機にかけてみるといいよ。多分、翻訳出来ないはずさ」

「それは、実験済みだ。さくらの言う通り、翻訳は出来なかった。発音というより、音声自体を感知し出来ない様子だった」


 クミルの傷から、推測出来る事は多い。

 傷跡から見れば、鋭利な何かで抉られたのがわかる。熊に負わされた傷の写真と比べれば、それより傷跡が大きいのがわかる。またレントゲンで、不可思議な骨折痕がわかる。

 そして言語の問題も、証拠の一つだろう。


 既に知り得ている情報と、クミルの話しを擦り合わせれば、クミルという存在が異なる世界の住人であり、そこに帰らせる危険性も、想像に難くない。


「まぁ、さくらの言う通りになったって事だ。クミル達がこの村に来たのは、偶然じゃなくて必然だ。なら後は、郷善をどうやって納得させるか、だな」

「孝道、それだけではあるまい。社会を相手に、お前と私程度に何が出来る! くそっ、不甲斐ないな! 教え子の窮地に、何も出来ないんなんて!」

「まあ、後の事はあたしに任せなよ」

「さくら、お前なら何とか出来ると言うのか? 流石のお前でも……」

「先生、これは必然なんだよ。それに、あたしが何も考えていないと、思っているのかい?」

「ならせめて、郷善の説得は、私が手伝おう。あいつを説得すれば、正一や幸三も言う事を聞くはずだ」

「よし。じゃあ、会議の通達だ。今夜にでもやるぞ! さくらみてぇにはいかねぇけど、俺は村長だからな」


 そうして三度、信川村会議が行われる。

 クミル達の扱いをどうするのか。最終的な村の判断が、問われようとしていた。

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