第25話 その笑顔を
「それじゃあ孝道。後は頼んだよ」
ギイ達が、孝道の差し出した手を掴む。そして孝道は、もう片方の手で、彼らの手を覆う。それは、互いの距離感を計る為に行う、最初の一歩だったかもしれない。
孝道の行為は、ギイ達の強張った心を緩やかに溶かした。
それを見届けたさくらは、手を振ってその場を去ろうとする。
そんなさくらに、ギイとガアはしがみ付いた。
「ギギ? ギギギイ?」
「ガアガガ! ガアガガ!」
ギイ達は不安そうな顔を浮かべて、さくらを止めようとする。そして、さくらの後について去ろうとするみのりにも、訴えかける様な目線を向ける。
当然だろう、見知らぬ人間に預けられて、そのまま去られても困る。それは、孝道も同じだろう。
「待て待て、さくらさん。流石にそれは無いぞ。こいつら不安がってるじゃないか!」
「馬鹿なのかい? その不安を、あんたが拭い去ってやりな!」
「無茶言うな! ほとんど初対面に近いんだぞ! 幼稚園児なら、泣いてるとこだぞ!」
「返す様で悪いけどね、この子らは泣いているのかい?」
さくらは孝道を黙らせると、ギイ達に体を向けてしゃがむ。そして、交互に彼らの頭を撫でると、優しく言い聞かせる様に話した。
「いいかい。やると決めたなら、やりきりなさい」
しゃがんだままの姿勢で、さくらは畑を見やる。そして片手で真っすぐ畑を指し、ギイ達の視線を畑に向けさせた。
「あれに興味が有るんだろ? 農作業については、孝道の方が詳しいんだ。だから、孝道に教わりなさい。大丈夫。あんたらは、あたしが居なくても大丈夫」
さくらは、ギイ達の手を借り、ゆっくりと立ち上がる。そしてギイ達の頭を再び撫でると、孝道に視線を向ける。
「孝道。改めてだけど、この子達を頼むよ」
「ギイちゃん、ガアちゃん。孝道の事を任せてもいいかな?」
二人の言葉は、投げかけた先が異なる。そして、孝道はさくらに、ギイ達はみのりに、頷いて見せる。
そしてさくらとみのりは、さくらの家に向かって歩いていく。
ギイ達は、さくらとみのりの後姿を、じっと眺めていた。
「まぁ、仕方ねぇか。ガキ共、ついて来い!」
ぼうっと眺めているギイ達の頭を、孝道は荒っぽく撫でた。ギイ達は、ハッとした様に撫でられた頭を触る。
撫でられた時の感触が、さくらと違う事に驚いていた。
撫でられた手は、とても荒っぽい。しかし温かさを感じる。
ギイ達はこの瞬間、孝道に心を許したのだろう。作業に戻ろうとする孝道の後に続き、ギイ達は畑に足を踏み入れた。
孝道は、敢えて日本語で説明した。当然、身振り手振りも忘れずに。
理由は、さくらがそうしていたから。それに彼らは、さくらの言葉を理解している様に見えた。
「いいか。ここに生ってるのは、全部売りもんだ。大事に扱うんだぞ。勝手に食うんじゃねぇぞ」
「ギャ?」
「ガアガ?」
「うん? わからないか? 難しかったか?」
「ギャアギャ」
「ガガガ」
「悪いな。よくわからない」
孝道は、手でもげる野菜の収穫方法を、間近で見せる。一度では理解が出来ないだろう、二度三度と繰り返して、コツを含めて説明をする。
そして、ギイとガアは慣れない手つきで、何とか一つ、二つと作物を収穫する。
知能の高い動物なら、この位は出来るのかも知れない。
孝道は、彼らを見てそんな事を考えていた。しかし、その考えが間違いで有る事を、直ぐに気が付かされた。
彼らは、孝道の言葉をちゃんと聞いていた。それに従って、野菜をとても丁寧に扱う。
試しに、ハサミの使い方を教え、収穫をさせてみた。彼らは、慣れないながらも、道具を使いこなした。また、注意事項は理解している、だから野菜を駄目にしない。
何よりも、収穫した野菜には、決して手を出さなかった。
注意事項を聞き逃さない。教えた事は直ぐに実践する。それは、大人でさえも難しい事だ。
「そうか。ははっ、そうかそうか。あぁ、そうだったな」
動物とは違う。それは、さくらから言われていたはずだ。しかし、未だに彼らを軽んじていた。
それに気が付いた瞬間、孝道はギイ達に向かって頭を下げた。
「悪かった。お前達を、見下していた。許してくれないか?」
「ギギ? ギイギギ」
「ガア? ガアガガ」
「ごめんな。やっぱりわからない」
彼らが何を理解して、何がわからないのか、孝道には判断が出来ない。また彼ら、からかけられた言葉を、全て理解してやる事は出来ない。
それでも表情を見れば、少しは感じ取れる。
彼らは、怒っていない。
寧ろ、もっと教えて欲しいとでも、言っているのかもしれない。
そう考えた孝道は、育てている作物の事を、話して聞かせた。
そして、収穫する為の準備、収穫する作物の見極め方、収穫方法等を教えた。
また採った作物が、どうやって使われるのかを教えた。
「うちで採れた野菜はなあ、直ぐに店へ届ける事になってるんだ。だから、輸送の時間を考えなくていい。完熟したのを採るんだ。わかるか?」
「ギイギイ」
「ガアガア」
話しをすれば、ギイ達は反応する。だが孝道は、彼らの言動を見て、少し違和感を感じていた。
賢い、それだけで言い表せない。
彼らは、全力で理解しようとしている。顔つきが真剣そのものだ。
たった二週間、それでさくらとは普通にコミュニケーションが取れている。そして今、ほぼ初対面に近い大人の言葉を、懸命に聞こうとしている。
彼らにとって、ここは全く別の世界だ。慣れる事さえ難しかったはずだ。それに加え、新たな知識を覚えるのは、困難を極めただろう。
生きる為に是が非でも、そんな感覚が無ければ、成し遂げられない。
そんな感覚は、子供が持つべきではない。
寧ろ、さくらから離れたくないと、駄々をこねる姿の方が、年相応だろう。
親父が村長になったのは、俺が義務教育を卒業した頃だ。
そんな歳になれば、流石に跡を継ぐ覚悟が決まっていた。
だけど、もっとガキの頃は、親父の手伝いが嫌いだった。よく逃げていた。
手伝いをさぼれば、親父に叱られた。
親父はさぼった事に怒っただけで、手伝わない事に怒ったんじゃない。
生きるの死ぬの、そんな問題じゃない。
それが普通じゃないのか?
子供は、守られるもんだ。
自らの力で生き抜く事が出来ないから、守られるんだ。
それが、こいつらはそこいらの大人よりも、必死になっている。真剣な目をしている。
こんなんじゃ駄目だ。
子供は、もっと笑ってるもんだ。
そうだ、笑顔にしてやりたい。
孝道は、目の前に生っているトマトをもぎ取る。
そして、腰に下げた手拭いで軽く拭いてから、ギイ達に手渡した。
「食ってみろ!」
手渡されたトマトを、ギイとガアはじっと見つめながらも、食べようとはしない。
今にも涎が垂れそうだ、嫌いなのでは無かろう。恐らく孝道に言われた、勝手に食うなという言葉が、効いているのだろう。
戸惑うギイとガアに、孝道はありったけの笑顔を見せて、もう一度言い放つ。
「いいから食ってみろ。うんめぇぞ」
孝道の笑顔に促され、二匹は野菜を口に入れる。
口の中で、野菜の瑞々しさが溢れる。衝撃的な旨さだったのだろう、ギイとガアは目を皿の様にした。
「ギャア! ギャア! ギイギイギギ!」
「ガアガ! ガアガ! ガアガ!」
ギイ達の言葉は、自然と口に出てしまったのだろう。表情からは、感動している様子が伝わってくる。
「うめぇだろ?」
孝道の言葉に、ギイとガアは、コクコクと頷く。
「よかったなぁ」
そう言って、笑顔を見せる孝道に、ギイ達は満面の笑みで答えた。
「ギイギ、ギイギ、ギギギギギ」
「ガア。ガガガ、ガガガ、ガガガアガガ」
手渡された野菜を、一気に食べつくした後、二匹は大きく手を動かした。何かを伝えようとしているのだろう。
だが、何を伝えようとしているのか、孝道には理解が出来ない。
ただ、それはふとした仕草だった。
さくらは、よく自分の腰を叩いている。ギイがさくらに扮し、ガアが野菜を渡す。
そんなジェスチャーを見て、孝道は気が付いた。
野菜が美味しかった。だからこの美味しい野菜をさくらに食べてもらいたい。
ギイ達の気持ちが届いた時、孝道は自身の中にこみ上げる、熱い何かを感じた。
孝道は直ぐに野菜をもぐと、二匹に両手で抱える程の野菜を渡す。
再び、ありったけの笑顔で、言い放つ。
「いいよ。それは、お前らが働いた報酬だ。お前等のもんだ。だから、さくらさんに食わせてやれ」
ギイ達は頭を下げた後、野菜を両腕で抱える。そして、さくらの家に向かって、走っていく。
ギイとガアを出迎えたさくらとみのりは、少し驚いた表情を浮かべていた。
「おや、もう帰って来たのかい?」
「あらまぁ。いっぱい貰って来たのね」
「ギギッギギ」
「ガガガ。ガガガ、ガアガアガガ、ガガガ」
飛び跳ねる様に全身で喜びを表現すると、ギイ達は笑顔で野菜を差し出す。さくらは、みのりに視線を送り、野菜を受け取らせる。
何てことの無い行為かもしれない。しかし、籠められた心は必ず届く。
「あんた達は、いい子だね。本当にいい子だよ」
ギイ達の温かい心を感じ、さくらとみのりの頬には涙が伝っていた。そしてさくらは、ギイ達をきつく抱きしめる。みのりは、ギイ達を優しく撫でる。
止まらぬ涙のまま、二人はギイ達に笑顔を見せる。二人の笑顔をみて、ギイ達は笑顔になる。
「楽しかったかい?」
「ギイ!」
「ガア!」
「明日も行くかい?」
「ギイ! ギイ!」
「ガア! ガア!」
さくらの問いに、ギイ達は大きく頷いた。
初めての外出は、ギイ達に出会いを与えた。そして、さくらとみのりに、優しさを届けた。
以降、日中の間二匹は、孝道を手伝う事になる。
農業の指導を通じて、様々な事を覚えていく。それは、明らかに成長の証であった。
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