二章 反発と理解

第7話 村長の意見

 孝則は、待合室のベンチソファーに腰かけ、足を組んでいる。背もたれに体を預けて腕を組み、さくらを見下ろす様な視線を向けている。

 更に孝則の、他者を威圧する様な鋭い眼光が加われば、親分が子分に詰問している図にも、見えるかもしれない。


 ただし、さくらが孝則を恐れる事はない。

 この村の長として、海千山千の住民達を纏め上げる為に、段々と威丈高な態度を取る様になっただけで、孝則は根っからのお人好しである。

 寧ろさくらの方が、潜り抜けて来た修羅場の数が多いだろう。


「取り敢えずだな。兄ちゃんの方は、人間で間違いねぇよな? だけど、ガキの方は何なんだ?」

「そんなの、あたしがが知ってるとでも、思ってるのかい?」

「とぼけんじゃねぇぞ、さくらぁ。勘のいいお前なら、何か掴んでるはずだ! 洗いざらい、吐きやがれ!」

「ったく、仕方ないね。何が有ったかは、話すよ。でも、信じるかどうかは別さ。まぁ、あの子らを見て、今更信じないなんて、言わないだろうけどね」


 そうしてさくらは、この数時間で何が有ったのかを説明した。

 山道口付近で、白い靄が発生した事。それを抜けたら、見知らぬ場所にいた事。そこには、傷だらけで、今にも死にかけている青年が倒れていた事。

 蘇生は不可能な状況であったが、何故か不思議な力で息を吹き返した事。

 不思議な世界には、青年だけじゃなくて、見知らぬ生物もいた事。食事を与えたら、何故か懐いた事。その見知らぬ生物が、何なのかさっぱりわからない事。

 見知らぬ世界に飛ばされて、帰る方法など検討もつかなかったが、何故か村に帰り着いた事。


 さくらは、一から順に全てを話した。

 全てを黙って聞いていた孝則は、呆れた様な口調で、さくらに言い放った。


「まぁ、しかしなんだ。よく帰ってこれたな。それにしても、なんて言うかよぉ。さくらぁ、お前が作り話で、茶を濁してねぇのは、わかってんだよ。お前の言う通り、あいつらが証拠だ。それに、お前の性格上、ほっとけなかったのもわかる。ただなぁ、わかってると思うけど、これから面倒な事になるぞ」

「そりゃあ、仕方ないよ。連れて来ちゃったんだし。あたしが、面倒を見るよ」

「自分で撒いた種だ、お前が責任を持て! ……まぁ、そう言いてぇのは、山々だけどよぉ。そう言う問題じゃねぇ、これは村全体の問題だ。それに予想出来る事態なんて、幾らでも浮かぶだろ? お前の事だ。その対策込みで、連れて来たんじゃねぇのか?」

「まぁね。それなりの案は有るよ。でも先ずは、検疫じゃないのかい? 間違いなく、あたしが行ったのは、地球とは別の世界だよ。日本でも入国時に、妙な病原菌が無いか調べんだろ? 取り敢えず検査は、貞江さんに任せるとして、あんたはみんなに知らせておくれよ」

「お前には悪いが、流石に今回は、みんな受け入れねぇぞ!」

「みんなは兎も角、あんたはどうなんだい? あんたは、あたしの味方なのかい? それとも敵なのかい?」

「あぁ、くそっ! お前の気持ちは、わかっちまうんだよ! あんなガキ、ほっとけねぇだろ! 俺が巻き込まれたんなら、お前と同じ事をしてただろうよ。でも、俺は村長なんだよ! 村の利益を優先する立場なんだ! 今回だけは、味方になってやれねぇぞ!」


 孝則は、農家の生まれである。

 戦時中、ほとんどの男手は戦争に取られた。孝則には、赤紙が届かなかった。しかし、孝則の父親は戦地に赴き、生きて帰っては来なかった。

 桑山家の働き手は、年老いた祖母、そして母と孝則だけであった。

 戦後の生活は、都会で家を失った者と比べれば、多少はましであったろう。それは単にましだというだけで、決して楽な生活では無かった。


 別段、桑山家が特別に不幸なのではない。そんな時代であったのだ。

 働き手が失われ、作った作物は軍に徴集される。戦争が終結して、働き手が戻れば、まだ良い。

 ただし終戦直後、都市部の食料難は深刻で有り、物々交換をする為に、多くの人々が訪れる。


 農業に従事する者は、都市部の人々と比べれば、食べる事が出来た。ただ、それだけである。

 毎日、死に物狂いで働き、ようやく僅かばかりの食料を確保する。

 戦時中だろうが、戦後だろうが関係ない、豊かな生活をしていたのは、一部の人間だけであり、ほとんどの日本人が飢えていた。

 

 孝則自身も、五つ下の鮎川郷善と協力して信川村の若者達を纏め、生き残る為に助け合って来た。

 そんな時代を、孝則は乗り越えている。さくら同様、いかにも当時の飢えた子供然とした、ゴブリン達を見れば、手を差し伸べたくなる。


 だがそれは、当時を知るからこその、考えであろう。

 倫理観などという物は、時代と共に変わっていく。現在のそれに即した行動を取らねば、叩かれる。

 叩かれるだけなら、まだ良い。今回の場合は、法律上の問題も関わって来るのだ。


 あの青年は、どうやって入国した? パスポートは? ビザは?

 明らかに、不法入国なのだ。

 ましてや、人間の言葉を理解する、得体の知れない生き物など、論外であろう。


 不法入国に依る強制退去となっても、送り返す国が無い。ゴブリン達に至っては、扱いに困るだろう。

 あまつさえ、彼らから未知のウイルスが見つかったら、村の作物は出荷停止となるだろう。

 彼らを抱える事は、面倒以外の何物でも無いのだ。


 心情的にはさくらの味方である。しかし、村の長としては、冷静な判断を下すしかない。

 それが如何に、恩人の頼みであっても。


「いいか、さくら。上手い事やれ! 俺が言えるのは、それだけだ! お前なら、何とか出来るんじゃねぇのか? わかるよな? あいつらが、善人だろうが悪人だろうが、そんなのは関係ねぇんだ。この村に被害が及ぶなら、俺はそれなりの判断をする!」

「わかってるよ、孝則。あんたは、それで良い。村を守って、あたしと戦いな!」

「てめぇ! 俺の言ってる事がわかってんのか!」

「わかってるよ。当たり前じゃないか。あたしは、あの子達だけじゃない、村も守る。そう言ってんのさ!」

「ったく。相変わらず、口の減らねぇババアだな」


 孝則は、さくらを睨め付けながら、捨て台詞の様に言い放つ。そして、徐に席を立つと、診療所の入り口に向かって、歩き出した。


「孝則! 何処に行くつもりだい?」

「話しは、終いだろうが! 役場に戻るんだよ!」

「とうとうボケが始まったのかい? あんたは、ここから出られないよ」

「ふざけんじゃねぇ! ……っておい! も、もしかして、お前。くそっ! 嵌めやがったな、このばばあ!」 

「いいじゃないさ。どうせ役場に戻っても、あんたはお茶を啜ってるだけだろ? 仕事は、佐川さんがやってんだし。寧ろ、あんたが戻らない方が、佐川さんの邪魔にならくてすむよ」

「言いたい放題じゃねぇか、さくらぁ! 厄介事を持ち込んだ、お前に言われる筋合いはねぇぞ! それに、佐川は助役だ! 村長の俺が居なきゃ、進まねぇ仕事だって有るんだよ!」

「そんなもん、ないよ! いいから、あんたは男らしく構えてな! 必要な事は、スマホで連絡しな!」


 今年で九十歳になるとは思えない程に、孝則は頭の回転が速い。さくらの意図を直ぐに理解し、毒づいた。

 ただ今は、無駄な口論を続けている場合じゃない。それに、待合室で大声を上げては、治療の妨げになる。そしてさくらは、口喧嘩で勝てる相手ではない。


 孝則は、懐からスマートフォンを取り出すと、助役の佐川に連絡をする。そして、今日は戻れない事を告げると共に、集会を開く段取りをする様に指示をする。

 次に孝則は、息子の孝道に連絡をする。自分とみのり、それに貞江が家に戻らない事を告げた。

 

 両者共に、何が有ったのかと、孝則を心配していた。

 孝道は、両親が戻らないだけじゃなく、妻の貞江が戻らない事に、緊急事態である事を察していた。

 だが今は、中途半端な情報を伝えない方が良いのだろう。少なくとも、さくらが行おうとしている事が、終わるまでは。


 一方さくらは、右腕とも言える江藤に連絡し、幾つかの指示をする。そして、スマートフォン内の連絡帳を検索し、とある場所へと連絡をした。


「取り敢えず、一揃いを七人分。急いで送ってくれないかい? あぁ、事情はちゃんと話すよ、でも後日にしておくれ。村の問題を、あんたへ先に話すのは、筋違いじゃないかい? はぁ? いつあたしがあんたに、隠し事をしたんだい? ただねぇ、あんたには尻拭いしてもらう事になるよ。あぁ、すまないねぇ。また連絡する。あぁ、わかってる。ありがとう」


 電話をかけていた孝則は、さくらの会話を断片的にしか聞いていなかった。恐らく、彼女が送る様に指示していたのは、感染症の検査キットだろう。

 インフルエンザの検査キットなら、この診療所にも置いてある。必要なのは、それではない。

 簡易的な検査が出来る道具を、一通り揃えようとしているのだ。


 医療従事者ではない彼女に、そんな事が可能なのは、広い人脈が有ってこそだろう。

 孝則は、酒の席で聞いたことが有る。さくらは、財界だけでなく、政界とのパイプがある。


 それだけではない。戦後さくらは、子供達を率いて大人と渡り合って来た。子供達の中には現在、闇組織の顔役となっている者も居るのだ。

 暴対法の改正等で、関わることすら煩く言われる昨今では、連絡を取っていないと聞いている。


 さくらには一笑に付されたが、単なる可能性だけで語るなら、様々なパイプを通じて、表と裏から政治や経済を支配する事は、不可能では無かろう。


「ほんと馬鹿だね、あんたは。そんな事が、出来る訳ないだろ? 頭のいい奴ほど、リスクヘッジが上手いんだよ。そんな妙な事に、金を出す奴はいないさ。まぁ、金稼ぎだけしか頭にない奴は、碌なもんじゃないけどね」


 酒の席では、そうやって小馬鹿にされた。

 では孝則が何故、妙な問いかけをしたのか。それは孝則が、さくらを尊敬しているからに、他ならない。


 しかし、幾らさくらが賢くても、どんなに強い影響力を持つ人物でも、今は信川村の住民である。住民ならば、自分に守る義務がある。

 どれだけ凄かろうが、か弱い一人の老婆なのだ。


「さくらぁ。無茶な事は、すんじゃねぇぞ!」

「ありがとう。でも、安心しなよ、孝則。全部、上手く行くさ」

「なんだそりゃ? 元経営者の勘ってやつか?」

「いいや、女の勘だよ!」


 さくらが依頼した検査キットは、その日中に診療所へ届く。そして、検査が始まる。

 一方その頃、治療室では、貞江とみのりが奮闘していた。 

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