第8話 治療

 時は、青年をストレッチャーで運ぶ所まで遡る。


 既に限界は超えていたのだろう。

 青年はストレッチャーの上で横になると、そのまま意識を失う。

 さくらの支えが有ったとて、ほぼ自力で歩いて来たに違いない。所々に敗れた衣服は、真っ赤に染まり、流れ出した血の多さを物語っている。

 敗れた衣服から垣間見える無数の傷、そして明らかに肩口に負ったのは、致命傷にも近い傷だろう。

 

 若者をストレッチャーに載せる時、背中も確認をした。何か鋭い爪の様な物で、引き裂かれた跡が有る。

 よく、生きている。それより何故、血が止まっている。

 

 疑問を抱えながらも、貞江は青年を乗せた車を走らせた。

 診療所までは、数分とかからない。脈拍は弱まっているが、生死に影響する程ではない。ただしこのまま意識を失ったままの状態が続けば、何かしらの後遺症が残ってもおかしくはない。直ぐに処置をしなければ。


 貞江は診療所の前で車を停めると、直ぐに青年を処置室に運んだ。

 べっとりと血が染み込み、体に張り付いている服を、貞江は切断していく。患者の体を見れば見る程、不可思議に思う点が多い。


 腕や体の前方にある傷は、極めて小さい。恐らく、何かに引掛けて、傷をつけたのだろう。衣服の一部が破れているのも、それが原因で間違いはない。

 ただし、肩口と背中の傷は異なる。何か大きな獣に襲われたとしか、考えられない傷である。


 少なくとも、さくらが縛ったのであろうタオルは、止血の役には立っていない。それ以前に、背中の傷は処置すらされていない。

 大量の血液が対外に流失した事により、一時的に血圧が低下した。結果的に脳に血液がいかなくなり、意識が混濁した状態に陥ったのだろう、

 

 それにしても、肩口や背中にある、爪で抉られた様な傷。こんな傷を、さくらに治療が出来る訳が無い。

 幾らさくらでも、血を止める術を有しているはずがない。せいぜい可能なのは、無理にでも心臓を動かし続ける事だろう。


 ただし、さくらが緊急処置をしたおかげで、この青年は命を繋ぎとめた。青年を救ったのは、間違いなくさくらだ。

 それでも不可解な点は残る。何故、傷が塞がっているのか。


 貞江は迅速に、青年の血液型を調べる。そして固定電話を使い、尤も近い緊急病院へ、血液パックを届ける様に依頼をする。

 続いて、バイタルを計る機械を、青年に繋げる。そして、点滴の器具を素早く用意し、青年に輸液の注入を始めた。

 頭を働かせながらも、素早く手を動かせるのは、貞江が優秀な医者である証であろう。


 青年の処置が、ひと段落した所で、外から車の音が聞こえる。

 そして、喧しい声と共に、診療所に入って来たのは、義理の父である村長の孝則であった。

 ただ、診療所に入って来たのは、孝則だけではない。喧しく騒ぎ立てる孝則を諫める声がする。義理の母であるみのりだ。


 みのりが、大人しく待合室で待機する様に、孝則に言い聞かせている。その後、直ぐにみのりは、治療室のドアを開けた。


「貞江さん、大変だったねぇ。さくらさんに呼ばれたのよ。事情はわからないけど、私が呼ばれたって事は、急患なんでしょ? 容体は?」

「お母さま。患者は、一先ず落ち着きました」

「そう、よかったわ」


 そう言いつつも、みのりはバイタルの信号を確認する。そして患者の状態を、ひとしきり眺めると、ふうと息を吐いた。


「血液パックは、どの位で届きそう?」

「一時間はかからないと言ってました」

「やっぱり、この村は後回しにされるのね。文句言ってやろうかしら」

「仕方ありませんよ。それより、今出来る事をしないと」

「そうね。貞江さん、指示して頂戴!」

「すみません、お母さま。家事を全てお任せしているのに、私の手伝いまで」

「何言ってるの? 貞江さんが頑張ってるから、私も頑張れるのよ。頼りないかもしれないけど、少しは力になれるはずよ! それに、夜食も持って来たからね。落ち着いたら、みんなで食べましょ?」

「はい。ありがとうございます、お母さま」


 みのりは、奥の部屋へ向かうと、白衣とマスクを装着して戻って来る。


「あの、お母さま。多分、びっくりされると思われるんですが」

「なあに、これ以上私をびっくりさせる事があるの?」


 患者の顔を、しっかりと確認しなくても、村の住人でない事がわかる。それ以前に、特定の業者以外に、この村を訪れる者は少ない。

 それ以外に、この村を訪れる者は、村から都会へ出た者くらいだろう。

 稀に、さくらやヘンゲル夫妻の様に、定住する者はいる。だが、そんな事は、滅多に起こらない。

 

 観光客なら、山道を車で来たのだろう。

 道幅が狭く、曲がりくねった山道は、慣れた者でも油断をすれば、事故を起こす。仮に山道で事故を起こしたとすれば、対応するのは隣の市に所属する警察だ。

 救急搬送が必要な場合は、最寄りの緊急病院であり、この診療所ではない。


 仮に、山道を抜けた所で、事故を起こしたとすれば。いや、飲酒運転でもしてない限り、事故を起こす事は無いだろう。

 それに追突事故の様な事が起きたのなら、さくらはスマートフォンを使って、村中に知らせているはず。

 

 恐らく、みのりが言いたいのは、この患者の事ではない。この患者を含めた何かが、この村で起きた。それをさくらは秘密にしたい。そして、貞江は目撃したのだろう。

 普段は冷静な貞江が、何かソワソワしている様にも見えるのは、そのせいかもしれない。


  みのりは、少し間を置いてから、貞江に近づくと優しく肩を叩く。


「安心なさい。あなただけじゃないから、わたしもいますから」

「ありがとうございます、お母さま」


 貞江にとって、何よりも安心できる一言であったのだろう。みのりは、貞江の体から、少し力が抜けたのを感じた。

 集中する事は大切だが、極度の緊張はミスを生む。それは、医療従事者にとって、致命的な事なのだ。


 そして二人は、バイタルのチェックから、裂傷箇所の再確認など、作業を始めた。作業をしながら、みのりは貞江から、見たこともない生物の話を聞く。


「そうなの? 面白い事も有るものね」

「暢気にしている場合ですか?」

「だって、さくらさんが居たんでしょ? なら安全よ。何も心配する事はないわ。あぁでも、うちの人が待合室に居るんだわ。教えないと、子供達をびっくりさせちゃうわね」


 そう言うと、みのりはビニールの手袋を外し、マスクを取ると、治療室から出ていく。

 貞江は、呆れる位に泰然としたみのりの対応に、尊敬の念を感じていた。

 

 みのりは、貴族のご令嬢の様に、世間を知らずに育った、頭がお花畑の老婆ではない。

 みのりもまた、戦災孤児である。幼い頃はさくらの下で、世間と戦いながら育って来たのだ。

 また、さくらが信川村に移住したのは、みのりの誘いがあったからだとも、聞いている。


 村の農家達をまとめているのが鮎川郷善ならば、山に関する事を仕切っているのは山瀬幸三だ。

 そして桑山みのりは、信川村に住む女性陣をまとめる顔役であり、郷善や幸三らからも信頼を置かれている存在なのだ。


 少しすると、みのりが治療室へと戻ってくる。そしてみのりは、少し笑いながら、孝則の様子を語り始める。


「そんなバカな事が、有るわけねぇだろ、ですって。全く信じないのよ、あの人。でも、さくらさんの名前を出したら、コロっと変わるの。あいつなら、何をやっても不思議じゃねぇ、って言うの。頑固なのか、柔軟なのか、よくわからないわね」


 貞江からすれば、みのりがどうしてそんなに泰然としていられるのか、信じられないはずだ。寧ろ、貞江や孝則の反応は普通だと言える。

 それに、幾らみのりでも、実物を目にすれば、反応は変わるはず。


 みのりが治療室に戻って直ぐの事だった、待合室から孝則の声が聞こえてくる。続いて、さくらの声も聞こえる。

 声の感じからすると、孝則に驚いた様子は感じない。寧ろ、心配すらしている。


 やがて、治療室のドアが開かれ、さくらが入って来る。そして、見た事がない生物が二匹。さくらの後ろに隠れていた。

 

 貞江は、未だに信じられないとばかりに、目を皿のようにして、子供達を凝視している。

 そんな様子を見たみのりは、貞江の肩をポンと叩き、現実へ引き戻す。そして、ゆっくり子供達に近づいた。

 膝を曲げてゴブリン達と視線を合わせると、さくらの後ろに隠れる子供達に向かって話しかける。


「あら、怪我しちゃってるのね。大丈夫よ、ばあちゃんが手当てしてあげる」


 優しい笑顔と、柔らかく響く言葉。それが、子供達の怯える心を癒すのだろう。

 みのりの言葉に続く様に、さくらは後ろに隠れている子供達を、前に押し出す。


「安心しな。この人は、あんたらを手当てしてくれるんだよ」

「ギイ、ギギ、ギギギ」

「ガガ、ガガ、ガア、ガガガ」

「大丈夫っていってんだろ? 怪我してんだし、血も出てんだ。治してもらいな」


 さくらは、二匹を置いて、治療室を出ようとする。二匹は、さくらを追うように歩き出す。

 二匹の行動は、まるで母親に置いて行かれ、不安でいっぱいの子供の様である。すかさず、みのりは二匹の肩を掴む。二匹はさくらに訴える様に叫ぶ。

 さくらは、少しだけ振り向くと、みのりに視線を向けた。


「ギギ」

「ガア」

「みのり、後は頼んだよ」

「えぇ、さくらさん」

「ギイ、ギイ」

「ガア、ガア」


 二匹の悲痛な叫びに耐えかねたのか、さくらは再び二匹に近づくと、頭を撫でた。


「みのりは、あんたらを傷つけない。だから、みのりの言う事を聞くんだよ。大人しくしてるんだよ。いいね」


 さくらは二匹の頭をひと撫ですると、治療室から出ていった。

 二匹は肩を落とし、しばらくの間、ドアを見つめていた。みのりは、二匹が落ち着くのを見計らって、再び声をかける。


「さぁ、手当てをしよ」


 二匹が振り返ると、優しい笑顔が視界に飛び込んでくる。

 ようやく観念したのか、二匹はみのりに連れられ、椅子に座らされた。


 先ずみのりは、二匹の全身をくまなく確認した。

 二匹には、体のあちこちに傷が有る。傷からは血が滲んでいる。何かに引掛けたのだろう。しかし、一部の傷は、既にかさぶたを作っている。


 それを見て、みのりは確信した。

 傷を修復する体の構造は、人間と変わりがない。それならば、洗浄と止血処理で、治まるはずだろう。

 道具を棚から取り出す為に、みのりは二匹に背を向ける。そして、ゆっくりと息を吐いた。


 人間ではないのは、見て明らかだ。びっくりしない筈がない。

 しかし、さくらに情がわいた理由は理解できる。昔は、あんな子供ばっかりだった。

 食べる物は勿論、着る物すら無い。飢えてがりがりに痩せ、道の端で転がっている。自分もその一人であった。

 さくらが助けてくれなければ、生きていなかったかもしれない。

 みのりは深呼吸をして、自分を落ち着かせる。そして治療器具を棚から出すと、二匹の治療を始めた。


「痛くないから、安心してね」

「ギギ?」

「ガガガ?」

 

 みのりは傷口を丁寧に洗い、ドレッシング材で覆っていく。そして治療の間、みのりは笑顔を絶やさなかった。

 

 人間と違う。それならば、人間では当たり前でも、この子らには当たり前じゃない。疑念を抱いてもおかしくはない。

 極度の緊張感や恐怖感を与える事があれば、自身に危険が及んだ事を察して暴れるはずだ。

 笑顔を絶やさなかったのは、二匹を安心させる為であった。


 治療が終わりに近づく頃、二匹は舟をこぎ始める。小さな子供が、体を前後させている様子は、可愛らしさが有る。

 だが、眺めている訳にはいくまい。みのりは二匹を、患者用のベッドへと運ぶ。


 この時、二匹が寝てしまったのは、運が良かったのかもしれない。

 キットが届けば、時間のかかる検査が始まる。それは、彼らに恐怖を与える物になるかもしれないのだから。

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