第5話 出会い

 青年が息を吹き返した。それに安堵して、さくらから力が抜ける。

 その後すぐに、青年は意識を取り戻す。しかし、青年の口から発せられる言葉を、さくらは理解が出来なかった。

 それは非肉にも、この場所が日本とは違う事の証明になった。


 さくらは青年に声をかけながらも、周囲を見渡す。力が抜けている上に、老体には辛い応急処置をしたため、目の前がクラクラとしている。だが、そんな視界の中に、二つの影が飛び込んで来た。


 見た事もない二本足の生物。あれが何者なのかなど、考えを巡らせる余裕は、今のさくらにはない。

 ただその姿を見た時、さくらは幼い頃を思い出した。


 さくらは、戦前の生まれである。終戦直後は、今でいう中学生くらいの歳である。そしてさくらは東京の生まれで有り、空襲の恐ろしさを、嫌という程に理解している。

 ただし、戦時中は両親が健在であり、さくらは守られる存在であった。


 さくらにとって、生きる為の戦いは、戦後にあった。

 

 戦時中に両親を失い、一人で生きていかなければならない。そんな子供は、さくらだけではない。幾らでもいた。

 さくらは、ある程度の年齢であったが故に、生き残れる手段を見つける事は出来た。

 しかし、両親を亡くした幼い子の中には、日々の食事もままならず、餓死寸前の様にガリガリと体が細くなり、路上で倒れている子供達は少なくなかった。

 

 やがて、そんな子供達は児童施設へと、強制的に連行されていく。ただ、そこでの暮らしでさえ、充分であるとは言い難い。

 

 さくらの戦いは、そこから始まった。

 同じ年齢位の子供達を集めて組織を作り、統制を図って仕事を探す。仕事と言っても、子供が出来る仕事など多くはない。そしてお金は、紙くず以下の価値も無い。

 物資がない。そして働いた収入に、如何ほどの価値があるだろか。大人でさえも、生きるのに必死な時代なのだ。


 国からの配給だけでは、生きてはいけない。そんな時代では、交換できる生活に必要性が高い物に、価値が有る。

 配給された衣類を持って農村に赴き、一握りの米を貰って帰る。それで、腹の足しになる訳ではない。しかし、そんな事でもしない限りは、生活が出来ない。


 さくらと仲間達は、GHQの軍人達に群がり、気まぐれに配るお菓子を搔き集めた。腹を満たす為ではない、大人達が持つ生活必需品と交換する為だ。

 そうでもしないと、飢えて死ぬ。

 

 中には、窃盗を繰り返して捕まる子供も多くいた。国の組織に捕まるならましだろう。怖いのは闇市を取り仕切っていた者達に、捕まる事である。

 制裁という名の暴行を加えられ、あっさりと命を落とし、居なかった事にされる。例え命が助かっても、奴隷の様な過酷な労働を強いられる。


 では、農家の連中は豊かな暮らしをしていたのか?

 都会で家を失い、路上生活を余儀なくされていた者達よりも、幾ばくかはましであっただけだろう。農家に盗みに入り捕まれば、当然ながら手痛い制裁が待ち受けている。

 農家でさえ、生き残るためには必死にならなければ、いけなかったのだ。

 

 そんな子供達を、さくらは多く見て来た。だから目の前に立つ、ガリガリに痩せた二匹が、在りし日の子供達とダブって見えた。


 さくらは重い体を動かして、リュックの中を弄る。そして、水の入ったペットボトルと、弁当箱を取り出すと、弁当箱の蓋を開けて見せた。

 

「お腹が空いてるんだろ? お食べ!」


 よく見れば、人間と違うのは理解できる。

 それでも、怯える様に震えながらも、立ち去る事すら出来ずにいる二匹を、さくらは放置する事はできなかった。


「大丈夫! 毒じゃないよ、いいからお食べ!」


 そう言って、さくらはゆっくりと立ち上がる。

 見れば二匹の内、少しだけ体が大きい方が、小さい方を守る様にして背に庇っている。二匹とも足が震えている。こちらが、怖いのだ。

 だから極力、怖がらせないように優し気なトーンで、話しかけながら二匹に近づく。


「※※※※※※!」


 青年は、自分を助けてくれたさくらを、止めようとした。

 何故なら、ゴブリンは、人間の意志が通じない害獣だからである。

 またゴブリンが人間を恐れる様に、人間もまたゴブリンの住処には近づかない。それは成体のゴブリンが、群れで狩りを行うからである。

 例えそれが子供だとて、不用意に近づけば、命を落としかねない。

 

 ただその時、青年はさくらの心を感じ取った。

 あの老婆は、ゴブリンの存在を理解していない。危険性をわかっていない。あの優しい老婆は、自分だけじゃない、腹を空かせたゴブリンの子供も、助けようとしているのだ。

 ゴブリンに害意が無い事はわかっている。しかし彼らに近づくのは、あまりにも危険な行為であろう。 

 

 ただ青年が、力づくでさくらを止めようとしなかったのには、訳が有る。

 無論、まだ体が充分に動かせないのは、大きな要因だ。それ以上に、ゴブリンの子供達からは、害意どころか、驚いている感情が伝わってくるのだ。

 恐らく、自分が意識を取り戻した所を、見ていたのだろう。


 そしてゴブリン達は、さくらの行動にも驚いている様子である。

 ゴブリン達は匂いから、さくらの持つ物が、食べ物だと理解したのだろう。そして今は、さくらの持つ食べ物に興味を惹かれている様子だ。

 そして、それを差し出そうとしてくるさくらに、感謝している様子さえ伺える。

 

 何者なんだ、あのゴブリンは?

 あの老婆もだ?


 青年は、心の中で呟いていた。

 そしてさくらは、ある程度の所まで近づくと、弁当箱を包んでいた布を、あぜ道の上に広げる。その上にペットボトルと弁当箱を置く。そして、おにぎりを一つ掴んで齧り、安全である事を見せる。齧ったおにぎりは、弁当箱に戻して、ゆっくりと青年の近くまで下がる。

 下がった所で、柔らかな笑みを浮かべて、もう一度声をかけた。


「食べな。食べても平気な物だから、安心して食べな。全部、食べちゃってもいいんだ」


 二匹のゴブリンは、さくらと弁当箱を交互に見る。そして、さくらの様子をちらちらと見ながら、ゆっくりと弁当箱に近づく。

 弁当箱まで手が届く距離まで近づくと、ゴブリン達はもう一度さくらを見る。そして、しずかに口を開いた。


「ギ、ギ?」

「ガ、ガ?」


 食べてもいいかと、問いかけているのか。子供らしく可愛らしい声で、ゴブリン達は話しかける。

 さくらには、彼らの言葉がわからない。だが、言いたい事は伝わったのだろう。笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと頷く。


「いいよ、食べな。焦らず、ゆっくりと食べるんだよ」


 さくらが頷いた瞬間、ゴブリン達は弁当箱の中身を、手づかみで貪り始めた。余程、腹が減っていたのだろう。夢中になって食べている。

 流石に口いっぱいに頬張り過ぎたのか、やや体の大きい方のゴブリンが、胸を詰まらせた様に苦しそうにする。

 それを見た体の小さい方のゴブリンは、心配そうな瞳で体の大きい方のゴブリンの体を擦っている。


「水を飲みな! それ、そこにあるだろ! それだよ!」

 

 さくらは指で、ペットボトルの存在を、ゴブリン達に教える。さくらの仕草で気が付いたのか、大きい方のゴブリンは、ペットボトルを掴んだ。

 恐らく、中に水が入っている事は、理解したのだろう。だが、飲み方がわからない様子で、苦しそうにしながら困っている姿が窺える。


「ほら、そこに手を当てて、捻るんだよ。こう、こうだよ」


 さくらは、ペットボトルの蓋を開ける仕草をし、飲み方を伝える。

 真剣な眼差しで、体の大きな方のゴブリンは、さくらの仕草を見て真似る。直ぐにペットボトルの蓋が開き、水でつかえをを流しこむ。

 そして、体の大きい方のゴブリンは、小さい方のゴブリンにも飲むようにと、ペットボトルを渡した。


 その様子を嬉しそうにして見ると、さくらは青年へと視線を向ける。


「ほら、心配する事はないんだよ。良い子じゃないか」

「※※※※※※※※※※※※」

「すまないね。やっぱり、あんたの言葉はわからないよ」


 少し寂し気な表情を浮かべて、さくらは青年の言葉に答えた。

 さくらは何となく、青年がこちらの意志を読み取っている気がしていた。先ほど青年は、呼びかけて止めた。それも、焦ったような口調だったのに。

 それは、伝えようとした事が、必要ないと判断したのか、杞憂だと考えたのか、どちらかなのだろう。

 寧ろ、青年が伝えようとしている事が、理解出来ない。さくらは、それを寂しく感じていた。


 対して、ゴブリン達が伝えようとしている事は、とてもわかり易い。言わずもがな、表情を見れば直ぐにわかる。多分、さくらでなくとも。

 

 ゴブリン達は、一つの弁当を二匹で分け合いながら、嬉しそうにして食べている。

 また二匹は兄妹なのか、小さい方のゴブリンは、大きい方のゴブリンに甘える様な仕草もする。


 弁当を食べる所を見守りながら、さくらは自分の息も整えている。そんなさくらを、彼らは時折見ると、ペコリと頭を下げるのだ。

 動作を付けて指示をすれば、ちゃんと理解する。彼らには、それだけの知能が有る。

 さくらにはゴブリン達が、人間の子供としか思えなくなっていた。


 丁度、ゴブリン達が弁当を綺麗に平らげた所で、腰を下ろして休んでいたさくらは、再び立ち上がる。そして、ゴブリン達に向かって歩き出した。

 今度は、一歩ずつ慎重に歩みを進めるのではなく、普通の速度で近づく。


 そんなさくらを視界に捉えながらも、ゴブリン達は先ほどとは打って変わり、怯える様子は欠片も感じない。

 そして目の前まで近づくと、徐に手を伸ばして、優しくゴブリン達の頭を撫でた。最初は大きい方、次は小さい方と、順に頭を撫でる。

 ゴブリン達は、嬉しそうに眼を細め、手から伝わる体温を感じていた。


「弁当を全部食べてくれて、ありがとうね。美味しかったかい?」

「ギイ、ギイ!」

「ガ、ガ、ガア!」


 さくらの言葉に反応して、ゴブリン達は何かを伝えようと声を上げる。それも満面の笑みで、体中を使って、嬉しさを表現するかの様に。

 さくらの表情は、孫を見るかの様に綻んでいた。

 

 一方青年は、目を皿のようにして、その光景を見ていた。

 ゴブリンに食料を与えて懐かせるなど、聞いたことがない。ゴブリンは害獣であって、子供とて油断してはいけない。それがこの世界の、常識だからだ。

 しかもゴブリン達からは、信愛に近い感情すら伝わってくる。


 これも、奇跡の一つなのか? 自分の命が助けられた様に、あの老婆が奇跡を起こしているのか?

 もしかしたら、あの老婆は本当に神の使いなのか?

 青年は、理解出来ない現象を目の当たりして、熟慮を重ねていた。だが、そんな青年に向かって、さくらから声がかかる。


「そろそろ、体は動かせそうかい? 流石にあたしじゃ、あんたを担いで病院に運ぶ事なんて出来ないよ。言ってる事は、伝わってるかい? 病院だよ、病院。あんたは、さっきまで瀕死の重傷だったんだ。不思議な力で治ったから、ハイ終わりって訳にはいかないんだよ。わかるかい?」


 言葉は理解出来なくても、青年にはさくらの感情が、薄っすらと読み取れる。

 自分を心配してかけてくれた言葉、そして未だ自分の体を心配している。

 青年は、さくらを心配させない様に、ゆっくりと立ち上がろうとする。やはり血が足りないのだろう、立ち上がろうとした時に、少しふらついた。

 そんな青年を支えたのは、さくらではなく、大きい方のゴブリンであった。

 

 これは、青年を更に驚かせた。

 老婆に心を許しただけでなく、ただそこにいただけの、自分にも心を許し、且つ手助けをしてくれたのだ。

 そして青年の口から、思わず言葉が漏れ出た。


「※、※※※※※」

「ギイ。ギ、ギイ!」


 その会話は、さくらにも理解が出来た。ありがとう、どういたしまして、だろう。


「大助かりだよ。あんたらは、ほんとに良い子達だ」


 そう言って、ゴブリン達の頭を撫でると、さくらは青年に肩を貸す。


「これで歩けるかい?」

「※※※※※※」


 青年は言葉と共に、大きく首を縦に振る。


「そうかい。じゃあ、願っておくれ。そのネックレスにさ。まだ欠片が服のどっかに引っ掛かってんだろ?」

「※※※※※※?」


 次の言葉を理解出来ず、青年は首を傾げた。


「仕方ないねぇ。じゃあ、あたしが願おうかね」


 そう言うと、さくらは目を閉じる。そして青年の懐から、淡い光が漏れだして消える。

 服についた欠片が、最後の力を振り絞ったのだろう。


 やがて、さくらの眼前には、白い霧が現れる。

 さくらが青年に肩を貸し、ゴブリン二匹が後ろからそれをさ支える様な恰好となり、一同は白い霧の中へと歩みを進める。

 さくらにとっては、来た道を戻るだけ。寧ろ、体感的には行きよりも、早かったかもしれない。


 白い霧を抜けると、そこには信川村の景色が広がっていた。

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