第3話 日常に潜む非日常

 村の北側に、山道が位置している。そして山道を迎える様に、旧市街地が存在する。

 旧市街地には、役場と診療所、そして集会所や共同墓地等が存在する。主に村の住民が訪れるのは、診療所と集会所くらいであろう。


 そして、平野部である村の中心に広がるのは耕作地。ただし現在は、その大半が休耕地となっている。住宅の多くは、耕作地を中心として建てられている。


 また、北西部の山脈から南東の山間方面へと、村を横断する様に川が流れている。この川から耕作地へと水が引かれ、今でも用水路として活用されている。そして川より南には、二軒の家がポツリと建つのみである。


 この村のあちこちを巡る事が、さくらの日課になっている。

 梅雨が明け、夏が訪れると共に、日差しが強くなる。日が昇りきらない、朝方から午前中にかけて、さくらは村の散策を行う。

 そしてこの日、さくらは散策中に会った元教師である三笠英二と共に、旧市街地へ向かって歩いていた。


「深くは聞かんし、お前の事だ。どうせ何を聞いても、自分の為だと嘯くのだろう」

「先生、何が言いたいんだい?」

 

 他愛もない話しの中に織り交ぜれば、さくらも事情を話すだろうと考え、三笠は前から疑問に感じていた事を、さくらに問いかけた。

 だがさくらは、首を傾げる様な仕草を行う。頭の回転が良いさくらの事だ、三笠の意図には気が付いているのだろう。


 別に、話したくなければそれでいい。さくらが自分の為と称して行う事が、村や住民の為である事を、誰もが知っている。

 村の為になる事が、延いては自分の為にもなるのだ。


「お前はそうやって、とぼけるのだな。わかっておるのだろ? 散策の目的だ」

「そんなのは、別に隠しちゃいないさ。助役の佐川さんには、江藤から報告させてるしね。そうさね、第一フェーズにようやく終わりが見えた感じかね?」

「それは、この村の再生の事か? そういう重要な話しには、孝則も加えてやれ。あれでも村長だ、拗ねるぞ!」

「あのじいさんには、事後報告で充分だよ。年甲斐もなく、率先して動き回ろうとするんだから」

「まあな。だが、あいつの行動力のおかげで、今までこの村が存在出来ていたとも言えよう」


 桑山孝則は、信川村の村長を長年に渡り務めて来た。住民が減り、高齢化が進む中、村を維持しようと奔走してきたのは、孝則である。

 だからなのだろう、さくらの計画を一番理解しているのは、孝則であると言っても過言ではない。

 当時、さくらが持ちかけた事業計画を一早く理解し、住民達の説得にも寄与している。

 

「大したじいさんなのは、知ってるよ。でも、歳を考えろって言ってんのさ」

「それは、お前に言われたくなかろう。お前より年上だが、二つしか変わらんはずだ」

「あたしは、いんだよ。趣味みたいなもんだから。それに、自分の足で確かめないと、何が不足かわからないからね」

「ほぉ。似た者同士だから、しょっちゅう喧嘩しているんだな」

「あはは。って、笑えない冗談だね、先生!」


 孝則とさくらの話し合いは、時折口論へと発展する事が有る。それは、互いを認めているからこそ、口論まで発展するのだろう。

 意見の食い違いを、徹底的に話し合い、互いに妥協点を探りだそうとする。その為には、持論を展開させねばならぬし、その結果として衝突もするだろう。


 そして両名の口論を、住民達は止めようとはしない。何故なら、罵倒しあっている下らない喧嘩ではなく、建設的な話し合いがヒートアップしているだけなのだから。

 それがより良い結論へと結びつく、両名の熱い戦いは必ず結実する。


 ただそれを面と向かって言われると、面白くはない。さくらが少しムッとした表情を浮かべると、三笠は頭を掻きながら、苦笑いを浮かべた。


「まぁ、許せ。それより背中のリュックは、弁当でも入っているのか? なら今日は、一日がかりになるのか?」

「いや。今日は、旧市街地を周ったら帰るよ。途中で、集会所に寄る予定だからね。そこで、昼にしようと思ってさ」

「くれぐれも、無理はするな。お前も私には、言われたくなかろうがな」

「いいや、流石は先生だね。大人しく耳を傾けたくなる」

「それは良い事だ。おっと、こんな話しをしている間に、着きそうだ」


 さくらに向けていた視線を、三笠が前に向ける。その先には、三笠の目的地である、桑山家が見える。三笠の視線に合わせて、さくらも目を細める。丁度、その時だった。

 前方から一台の軽車両が向かってくる。軽車両は、さくら達の横まで来ると停車する。車の窓を開くと、白い髭を蓄えたやや強面の男が、さくら達に話しかけた。


「あぁ? 先生とさくらなんて、珍しい組み合わせだな。仲良く、何処に行くんだ?」

「私は、孝道の手伝いで、桑山の家へむかっている。さくらは、向かう方角が一緒なだけだ」


 ぶっきらぼうな感じで問いかける男に対し、三笠は真剣な眼差しで事実を語る。それは、長年教師をしていた所以かもしれない。

 ただ運転手の男は、三笠の答えを聞いて、少し声を上げて笑った。


「ふははは。別に、妙な勘繰りはしちゃいねぇよ。それより、さくら。山には近づくなよ」

「あぁ。そう言えば、熊が降りて来てるって、掲示板に載ってたね」

「あぁ。上流付近に近づくのも駄目だ。調べもんがあれば、俺が代わりに行く」

「わかった、そうするよ。それより、今日は一人なのかい?」

「洋二の奴は、畑に置いて来た。俺はこれから、見回りだ」


 そう言うと運転手の男は、後部座席に置いてある猟銃を指さした。

 この村には、猟師免許を持つ者が二名存在する。一人は車を運転し、さくら達に話しかけてきた人物、山瀬幸三。二人目は、幸三の弟子として、行動を共にする事が多い三島洋二。

 二名の家は、川を渡った先にある。それは、彼らが猟師であり、山が近い方が便利であるからだろう。


「なんだ、幸三。お前も、さくらの手伝いをしていたのか?」

「手伝いってほどの事じゃねぇよ。山の事は、俺らにしかわからねぇ。それに、さくらみたいな都会育ちが山に入れば、遭難して終わりだ」

「否定はしないよ」

「だから、無茶はやめとけ! いいな! 村長でも、やらねぇんだからな」

「わかったから、さっさと行きなよ!」

「ったく、口の減らねぇババアだな。まぁ、山菜が採れたら、持って行ってやるよ」

「ありがとね」


 口が悪くても、さくらは気に留めない。幸三は見た目に反し、とても気の優しい男である。幸三が口煩くするのは、自分を思ってだからと、さくら自身が理解している。

 また幸三は、ちょくちょく山菜や猪肉などを、さくらや他の住民達の家に届けている。 

 そんな幸三は窓を閉めると、南部の山脈方面へ向けて車を走らせた。


「なんて言うかさ、悪ガキがそのまま大人になった感じだね」

「まあな。隆子は、よくいじめられていた」

「それはいじめってより、思春期特融のやつでしょ?」

「あぁ。なんだかんだで、今は夫婦だしな。幸三ほど、愛妻家もいるまい」


 そうしている内に、三笠の目的地へと辿り着く。三笠は別れを告げ、さくらはそのまま散策を続けた。


 ゆっくりと景色を見ながら、さくらは歩いていく。

 今は使われていない、廃屋となった商店街。ITインフラの重要施設とも言える、Wifi基地局。それ以外にも、発電施設等や路面の状態等を念入りに確認しながら、旧市街地を抜ける。

 そして、唯一村へのアクセスとなる山道へと向かった。


 信川村は、山に囲まれている為、早朝は霧が発生し易い。ただ、現在の時刻は九時を超えている。例え霧が発生したとしても、既に消えている頃だろう。

 しかし山道へ向かう途中、さくらの目の前に視界を覆う程の霧が発生していた。周囲を見渡せば、霧は山道へ向かう道にしか発生していない。

 さくらは立ち止まり、首を傾げていた。


「この手の事には、詳しくないんだけどね。霧ってのは局所的に発生するもんかね? それに、こんなに濃い霧は、見た事がないね。異常気象の一種かね?」


 立ち止まり独りごちるさくらは、目の前に起こる現象を、ただの異常現象としてしか、捉えていないかった。


「まぁ、少しは暑さが和らげそうだね」


 そう語るさくらは、暢気に一歩を踏み出した。これが後に、信川村を揺るがす一大事になる事を、つゆ知らず。

 しかし、霧の中を歩き始めて、さくらは異常を感じた。


 霧とは空気中の水蒸気が、水になった状態である。その中を歩けば、多少なりとも水気を感じるだろう。だがその中では、水気の欠片も感じない。

 どちらかと言えば、水分というよりも、不思議な気体の方が近いかもしれない。


 首を傾げながらも、さくらは歩みを進めた。ただ、異常事態はそれだけに留まらなかった。

 周囲を白で覆われ、視界を遮られた状況では、一歩ずつ足元を確認しながらでないと危険である。しかし、どれだけ歩みを進めても、白の空間を抜け出る様子はない。

 

 さくらの目の前に、霧と思えるものが発生したのは、山道とは目と鼻の先である。幾ら、一歩ずつゆっくりと歩みを進めた所で、然程の時間はかからないだろう。

 引き返すべきかと、さくらは振り返り後方を確認する。しかし周囲は白で囲まれ、既にどちらの方角に進めば戻れるのか、勘でしか判断できなくなっていた。

 

 仕方なく、さくらはそのまま前方へと進む。どれだけ歩いたか、体感的には十数分は歩いていただろう。

 やがて、視界を遮る白が薄れていく。そして光が溢れ視界が開けた時、さくらの目に飛び込んで来たのは、見慣れた山道ではなく、見渡す限りの森と沿う様にして続く街道らしき道であった。

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