第2話 忘れ去られた村

 都心から僅か数時間の山間に、ひっそりと小さな村が存在した。

 周囲をぐるりと山に囲まれた村へ行くには、山間に沿って造られた数キロの山道を通るしかない。この村の存在を知る者は、近くの市街地に住む一部の住人くらいだろう。

 国からも存在を忘れ去られ、平成の大合併で恩恵を受ける事が叶わなかった村の名を、信川村という。

 

 村を囲む山々は、開発により多くの緑を失った狭い日本の国土において、数少ない緑溢れる楽園であった。

 手付かずの自然が残る山には、熊、タヌキ、キツネ、イノシシなどの動物を始め、多くの野鳥や昆虫等が生息する。

 また森には、ブナやカエデ等の広葉樹が生い茂っている。木々から生る実は、多くの動物達の腹を満たしていた。

 山から流れる川は、陽を浴びてキラキラと光り、イワナやヤマメ等の姿を見る事が出来る。また、山間を吹き抜ける風は、夏の暑さを和らげ、雲を村へと運んでくる。

 

 動物達の楽園と共存する様に、平地には田畑が広がる。ただし、近年では休耕地が多くなり、多くの田畑には草が生い茂っている。

 田畑の周辺には、既に住む者がおらず、廃屋と化した家々も各所に点在する。中には倒壊し、草木と一体化している物も有る。

 今でも明りが灯る家はごく僅か、耕作地として活用されている土地の近くに、ぽつりと点在している。


 村の中でも中心部周辺の道しか舗装はされておらず、住民達が主に使うのは、畑へ向かうあぜ道である。そして、元は小さな商店街だっただろう場所は、誰も住む者はいない。

 村の中心部には、古めかしく小さな役場がある。役場周辺には、村が管理している幾つかの建物が有るが、使用頻度の高いのは集会場と火葬場であろう。

 それ以外の施設は、役場から少し離れた場所に、診療所が存在するくらいである。


 無論、コンビニはおろか商店は存在しない。村へは、移動販売すら訪れない。ほとんどの場合は、山道を通って市街地へ向かい、収穫した作物を卸すついでに、買い物をして帰って来る。

 住民達が総出で、村で所有する小型のバスを利用し、近くの市街地に買い出しへ行く事もあるが、年に数回しかない稀なケースである。


 村を訪れる者も、電気や水道といったインフラ整備をする者に限られる。自然が豊かとはいえ、近くの町ですら存在を知らない村に、観光客など訪れはしない。


 都心やベッドタウンに住む者達からすれば、不便極まりない事だろう。それ故か、多くの者は都心へと移り住み過疎化が進み、現在の住民は十八名。そして、平均年齢は七十歳を超えていた。


 そんな信川村に、八十を超える老婆が、五年前に移り住む。村はそれを機に、少しずつ変革を遂げた。

 古くなった診療所の改築、上下水道の整備、発電施設の修繕と送電網の整備、そしてITインフラの構築など、次々と新たな事業が立ち上がった。


 当然、事業のほとんどは、国庫からの補助があってこそ実行可能であった。しかし、中には老婆の資産を利用したものや、一般企業からの援助を受けて行った事業も存在する。


 ただの老人ならば、村の再生に関われるほどの、多額の資産を持つことはないだろう。ましてや、村の事業を活性化させることは、不可能である。

 しかし老婆は、若い頃に立ち上げた小さな会社を、一部上場にまで押し上げ、大企業へと成長させた経済界の重鎮であった。

 夫の死と共に、夫が経営していた会社の株を相続した彼女は、自らの経営する会社と夫が経営していた会社を合併させた上で、息子に後を継がせて引退し、信川村に移住した。

 

 普通ならば、突然現れたよそ者が、村を好き勝手にする事を、住民達は良くは思うまい。だが、信川村の住民達は、よくある排他的な集落の人間とは違った。


 二十名以下であっても、真面目で頑固な者、無口で多くを語らない者、明るく社交的な者、穏やかで聞き上手な者など、様々なタイプの住民が存在する。

 その中には故郷を離れ海を渡り、この村を終の住み処と決めた夫婦もいる。その夫婦は、帰化申請を済ませ、今では日本人になっている。


 ただ一つ言えるのは、村の住民達は総じて優しかった。


「さくら、今日も散歩か? そう言えば昨日の天気、早めにわかって助かったぞ」

「そうかい。あんたもやっと、スマホを使える様になったんだね」

「うるさい! そういうのは、うちのに言え! いつまでも、使い方を覚えようとないんだ。しょうがなく、俺が覚えたんだ」

「郷善さん、何言ってのさ。華子さんは、とっくに使い方をマスターしてるよ。旦那を立てて、使えないふりをしてたんだよ。色々と感謝が、足りてないじゃないかい? それとも八十五になって、そろそろボケてきたのかい?」

「この人は、最近じゃどんどん怒りっぽくなってるんですよ。さくらさんからも、何か言ってあげて下さい」

「おい、華子! お前まで何を言い出すんだ!」

「歳をとっても、子供なんですよ。さて、華子さん。私はそろそろ散歩に戻りますね」

「おい、さくら! 下らない事を言うな! お前の方が、三つも年上なんだぞ! お前の方が先にボケるに決まってる! それと、都会育ちの軟弱もんが、あぜ道でなんかで躓くなよ! それに、熱中症にも気をつけろ、ババアなんだからな」

「あなた、そんな言い方」

「いいよ、華子さん。心配してくれて、ありがとうね。あんたも気をつけなよ、じじい!」


 五年前に移り住んだ老婆の名は、宮川さくらという。

 そして、住民達はまるで家族の様に、さくらと接した。それは、さくらが村を訪れてから行った、数々の事業に起因するところもある。

 ただ村の住民達は、よそ者としてではなく、さくらを新しい家族として受け入れた。


 自然が人の心を豊かにするのか、進んだ文明が人から心の豊かさを奪うのか。

 これが都会であったなら、こうは行くまい。

 隣近所であっても、挨拶の一つすら交わさない。集合住宅の隣部屋は、顔をすら見た事がない他人がすんでいる。これでは、都会の方が排他的であると、言わざるを得ない。


 数少ない住民は、共に支え合いながら暮らしている。それ故だろうか、住民達は皆が家族という意識が強いのだろう。そして老婆を、新たな家族として、温かく受け入れた。

 だからこそ、さくらは自分の資産を投げうって、村へ恩返しをした。また住民達は、さくらから受けた恩を忘れない。


 そうして、関係は築かれていく。


 日課の散歩に勤しめば、決まって畑の方角から、声をかけられる。そして、他愛も無い会話を楽しむ。歯に衣着せぬやり取りも、心が通じ合った仲だからこそだろう。

  

「むっ、さくらか」

「おや、先生。これから畑かい?」

「あぁ、今日は桑山の家に寄ってから、畑に向かうつもりだ」

「そうかい。今日は郷善の所じゃなくて、孝道の手伝いかい。それにしても先生は、見かけに寄らず元気だね」

「そうか? 私は、そんなに老けて見えるか?」

「先生。あんた、自分を何歳だと思ってるんだい?」

「確かにな、九十を超えれば、老いもするか。だがこう見えて、健康そのものだぞ。孝則には、負けておらん! 最近はお前を見習って、歩くようにしているしな」

「あはは。あの村長は、殺したって死にはしないよ。比べるだけ損さ。それより、健康なのは良い事だね。あたしも、見習わなきゃね」

「お前は、少し落ち着いた方がいい。年甲斐もなく、あっちこっちと飛び回っていれば、いつか大怪我をするぞ!」

「あっはは。相変わらず面白いね、先生」


 村の中をゆっくりと歩いていると、誰かしらに会う。

 しかし山間の村とはいえ、十八名の住民には過ぎた広さだろう。田畑のほとんどが休耕地となっているのも、その証拠だろう。

 また家々は、隣り合ってはいない。例えば、先生と呼ばれた老人が、畑の手伝いに行くには、一キロ近くの距離を歩かなければならない。


 井戸端会議の様な、住民のコミュニケーションは、農作業の合間にする事が出来る。また、村で唯一の医師が、定期的に回診をしている。

 だが、夫婦で暮らしている者ならいざ知らず、それだけでは住民全ての安否を、迅速に確認する事は出来ない。


 その為さくらは、かつて自分が経営していた企業と交渉し、Wifiの基地局を設置させた。そして操作が簡便な、シニア向けのスマートフォンの試作機を住民達に持たせた。

 

 当試作機には、今や当然となった、防塵、防水や位置情報を確認出来る機能は備わっている。ただ重要なのは、感覚的な操作が可能か否かであろう。

 機器が声に反応し、全ての操作を可能としている。また画面を長押しすれば、指定した全ての連絡先を、呼び出す事も可能である。

 そして、付属のツールを腕に装着していれば不整脈を検知し、自動的にスマートフォンが緊急連絡を行う。また付属ツールの装着時に、スマートフォンと一定の距離が離れると、緊急連絡先に信号が飛ぶ様にもなっている。


 付け加えるなら、アプリを使って自宅に居ながら、集会を行う事が出来る様になった。それ以外にも、ホーム画面には住民用の掲示板が表示され、回覧版よりも早く情報の伝達を行える様になった。


 年齢が高くなれば、体を動かす事自体が大変になる。また、付属ツールを身につけてさえいれば、例え徘徊しても捜索がし易くなる。その上、身体に重大な危機が訪れた時に、直ぐに連絡が出来れば、迅速な処置により救命が可能になる。

 

 スマートフォンから収集されるデータや、掲示板等を管理する者も、村には存在している。

 既に定年を迎えているが、現役時代はさくらの右腕として信頼されていた男性が、スマートフォンのプロジェクトと共に信川村へ移り住んでいる。

 彼は、試作機の使用に基づくデータを企業に報告し、また心拍数等のデータを村の医師へと渡している。

 

 信川村は、さくらの移住と共に、変革を遂げた。

 しかし、この村の存在を知る者は、村の名を別称で呼ぶ。

 姥捨て山と。

 

 確かに、住民の平均年齢を考えれば、その通り名は相応しいのかも知れない。ただし、住民達は決して捨てられたのではない。

 この村を愛していた為、村から離れなかっただけである。そして、村へ移り住んだ者達も、豊かな自然と不便さを愛した。

 

 この村の空気は、都会の様に排気ガス等で汚れていない。胸いっぱいに吸い込めば、活力が漲る。

 街灯が無ければ、明りがついている家の数が少ない。夜空を見上げれば、満天の星空に心を揺り動かされる。

 何よりも、自分達が精魂込めて作った、採れたての野菜は、何物にも代えがたい旨さが有る。


 都会に住む者達は、文明の進歩に踊らされ、本当の幸せを見失っているのだろう。住む場所に不自由せず、自らの手で作った作物は格別の味である。これ以上の贅沢が、他に有るだろうか。

 都会では見かけなくなった、蝶やバッタなどが飛び交い、美しい緑が眼と心を癒す。そんな贅沢が、他に有るだろうか。


 この村には、自然が溢れている。

 だからこそさくらは、その豊かな自然を壊さない様に、老人達の住みやすさを考え、様々な事業を立ち上げた。


 日本中からその存在を忘れられた村、地図にすら掲載されていない、利便性の少ない秘境の地。そんな場所だから、そんな場所に住む人々だから、物語が生まれる。


 これから語るのは、言葉が通じないどころか、種族さえも違う者達が、心を通い合わせる物語。ゴブリンという人間とは異なる化け物が、現代社会で平和に暮らすには何が必要なのか。それを描いた物語である。

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