第18話 別れ……

71 ──頼まれて欲しいんだ……

登場人物

・タカユキ・ツナミ:HMSカシハラ勅任艦長、22歳、男


・ベッテ・ウルリーカ・セーデルブラード:

 自称、扯旗山の宙賊ララ=ゴドィの〝愛人〟、14歳、女、元貴族らしい


・イツキ・ハヤミ:HMSカシハラ航宙長、23歳、男

・コトミ・シンジョウ:

 同船務科主管制士、23歳、女、ツナミの幼馴染み、『作戦行動中行方不明M I A



・ユウイチ・マシバ:HMSカシハラ技術長兼情報長、21歳、男、ハッカー

・〝キム〟 キンバリー・コーウェル:

 テルマセク工科大学の学生、17歳、女、ハッカーの才能有


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7月5日 1150時

【H.M.S.カシハラ/ 主幹エレベータ 乗降ロビー】


 〝皇女殿下の艦H.M.S.〟〈カシハラ〉勅任艦長タカユキ・ツナミは、艦内における自らの定位置である艦橋に至る主幹エレベータの乗降ロビーのところで、その少女──ベッテ・ウルリーカ・セーデルブラード──の顔がゆっくりと持ち上げられ自分の方に向くのを見た。


 どうやら待ち伏せられていたらしい。



 十代前半ローティーンの、気性の激しい彼女の中性的な面差しの中の蒼い瞳が、いまは気後れ気味に小さく揺れていた。


 あれから──コトミ・シンジョウが帰ってこなかったあの日から──、この海賊の愛妾を自称するミュローン貴族の少女とは言葉を交わしていなかった。やはり言葉を交わすことで〝事実〟を、彼女が原因でコトミが帰らぬ人となったことを受け入れるのが辛かったからだ……。



 いまツナミは、ベッテ・ウルリーカの思い詰めた表情かおに見上げられて、それが〝赦しを求める十代の少女こども〟の小さな心を拒絶する行動だったことに、今更ながら気付かされた。


 ──コトミがいたなら、艦橋の片隅に引っ張っていかれ小一時間は説教されるな……。


 そんなふうに思いつつ、ツナミはコトミが救った少女に向き合うときが来たと、彼女の前で歩みを止めた。



「艦長…さん……」


 勇気を振り絞るようにして口を開くベッテ・ウルリーカを、ツナミは自分でも驚いたほどの優しい声で遮った。


「──情報端末PDAはある?」



「え……? あ、コレ──」


 いきなり会話の主導権を〝持って行かれた〟形となったベッテ・ウルリーカは、訳も解からずに自分の端末PDAを取り出した。


「いま艦は忙しくて時間がないから、ここで話す──繋ぐよ」


 それを見て、ツナミは自分の私物の端末を取り出すと無線通信を介して相互接続の操作をしながら言った。


「──アレは君が気に病むことじゃない ──子供が自分で自分を責めるのはいけない。それじゃコトミに顔曇らさせる……」



「…………」


 それでもベッテ・ウルリーカは下唇を噛むように目線を下ろした。手元の端末の画面には見慣れぬ住所らしき文字列があった。


「──コレは……?」


 恐る恐るそう訊いたベッテ・ウルリーカに、ツナミは応えた。


「この場所に、シンジョウ夫人──コトミの母親──が住んでる……」


「…お母さま……」 ベッテはハッと小さな肩を震わせる。



 そんなベッテ・ウルリーカに、ツナミは優しい声で続ける──。


「──いまは難しいだろうが、気持ちに整理が着いて落ち着けたら、一度会って話してやって欲しい。

 コトミ・シンジョウの最後とアイツが救った少女きみのことを……」


 〝最後〟という単語には、ツナミよりもむしろベッテの方が反応してしまっていた。そんな彼女に、ツナミは長身を屈めて目線の位置を彼女のそれに合わせて言う。


「艦長として、同郷の同僚として、いつかは俺も話しに行くことになるが、それとは別に、君の口から伝えられることを伝えてくれたら嬉しい……と思う

 ──お母さんは、少しでもアイツのことを知りたいと思うんだ……」


 そう言うツナミの表情かおはまるで少年のようで、悲しみを乗り越えようとする者の真摯な眼差しがベッテの瞳を射竦めた。


 ツナミは一つ頷いて、ベッテに言った。


「──勿論、これは無理強いじゃない ──頼まれて欲しいんだ……」



 少し時間をもらうようにツナミを見返していたベッテは、やがて決心した……。


「…必ず……」 思ったよりも自分の声が小さかったことに、もう一度息を吸い込んでから言い直す。


「──必ず……行きます…… お母さまに会って……伝えます……」


 涙が溢れてきて途切れ途切れになりがちながら、ベッテは真っ直ぐにツナミに向いて、必死になって言葉を繋いだ。


「──コトミのこと…… 助けてもらって……感謝してること……」


 そう言い、年齢とし相応に顔を涙でぐしゅぐしゅになったベッテに、ツナミはハンカチを差し出す。



「…………」


 そんなツナミを、これまでのイメージと結び付かないベッテはただ見上げるばかりだったが、やがてバツの悪そうに苦笑するツナミの声を聞いた。


「──何? ちゃんと洗ってあるよ」


 それでようやく、真白いハンカチに手を伸ばす。

 ツナミはハンカチを手渡すと、慣れないことを遣って見せた、と気恥し気に笑ってみせ、艦橋へと歩みを進める。数歩行ってから肩越しに振り見遣った艦長が言った──。


「早くあの〝勝気な〟顔、取り戻せよ── 君には皇女殿下をお守りしてもらわなきゃならないんだからな」


 そう言って艦橋へと消える艦長をベッテ・ウルリーカは見送った。


 絶対に守らねばならない約束を一つ……二つ、胸に抱いて──。



 艦橋に入室すると、当直指揮に当たっていたイツキ・ハヤミ航宙長が片手を上げて挨拶してきた──。どうやら当人は〝略式の〟敬礼のつもりらしい。


 ツナミがイツキの側まで寄って行くと、イツキは上げた右手を軽く握る。

 その握った右手に、ツナミも軽く握った右手をコツンと当てて返した。


 そんなツナミに、イツキは笑って言った──。


「どうやら完全に立ち直ったようだな」


 それには、今度こそツナミも、完全にふっ切れた──それでもどこか寂しげな──目でイツキを見返した。





7月5日 1230時

【H.M.S.カシハラ/ 情報支援室】


 幹部士官の招集ミーティングで直交代が遅れてしまったことを申し訳なく思いながら、ユウイチ・マシバは情報支援室へと入室した。


 広めの部屋──練習艦である〈カシハラ〉はどの部屋も概ね広く造ってある──の中の端末卓コンソールの一つに、いまは非直のキンバリーキム・コーウェルがすっかり冷めたココア──彼女はいわゆる〝猫舌〟だった──を啜りながら座っていて、眼前に浮かび上がった幾つかのアイコンを操っている。



 マシバはそんな彼女の隣を歩き、自席へと腰を下ろしながら言った。


「わるい、予定外の幹部ミーティングでさ……」


 言われた方のキムは、立体複合ホロディスプレイ──立体3Dよりも平面2Dを好むマシバと違い彼女は空間認知が上手かった──から視線を上げず、気のない返事を返してくる。


「……んー ──別にいーよー…… コレ、終わらしちゃいたかったから……」


 まったりとしながら、それでも適度の集中を保って作業に没頭している十七歳の少女は、マシバの存在を〝まるで空気か何か〟ででもあるかのように扱う……。



 ──ま、いつものことか……。


 マシバは自席の端末から接続ログイン操作をしながら、先の幹部会合ミーティングでの『決定事項』をどう彼女に伝えたものか、とわずかに思案顔になる。


 つい先ほど艦橋に急遽招集されあつめられた各〝分隊長〟格の幹部士官らに、艦長はエリン皇女殿下の帝国軍艦HMS〈トリスタ〉への移乗を告げた。それに伴い艦内に収容した民間人──機関エンジニアを除く8名──も、カシハラを離れることになった。当然、キムも〈カシハラ〉を離れることになる。


 マシバはあらためて、作業に没頭するキムを盗み見た。


 この一ヶ月余りでいくつもの作業を共同でこなしてみると、彼女の才能には本当に驚かされた。

 連結される情報の広がりの中から幾つかの解釈アウトラインいきなり導き出すトップダウン彼女のスタイルは、どちらかと言えば細部の情報ディテール積上げボトムアップる自分のそれとは真逆であり、コレを彼女ほど上手くやってのける人間をマシバは他に知らない。


 興味深い存在だった。



「キム……」


 マシバは複合ディスプレイ──立体3Dよりも平面2Dを好むのはマシバ個人の嗜好だ──から視線を上げず、向かいの卓に座るキムに言った。キムも視線を上げないだろうことは判っていたので、そのまま何気のないことのように続ける。


「──まだ言ってなかったよね…… 君が居てくれて、助かった ──ありがとう……」


「なーにー ……どうしたのさー ……なんだか…もーこれで〝お別れ〟みたい……だよ?」


 いつもと同じ黄色い声音トーンが返ってきた。マシバはそれに〝肯定〟の色の空気を滲ませた沈黙で応えた。



「…………」


 その沈黙に滲んだ〝肯定〟は想定していなかったので、思わずキムは作業を止めて面を上げた。


「──お別れ……なの?」



 恐る恐る、というふうに訊き直すキムに、マシバは静かに〈カシハラ〉の『決定事項』を告げた。


「予定よりも少し早まったけれど、エリン皇女殿下をはじめシング=ポラスの民間人は全員〝別のふね〟に乗り換えることになった

 ──君もメイリーさんと一緒に艦を移る」


「ユウイチたちは?」 探るように訊くキム。


「僕たちは君たちを降ろした後も、このまま航宙を続ける──」 その理由は言わなかった。


 それから黙ってしまい固まったように聞いていたキムに、マシバは〝お道化る〟ように付け加える。


「──キムも、今度は大きなふねに〝お客様〟として迎えられるから三食・昼寝付きの身分だよ。ここヽヽみたいにき使われることもなく──」



「──昼寝はいらない」


 そのマシバのお道化た語調の台詞をキムは遮った。それから真っ直ぐにマシバを向いて言う──。


「ユウイチ…言ったよね……? 〝キミの能力ちからが必要だ〟って ──ボクはもういらないの?」


 彼女にしてはふわふわと揺れ動くような、そんな声だった……。



 マシバは内心で天を仰いだ。どう応えても彼女は〝納得しない〟だろうから、結局はこういう回答になる。


「もう、必要なくなったヽヽヽヽヽんだ……」



「どうして……? ボクがいれば、ユウイチ3人分は補助変数パラメータを組み直せるよ……」


 キムの冷静さを装った懸命なアピールを、マシバはにべもなく遮る。


「必要ない」



「ボクがいなきゃ、軌道計算だって光学情報の解析だって、これまでの2倍以上かかるよ……」


 それでも必死に食い下がるキムの言葉に、今度はマシバは優しい声になって応える。


「必要ないんだ」



「それじゃ、ユウイチ一人で全部やれるの……⁉」


 ついに語気が鋭くなったキムがマシバを睨む。マシバはただ淡々と答えた。


「やれる範囲でやる──〈カシハラ〉は軍艦で、軍艦は軍人が動かすものヽヽヽヽヽヽヽヽなんだよ」




「…………」

 マシバに突き放されたことに、キムの声音トーンが凋んでいく。「──ほんとに…… お別れ……なんだ」


 一方、ここで折れるわけにはいかないマシバは冷たく聞こえても構わないと敢えて斜に構えた。


「だからそう言ってるでしょ……」 言ってマシバは、目を逸らしてしまった。


 ほんとはマシバだって、できればこんな言い方なんてしたくない。でも、まともに会話はなしたら彼女にペースを持っていかれる……。



「…………」


 そのマシバの台詞を聞くと、案の定キムは、次の言葉を飲み込んで、黙って端末へと向き直った。


 幾つか中断した作業を保存せずに窓を閉じ掛け──、結局、保存をして閉じていく。


 それから乱暴に端末から切断ログオフ操作をして席を蹴った。



「…………」


 キムは微動だに出来ずにいるマシバの眼前から逃げるように、駆け足で出口へと向かう。



「ユウイチは非道ひどいやつだ……!」

 部屋の扉を出しな、肩を怒らしたキムがマシバを振り見遣って叫んだ。「──ボクだって…〝女の子〟なんだぞ……‼」



 泣いていた。


「…………‼」


 その泣き顔は、横開きの扉スライドドアが閉じてしまうと、扉の向こうに消えてしまった。




 部屋に残されたマシバは、椅子の背もたれに背を預けるように天井を仰ぐと、左手で目を覆って大きく喚いた。


「──あーーーっ‼ …………くそ…っ!」


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