64 〝何でそうしなかった?〟
登場人物
・ユウ・ミシマ:HMSカシハラ副長兼船務長、22歳、男、『ミシマ家』御曹司
・タカユキ・ツナミ:同勅任艦長、22歳、男
・イツキ・ハヤミ:同航宙長、23歳、男
・シホ・アマハ:同主計長兼皇女殿下付アドバイザ、26歳、女、姐御肌
・シオリ・イセ:同船務科管制士、22歳、女
・タツカ・ジングウジ:同航宙科観測員、22歳、女
・サクラコ・シノノメ:同航宙科、23歳、女
・ヨウ・ミナミハラ:同戦術科、24歳、男
・コトミ・シンジョウ:
同船務科主管制士、23歳、女、ツナミの幼馴染み、『
・メイリー・ジェンキンス:
同看護助手、19歳、女、シング=ポラス自治大学の学生、革命政治家の娘
・エリン・ソフィア・ルイゼ・エストリスセン:
ミュローン帝国皇位継承権者、18歳、女
・フレデリック・クレーク:
シング=ポラス選出の帝政連合議会の議員。40歳、男
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7月1日 0110時
【H.M.S.カシハラ/ 艦橋】
巡航艦〈カシハラ〉がイェルタ星系辺縁の
その〈カシハラ〉は慣性制御システムに不調を
艦長に代わり指揮を執るミシマ副長が艦橋を離れ、航宙長のイツキ・ハヤミ宙尉が当直に立つと、途端に艦橋内はざわつき始めた。
「──ねェ…… 一体これから、どうなっちゃうと思う?」
主管制卓のシオリ・イセは、第3配備中の艦橋内で囁かれる士官同士の会話に耳を
「知らないよ……」
声を潜めるように訊いたナツミ・シュドウ通信長に、電測士のジュンヤ・タカハシが応えていた。「──ツナミは倒れちゃったし、船務長は……」
「コトミ……」
前船務長──コトミ・シンジョウの身に降りかかったことを思うと、シュドウ宙尉の声も沈んだ。
「──非道いよねアレは……」
たまたま艦橋を訪れていた航宙科サクラコ・シノノメ宙尉が、シュドウの言葉を引き取るように話し始めた。
「すぐ
言って勝気の過ぎる黒い瞳で周囲を見渡す。誰も何も言わない。そのことにやり切れなさを募らせたかシノノメは
そんな彼女が再び口を開く前に、イツキが割って入って止めた。
「──やめないか」
その
仕方なくシノノメは大人しく口を閉じたが、話はそれで〝終わり〟とはならなかった。
シホ・アマハは、そのタイミングで艦橋に入室してきた。艦橋の重苦しい雰囲気に、微かに眉を顰める。
「航宙長は──」
シノノメの隣に立つタツカ・ジングウジが、静かな口調でイツキに問うた。
「──わたしや
その言葉にイツキは、今度こそ歯を喰いしばった。
「タツカ……」
絞り出すような声で言った。「──言っていい冗談と悪い冗談ってのがあるんだぞ」
イツキは感情を押し留めるのに苦労しながら、タツカの方を向いた。
だがタツカは、彼女らしくなく引き下がらなかった。
「冗談なんかで言ってません……」
揺れる瞳でイツキを見返して訊く。「──どうなんです?」
しばし睨み合うようになった末にイツキは言った。
「──俺に… 言わせるのか……」 その語尾が震えるのをイツキは隠せない。
そのときになってアマハは割って入った。黙ってタツカの前に立つと右手を一閃させて頬を打つ。
タツカは、そうなることがわかっていたように黙ってそれを受けた。
乾いた音が艦橋に響くと、アマハは
「これまでにしときな……」
「…………」
タツカはアマハの肩の上でしばらく泣いて、それから小さく頷くとゆっくりと体を離した。
アマハは、そんなタツカを優しく言い含めるようにして覗き込む──。
「もう非直だろ? このあと医務室に行って
「…………」
ようやくいつもの素直な声になって、タツカは応えた。「──はい」
真っ直ぐにイツキに向き直って敬礼する。
「申し訳ありませんでした!」 何とかそれだけ言って、シノノメとともに艦橋を辞す。
軍法に照らせば『反抗』に問われる事案だったが、イツキは一つだけ頷いて見送った。
そうやってタツカとシノノメを艦橋から送り出すと、アマハは残った
「はいみんな! お開き! 仕事に戻った戻った! お・し・ご・と! 非直の者はサッサと下に下りて! ちゃんと食べてちゃんと寝る! いいね⁉」
それで艦橋に屯していた非直の
主管制卓から、そんなイツキに頷いて返すアマハを何とはなしに見遣っていたシオリは、小さくため息を吐く──。
──コトミの代わりなんか、とても務まらないよ……。
誰からも好かれ、頼りにされていた〝前任者〟に代わって主管制卓に座ることになってしまったシオリは、ひとり憂鬱な気持ちを隠し、次の直明けを待つのだった……。
7月1日 0130時
【H.M.S.カシハラ/ 医務室】
『──全艦に達する。慣性制御システムの復旧は0300時を予定。各部は引き続き
医務室の拡声器から艦内放送が響いていた。
メイリー・ジェンキンスは、ヨウ・ミナミハラと二人掛りで
疲れ切って眠るツナミの顔を見て、メイリーは〝何故〟自分が怒っているのか、〝何に対して〟怒っているのか、想いを巡らせる。
──貴方みたいな人がこんなことをしているのが、そもそもの間違いなのよ……。
結局、怒っている原因もその帰結も、これに尽きる ──と思う……。
ヨウが……、ミナミハラ宙尉が言っていた──。
〝──いいヤツなんだと思います〟
〝不愛想で『ええかっこしい』〟
〝そのくせナイーブで〟
〝……こんなことにでもならなけりゃ、〈人殺し〉なんかにとてもなれない……〟
口の中で小さく呟いてみる。
──ブアイソウで…ナイーブで……ヒトゴロシなんか……とてもなれない……
脳裏に〝あの日〟の
──貴方は……状況も責任も、すべて背負って……〝本当の貴方〟をコロシテしまうの?
それは哀しいことだと思い遣る自分が居た。──彼の
その一方でこう思っている自分も居る──
──貴方は、
それが私が怒っている理由?
……違う。
本当は、そんなふうに〝二つの想いを秤にかける〟 そんな
──結局それは、〝私の嫌いな
メイリーは唇を噛むと、死んだように眠るツナミから視線を外した。
7月1日 0130時
【H.M.S.カシハラ/ 特別公室】
艦橋を航宙長に任せた副長ユウ・ミシマは、
ミシマの他には、長机の向かいにフレデリック・クレークがただ一人いるだけである。
意図的に表情を消したミシマの向かい側で、クレークは微笑を浮かべていた。
片や〈オオヤシマ〉の保守層を代表する名家の御曹司。
片や〈シング=ポラス〉の新進気鋭の
星系同盟を率いる立場を争う拮抗する二つの勢力──〈オオヤシマ〉と〈シング=ポラス〉──の、それぞれの重要な
その二人の、二人だけの会合──。
そこには〝政治〟の匂いがした。
「……では、
クレークが話を切り出して最初の
「ええ。お会いした」
勿体つけた言い様。わざわざ他人事のように言う。「──少々監視が緩かったようですな」
癇に障る言い様だとミシマは感じた。
「何を話しました?」 定型の文句で先を促す。
クレークも静かに返した。
「──
「……オオヤシマの?」
「星系同盟の、と言い替えてもよいでしょうな」
そう言い置いてからクレークは、自らの〝政敵〟の家に列なる若者にオオヤシマによる情勢の予測と、それに沿った政治的行動を伝え始めた──。
二重帝政の一方の雄である『
一方、『
現にミュローンの支配層──『二十一家』は、〈ベイアトリス王家エストリスセン〉の直系エリン・ソフィア・ルイゼの扱いを巡り、即位を是とする一派──主にベイアトリスの〝一門衆〟──と、それを望まぬ一派──エストリスセンに拮抗する家門である『アルテアン家』を中心とする──とに割れつつある。
さらに、帝政連合政府の『第一人者』であるフォルカー卿は、この両者の反目を利用して己が立場の強化を図る動きを見せていた。
既にフォルカー卿と〝反ベイアトリス派〟は接近しており、水面下でエリン皇女殿下に替わる皇位継承権者の擁立を模索していると聞く。
状況の推移にも
そんな中でオオヤシマ=星系同盟が〝望む〟結末は、やはりエリン殿下の戴冠である。
ただし、現同盟理事会は何らの支援も行えない。
しかし航宙軍を離脱した艦が皇位の継承権者を
また現同盟理事会は『
これらの〝
油断のならない男だ。そう思いをあらたにしたミシマに、クレークは視線を返す。
「
「──そのためには〝あなたも腹を括れ〟と、そうお兄さまは言っておられるのでしょう」
薄く嗤う議員の顔が不愉快だった。
ミシマはクレークの〝あくの強い〟顔を見返し言う。
「確かに〝
クレークはミシマを見返した。ミシマは続けた。
「──この
どう応えるかと視線を見据えていたミシマは、鼻で笑われた。
「いえいえ、ちゃんと私も自分の〝取り分〟は頂いております エリン殿下の〝お国入りの際の立会人〟は私の役回りです」
内心では鼻白みながら、眉一つ動かさずにミシマは言った。
「……
クレークは、今度こそ肩を竦めると、大きく首を左右に振った。
「──
やれやれといった表情の後、ミシマに諭すように言う。「……確かにシング=ポラスは〈オオヤシマ〉のような有力な〝実力組織〟 ──いえ、ハッキリ言いましょう──〝戦力〟は保持しておりません。そう、派手に立ち回ることはできない。ですが、なればこその自己実現の方法、というものがあるのですよ」
「…………」
ミシマは黙るよりなかった。 ──〝一本取られた〟形だ。
そんなミシマに、クレークは何でもないことのように続けた。
「しかし艦長を医務室に監禁して指揮権を掌握するとは、なかなか巧い〝
ミシマの
クレークは気付かないフリをして続けた。
「──艦長がこのまま立ち直れないようなら、あなたが指揮を執るのは〝正しい〟ことなのでしょう?」
クレークの顔が意地の悪いものになる。「しかし存外、艦長も女々しい男だ。あの幼馴染みだったとかいう愛人を失ったくらいで、あの取り乱しよう……」
「議員……」
ミシマは声を上げてクレークを遮った。「──そろそろ時間なので……」
席を立ったミシマは、そのまま真っ直ぐに通路への扉へと向かった。
いま
〝何でそうしなかった?〟
そういう後悔をしている
それから、そんなことに苦笑する自分が居る。
通路に出たミシマは、ようやく、固く握っていた右の拳から力を抜くことができた──。
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