あくまでシスター

@Kamomil26

第1話 あくまでシスター

 爽やかな春の空を、数羽の鳥たちがまるでこどものように駆けていく。

 「ねえねえ、この学校に伝わる都市伝説って知ってる?」

 「何それ、聞きたい聞きたい!」

 「これは先輩から聞いた話なんだけどね、この学校には実は悪魔が住み着いているんだって」

 「えー。何それ、怖ーい!」

 春の穏やかな陽気の中、爽やかな風が吹き流れ、新入生の新たな門出を祝うように咲き誇った美しい桜が立ち並ぶ、月宮市立聖クロニカ学園の中庭。そこで俺、日暮界人は昼食のサンドイッチをほおばりながら、はす向かいに座ってる女生徒たち繰り広げる姦しい噂話をぼんやりと盗み聞いていた。

 「悪魔、ねえ・・・・・・」

 食べなれた味を舌に感じながら、俺は誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。俺は正直に言うと都市伝説だとか学校の怪談だとかいった話はあまり興味はないほうだ。しかしそういうものには縁があるようで、実をいうと俺はその噂の原因に心当たりがあった。それどころか、誰がその悪魔なのかさえ知っていた。確かにこの学院には悪魔がいる。人間に取引を持ち掛け、願いをかなえる代わりに、人間の魂を代金として徴収する超常的な存在が。ただ、俺の知っている限りだとおそらくその悪魔は彼女たちが想像するような悪魔とはちょっと、いや、だいぶ違っている。

 なんてことを考えていると、俺は時計の針が約束の時間を指していることに気が付いた。

 「おっと、そろそろ行かないとな。ごちそうさまでした」

 相手に迷惑を掛けるわけにはいかない。俺は急いで向かうためにお茶で残っていた昼飯を胃に流し込んだ。そしてごみをまとめるとそばにあったごみ箱にほうりこんで、軽く腿の付近を払い立ち上がると、白い包装の箱を丁寧に持ち目的地へと向かうべく歩を進めた。向かっているのは学校に併設された教会。その中に存在する談話室だった。

 「クラリス、来たぞ」

 読書室に足を踏み入れた俺は、見慣れた人影を見つけると、片手を挙げてあいさつする。

 「あ! 界人さんじゃあないですか! お待ちしてました!」

 窓から退屈そうにその風景を眺めていた彼女は、俺が到着したことに気づくと、ぱたぱたとまるで子犬のようにこちらにかけてくると人の好さそうな満面の笑みを向けてくれた。

 「待たせて悪かったな」

 クラリスは俺と同じくらいの年代の人間離れした可愛らしさをした少女だ。身にまとった黒のシスター服に映える純白の肌と綺麗な黄金色の髪。宝石のような紅色の瞳はぱっちりと開かれていて、快活そうな印象を与える。

 「そんなに待っていないので大丈夫ですよ。」

 「そっか。ならよかった。これ、頼まれてたもの」

 俺は手に持っていた真っ白な箱をクラリスに渡す。

 「うわあ、ありがとうございます! えへへ・・・・・・」

 クラリスは箱を丁寧に受け取ると、ドーナツ屋のロゴが刻まれた箱を、まるでクリスマスプレゼントをもらった子供のように掲げて眺めにっこりと笑った。あまりにも喜び過ぎて口の端からよだれが出てしまっている。そんなクラリスの喜びように、こちらまで幸せな気持ちになってくる。

 「クラリス。よだれ垂れてるぞ」

 「はっ、すみません、つい・・・・・・。」

 クラリスはシスター服の袖でよだれをぬぐうが、少しするとまたよだれが出てきてしまっていた。よっぽど食べてみたかったんだな。

 「駅前に新しくできたドーナツ屋さんの特製ドーナツ、一度食べてみたかったんですよ。ありがとうございます界人さん! すごく混んでるって聞きましたけど大丈夫でした?」

 「ああ、確かに人でいっぱいだったな。列が店の外まで伸びててさ。買うのに一時間ほどかかっちゃって」

 俺のその言葉を聞くとクラリスは先ほどまでの笑みを曇らせて、しゅんとしてしまう。

 「すみません。私が買いに行けたらよかったんですけど、好き勝手に外に出るわけにはいかなくて・・・・・・界人さんのお時間を使わせてしまって、本当にすみません」

 クラリスは申し訳ないといった表情を浮かべると俺に向かって頭を下げる。しまった。そういうつもりじゃなかっんだけどな。

 クラリスはこの教会で他のシスターの人たちと一緒に暮らしている。普段は朝と昼には学校に通っていて、それが終わると教会に帰るという毎日の繰り返しらしい。外出するにはシスターの許可がいるようであまり外に出る機会は多くないらしい。なので俺がクラリスの食べたい甘いものを買ってきて、協会の談話室で二人で食べるというのが俺たちの間での習慣となっていた。クラリスが希望するのは大体人気のお店で、よく行列ができている。それに長時間並ばせているのが申し訳なく思ったのだろう。俺としてはおいしい甘味を食べることが出来て、しかもクラリスの幸せそうな顔を見られるので、むしろうれしいくらいなんだけどな。

 「そういうつもりで言ったんじゃないんだ。本当にごめん、気にしないで」

 「本当ですか・・・・・・?」

 俺の方を見上げてくるクラリスの目は、涙で少し潤んでいて、俺は思わずドキッとしてしまう。

 「本当本当。クラリスが嬉しそうに食べていると俺も嬉しくなるんだ。だから泣かないで。ほら、ここのドーナツ楽しみにしてたんだろ。早く食べよう」

 クラリスは涙をシスター服の袖でごしごしとふき取ると、再びさっきのような笑顔を浮かべる。

 「はい、ありがとうございます。今台所で紅茶を入れてきますね!」

 クラリスはぱたぱたと歩いていくと教会内にあるキッチンへと向かった。良かった。泣き止んでくれたみたいだ。それから数分して俺がスマホに届いたメールを返信していると、クラリスが紅茶を淹れたポットをもって戻ってきた。紅茶のいい香りが室内に漂ってくる。

 「お待たせしました」

 クラリスは手慣れた様子で二人分のカップとドーナツ用の皿を並べると、鼻歌を歌いながら紅茶をそそぐ。

 「どうぞ」

 「ありがとう」

 俺はクラリスから紅茶のカップを受け取ると、口にする。鼻を芳醇な香りが通り抜け、口の中が優しい甘さに満たされる。美味しい。クラリスは食べることの次に作ることも好きらしく、この紅茶もとても丁寧に入れられたものだとあまり詳しくない俺でもわかった。

 「えへへ、今日のために結構いい茶葉を取り寄せてたんですよ。 さーて、どれにしようかなあ」

 クラリスは爛々と目を輝かせながら、どのドーナツを味わおうか物色している。

 結局俺はチョコのドーナツを一つ、クラリスはそれ以外のドーナツを食べることにした。

 「界人さん、本当に良いんですか? ほとんど私が食べちゃって」

 「いいよ。お金を出したのはクラリスで俺は買ってきただけなんだから」

 「でも……あっ、そうだ! はい、界人さん、あーん!」

 「え、ええっ!?」

 クラリスはこちらにドーナツを差し出している。それはさすがに恥ずかしいんだけど!?

 「いや、クラリス、俺は本当に大丈夫だから」

 「ダメです! こうしないと私の気がすみません!」

 クラリスは断固としてこちらにドーナツを突き付けたまま引っ込めようとしない。これは観念するしかない。俺はクラリスの持つドーナツに近づくと、一息にかじりついた。口内にもちもちとしたやわらかい食感と生クリームの口あたりのいい甘みが広がる。

 「界人さんどうですか? おいしいですか?」

 「あ、ああ。おいしいよ」

 「そうですか。えへへ。なんだかこうしてると恋人みたいです・・・・・・ね・・・・・・。」

 満足そうに笑っていたクラリスだったが、自分がしたことが今更になって恥ずかしくなったんだろう。頬がだんだんと紅色に染まっていく。やめてくれ。俺も猶更恥ずかしくなってくる・・・・・・。

 「……食べるか」

 「そっ、そう、ですね」

 仕切り直してドーナツを食べ進める。クラリスは幸福の絶頂と言わんばかりの顔でドーナツをほおばりながら、すごい勢いで食べ進めている。

 「あんまり急いで食べるとのどに詰まるぞ、ほら紅茶」

 「ふぁふぃふぁふぉうふぉふぁいふぁふ」

 「なんて言ってるかわかんねえよ」

 精一杯ドーナツを食べて頬を膨らませているクラリスはまるで小動物のようで、俺は思わず笑ってしまう。

 「ん? 界人さんどうかしたんですか?」

 最後のドーナツを飲み込んだクラリスが不思議そうに見てくる。

 「ああいや、クラリスが動物みたいだなあって思ってさ」

 「私がですか?」

 「うん。なんだか微笑ましいよ」

 「そうですかね?」

 「そうそう。小さい頃飼ってたハムスターを思い出すよ」

 ほっぺにありったけ鉱物をため込むところとか、特にそっくりだ。

 「・・・・・・それ、誉め言葉なんですかね・・・・・・?」

 「ハムスターみたいにかわいいって意味なら誉め言葉だろ?」

 最初は納得がいっていなかったクラリスだったが、俺がそういうと何度かうなずきそして目を輝かせた。

 「確かに、そういわれると何だかすごい誉め言葉な気がしてきました! 界人さん、ありがとうございます!」

 俺は時々、クラリスの人の疑わなさに将来詐欺にでも引っかかるんじゃないかと心配でならない。

クラリスに人をもう少し疑うということを教えるかどうか悩んでいると、クラリスの口元にチョコがついていることに気がついた。

 「クラリス。口元にチョコがついてるぞ」

 「え? どこですか?」

 「ほら、ここに」

 自分の口を指して示してやると、クラリスはわかったようだったが、自分で拭うことなく目を閉じると顔をこちらに近づけて来た。これはまさかあれか? 俺に拭け、ということか?

 「はいはい。わかったよ」

 「えへへ、ありがとうございます」

 俺は仕方なくクラリスの口元をティッシュで拭ってやる。すると、クラリスが俺を見て笑っているのが目に入った。俺の口元に食べ残しでもついているんだろうか。

 「どうかしたか?」

 「いえ、私にお父さんがいたら、こんな感じなのかもなーって思って」

 「……クラリス」

 クラリスには肉親はいない。幼い頃に両親を亡くし、孤児だったクラリスを保護と監視という名目で教会が引き取ったそうで、クラリスは親の顔すら知らない。その事を知っていた俺は、チクリと胸が痛む。

 「界人さんは優しくて、私と。だから、お父さんがもし生きてたなら、界人さんみたいな人だったんだろうなっておもうんです」

 クラリスは自分の耳についているピアスをそっとなでる。銀色に輝くリングのピアスはクラリスの両親が彼女に唯一残した形見らしく、内側には小さな文字で「愛しい私たちの娘へ」と彫られているのだと前にクラリスに教えてもらったことがある。

 「ああ、きっとクラリスの両親は、俺よりももっと優しい人達だったと思うよ」

 「・・・・・・はい、私もそう思います」

 きっとクラリスみたいに、人のいい笑顔をする元気いっぱいのいい人たちだろう。クラリスは俺がそういうと何故かどこか悲し気な笑みを浮かべる。

 「優しいですね。界人さんは」

 クラリスは俯きながらそう呟くと、シスター服の端を握りしめる。

 「ねえ、界人さん。ひとつ、聞いてもいいですか?」

 「ああ、いいよ」

 クラリスは少し前までの笑顔とは違う神妙な面持ちだった。一体どうしたんだろうか。

 「界人さんはなんで、なんで私のそばに、いてくれるんですか?」

 その声は小さく、真剣味を帯びながらどこか怯えた声音で、俺は思わず神妙な顔つきになる。

 「なんでって・・・・・・」

 「だって、界人さんみたいな人が私と一緒にいてくれるなんて、おかしいじゃないですか」

 クラリスは何を言っているのか、俺にはわからなかった。

 「そんなことないさ。別におかしいことなんて何も」

 「おかしいですよ! だって私は、私は・・・・・・!」

 クラリスは何かが決壊したように声色を荒げる。静まり返った談話室に声が響く。

 クラリスは俺が驚いているのを見てはっとすると、続く言葉を先ほどとは打って変わって小さく、絞り出すように切り出した。

 「・・・・・・私は、悪魔なんですから」

 

 クラリスの声は、震えていた。


 そう。この学校に住む悪魔とは、クラリスのことだ。クラリスは悪魔と人間のハーフであり、母親の持っていた悪魔の力、人の願いを魂の一部と引き換えに叶える力を受け継いでいるらしい。教会はクラリスの監視と保護の役目を担っており、クラリスの力が悪い人間に渡るのを防ぐためにクラリスは監視役であるシスターの許可なくしては外に出ることすらかなわない。だからクラリスは、外の世界というものをほとんど知らない。

 「今まで私に話しかけてくれる人はいても、皆結局は私のそばからいなくなっちゃいました。当たり前ですよね、私の中には、悪魔がいるんですから」

 クラリスは薄く笑っていた。その笑みには悲しみ、諦め、色々な感情が混ざり合っているように見えた。

 「でも、界人さんは、界人さんだけは私と友達になってくれた。私は人間じゃないのに、それでも手を差し伸べてくれた。それは、私の力が欲しいからですか?」

 「いいや、違うよ」

 俺には魂を引き換えにしてまで叶えたい願いなんてない。願いがあったとしても、それは自分の手で叶えるべきだ。誰かの力を使ってかなえるものじゃない。

 「なら、どうして!」

 まるで決壊したダムのように、クラリスの両目からは涙があふれていた。

 どうして、か。そんなの決まってる。俺はクラリスにゆっくりと手を伸ばす。何か怖いことをされると思ったのかクラリスはビクッと身をすくめる。俺はそんなクラリスの体を壊れないようにそっと抱き寄せた。そして親が子供をなだめるように、静かに背中を撫でてやる。

 「決まってるだろ、俺はクラリスだから助けたいと思ったし、クラリスだから友達になりたいと思ったんだよ」

 「私、だから・・・・・・?」

 「ああ、そうだよ」

 クラリスは俺の胸元に顔をうずめると、振り払うような声を出す。

 「・・・・・・でも私、悪魔ですよ? 今は大丈夫ってだけで、いつか力が暴走したら、界人さんのことを傷つけちゃうかもしれないんですよ。それでも、そばにいてくれるんですか?」

 「ああ、それくらいへっちゃらだよ」

 「私、今も迷惑をかけているのに、もっと迷惑をかけるかもしれないんですよ!」

 「俺だって迷惑をかけるかもしれないんだ。お互い様だよ」

 「なんでですか・・・・・・? なんでそんなに、界人さんは優しくしてくれるんですか?」

 俺の服を握りしめつつ、、クラリスは涙声で俺に問いかけてきた。

 「・・・・・・小さな時の俺と、似ているからかな」

 「小さな時の界人さん、ですか?」

 「ああ、俺もクラリスと一緒で、小さいときに家族を亡くしててさ。その時の俺は、まるで世界にたった一人取り残されたような気持ちでさ。自分でもわかるくらいにすごく寂しい目をしていたんだよ」

 家族を亡くしたその日から、俺は長い間一日に何度も泣いていた。もう大好きだった家族に会えないのだってわかると、胸が張り裂けそうになるほど苦しかった。その時の自分の目は今でもはっきり思い出す。空っぽの黒い空間だけが広がっているような、どうしようもなく暗い目を。

 「界人さんも、一人だったんですか?」

 「うん。だから初めてクラリスを見かけたときにさ、同じような目をしているなって思ったんだ。それがクラリスに話しかけるきっかけだった。それからクラリスと話すようになってさ。それからかな。この子の力になってあげたいと思ったのは」

 「そう、だったんですね」

 「だから、クラリスが友達になってほしいって言ってきたときは嬉しかったなあ」

 「私も、界人さんが友達になってくれた時、嬉しかったです」

 「そっか。それは良かった。まあ悪魔だって聞いたときは少し驚いたけど、悪魔だろうと何だろうとクラリスはクラリスだろ?だからそこまで気にしなかった」

 「界人さん・・・・・・」

 「クラリス、さっき迷惑をかけるって言ってたけどさ、人ってきっと、皆誰かに迷惑をかけて生きていくもんなんだよ。だからさ、もっと頼ってくれてもいいんだよ」

 「・・・・・・私、これ以上幸せになると、もっと欲しくなって、わがままになっちゃうかもしれませんよ」

 「いいよ、それぐらい」

 「・・・・・・本当、ですか?」

 「本当だよ」

 「界人さんは本当に、お人よしですね」

 「あはは、よく言われるよ」

 「じゃあ、さっそくわがままを一つ言ってもいいですか?」

 「ああ」

 「・・・・・・もう少し、このままでいていいですか?」

 「いいよ」

 「・・・・・・ありがとうございます」

 クラリスはそのあと、しばらく俺に抱きついたまま、何も言わずにじっとしていた。俺も口を開かずに、心の中で謝りながらクラリスが満足するまで動かずに待ち続けた。

 「もう大丈夫です。ありがとうございました。界人さん」

 クラリスはおずおずと、名残惜しそうに俺から離れると、照れたようにはにかむ。

 「本当に?」

 「大丈夫ですってば、本当はもうちょっとだけそうしていたかったですけど、今日はもう遅いですし。それに界人さんは私のわがまま、聞いてくれるんですよね? ならいつでもしてもらえますし、今日は我慢することにします」

 「いつでも!?」

 さっきは勢いだったけど、普段からするには正直ちょっと照れるというか、なんというか・・・・・・!

 「わがままを言っていいって、界人さんがいったんですからね?」

 クラリスはいじらしそうにこっちを見てくる、その顔は反則だろ・・・・・・!

 「ああ、わかったよ、いくらでも付き合うって」

 俺がそういうとクラリスは、俺に輝くような素敵な笑顔を向ける。

 「ありがとうございます、これからもよろしくお願いしますね、界人さん!」

 クラリスの笑顔は、今までに見たことないくらいの、悪魔的な可愛らしさをしていた。


 

 


 



 それから俺とクラリスは片づけを終えるともう夕方になっていたため、今日はお開きにすることにした。教会入り口まで見送りに来てくれたクラリスと別れた俺は教会から出ると、夕暮れの中、次の待ち合わせへと向かうために校門へと進んでいく。俺はその途中で足を止めると、罪悪感から小さくつぶやきを漏らす。

 「ごめん、クラリス」

 俺はさっきの問答の中で、クラリスに嘘をついた。それは俺の秘密に関することで、クラリスへの気持ちは本当だ。けれど俺はそれでも大切な友人に嘘をついた罪悪感で、胸がいっぱいだった。

 自転車置き場の屋根の上にとまった鴉が、俺をあざ笑うように鳴いている。俺の横をまだ少し肌寒い風が通り抜けていく。ぼんやりと空を眺めながら歩いていた俺は校門の近くまで来てようやく門の付け根の部分にもたれかかっている人影に気づいた。あれは・・・・・・ハイネか? 待ち合わせは駅前のはず、なんでこんなところに? 人影の正体は先ほどこの後駅の前で合流するようにと俺にメールを送ってきた、またもよく知った人物だった。

 それは緩く縛った鮮やかな桃色の髪を風になびかせた、俺より少し幼い年代の少女だった。きっちりと着こなした聖クロニカ学院の制服はサイズが合ってないのか少しぶかぶかになってしまっている。まるで姉の服を背伸びして着た妹のようだった。けれどそんな恰好をしているのにも関わらず、少女はどこか只者ではない雰囲気を醸し出していた。少女ーーハイネはこちらに気づいたらしく、おれが手を挙げてあいさつすると一つため息をついて、こちらにつかつかと歩み寄ってくる。

 「遅い」

 勝気そうな吊り目が俺を睨みつける。

 「待ち合わせは駅前だったよな? どうしてここに?」

 「遅刻しそうだったので、仕方なく迎えに来てあげたんです。それより界人、またあの悪魔のところに行ってたのですか」

 「クラリスのことか? そうだけど」

 俺がそう答えるとハイネはきりりと整った眉をひそめ先ほどよりも深いため息をついた。

 「監視対象との接触は控えるように言われているはずですが」

 「ドーナツを一緒に食べるくらいはいいだろ?」

 実際やましいことなんて全くないわけだしな。

 「はあ、あなたは本当にお人よしですね。いいですか? 彼女は超常の力を受け継いだ悪魔の子供。私たち『狩人』にとって、彼女は狩るべき獲物です。ただでさえ監視対象とは出来る限り接触しないようにと言われているのに、交友関係まで結んでしまうなんて」

 ハイネはいつも冷静沈着なはずなのに、クラリスのことを俺が話すとなぜか不機嫌になる。何か理由でもあるんだろうか。

 「『狩人』の仕事はちゃんとやってるだろ? それにクラリスと接しているのは『狩人』としての俺じゃなくて、聖クロニカ学院の生徒としての俺だ。そこまでのいわれはないだろ」

 そう。それが俺の秘密だ。俺はクラリスが悪魔だと、クラリスと出会う前から知っていた。そしてクラリスと出会った時からもずっと、俺は自分がただの学生だと嘘をついていた。俺は普段は聖クロニカ学院に通う学生だが、実はもう一つの姿がある。それは人に害する、あるいはその可能性のある人ならざるものを監視し、必要とあれば抹殺する役目を持つ組織に所属する『狩人』としての姿だ。俺に与えられた任務はクラリスの力が暴走しないかどうかの監視、そして、もしクラリスの力が暴走したときの、抹殺。だからその時情が移らないために俺たちには監視対象との接触はできる限り控えるように言われている。それを破っている俺をハイネはとがめているのだろう。

 「・・・・・・そんなにあの女が気に入ったんですか?それとも、あの子の力を利用するつもりですか?」

 「まさか、そんなつもりは無いよ」

 疑わし気な視線を向けてくるハイネをみて俺は笑う。クラリスと友達になったその日から、俺の腹は決まっている。それは今でも、そしてこれからも、変わらない。

 「俺は『狩人』としてじゃなくて、ただの日暮界人としてあの子を守る。それだけだ」

 俺は初めてクラリスに接触したとき、この一回で彼女と接触するのは辞めようと思っていた。自分と似た境遇のこの子を殺すのが、つらくならないようにと。けどクラリスと最初に話した時、あまりにも嬉しそうにしゃべりかけてくるものだから、もう一日、もう一日とクラリスに会い続けた。そのうちに俺はクラリスを、俺と同じ目をしていたこの子を殺したくない、守りたいと思うようになった。だから俺はクラリスと友達になった時から決めたんだ。もし誰かがクラリスを危ない目に合わせるのなら、俺はそれからクラリスを守って見せるって。

 「・・・・・・それがどういう意味か分かってて言ってるんですか? 他の人間や、もしかしたら、狩人とも戦うかも、知れないんですよ?」

 「覚悟はしてるよ」

 「本気、なんですね?」

 ハイネがこちらを睨みつける。ハイネの方から流れてきた向かい風が、俺の顔と体に、強く吹きあたった。けど俺はそれに立ち向かうようにしながら、答えを告げた。

 「ああ」

 「あの子が世界の敵だとしても、ですか?」

 「だとしても、俺は、俺だけはあの子のそばに居続けるさ」

 「きっといつか、後悔することになりますよ」

 「そんな時はこない。いや、来させはしないさ」

 夕日に照らされながら、真っすぐにこちらを見つめてくるハイネに、日陰にさらされながら俺も怯むことなく視線を返す。

 クラリスに何があったとしても、俺だけはそばにいてやる。例え世界が滅びても、あの子を独りぼっちにはさせやしない。それがクラリスをだまし続ける結果になるのだとしてもだ。

 「・・・・・・まあせいぜい頑張ってください。」

 ハイネはそういうと俺に背を向けて歩き出した。

 「・・・・・・かーくんの馬鹿」

 「何か言ったか?」

 「何でもありません! ・・・・・・無駄話はこれまでにしましょう。そろそろ哨戒に行きますよ」

 「ああ」

 俺はたとえ相手が人間だろう誰であろうと、絶対にクラリスを守って見せる。覚悟を再確認した俺は狩人の日々の任務であるパトロールへと向かうべく、ハイネの後ろをついていく。いつの間にか時間は夜になろうとしており、空に淡く橙色に輝く夕日が、ゆっくりと水平線に沈もうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あくまでシスター @Kamomil26

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る