Phalic girl. 4

 厨房に引き込まれた晶は、俯いて唯の説教を聞いていた。

 彼女は唯に怒られていることよりも、床に倒れた愛の姿が、頭からこびり付いて離れなかった。


「唯さん、愛は大丈夫でしょうか」

「大丈夫よ、頭打っただけだと思う。打ち所が悪かったら大変なことになってたかもしれない」


 殺人、人殺し、血に染まる手。

 晶は死を連想してしまう。


「……いや」

「それより、何怒ってたの? 話してくれるかな? 藤澤 晶さん」


 泣きだす晶の頭を撫でながら話をさせる。

 

「光が祐介君と、一緒に店に来たから……」

「へ?」

「だから、祐介君と光が……」


 顔を真っ赤にして晶は恥ずかしそうに話す。

 可愛くてれる様子に、唯は思わず高笑いしだした。


「そんなに笑わなくても……」


 ムッとし、頬を膨らまして怒ってみるが、唯は笑い続けた。


「あはははは、ひい、くっくくくっく……、ご、ごめん。うちの息子を好きになってくれてありがと」

「えっ! あ、……ははは。好きというかその、好きだったって言う方が正しいと思うんです。ボクの初恋がその……」

「初恋ね。つまり、祐介を見て焼け棒杭に火。光を見て嫉妬の炎が燃え上がったと。悲観的になることないわよ、どうせあの事で来てるだけだから」


 急に唯の顔が真面目になる。

 あの事?

 なんだろう。

 晶は聞いてみようと思ったが、二人の関係が想像と違うとだけわかっただけで満足だった。

 

「で、晶さんが暴れた原因は何かしら。この際、心のもやもやした部分を取り出しとかないと、みんなが困るからね」


 唯は腕を組む。

 右手で口元を隠し、晶を見ている。

 晶は言われるまま、答えた。


「直樹達の馬鹿でスケベなところが嫌いなんです」

「は? 直樹達ってクラスメイト?」

「そうです。よくわからないけどアニメやゲームの女の子の人形や、恥ずかしい格好してる女の子のポスターだとか本だとか、あーいう馬鹿でスケベでおたくな奴らが友達にいるってだけで嫌なんです」

「はぁ……そうなのね」

「そうです!」


 語気を強める晶の話を、唯は苦笑しつつ呆れた。

 怒りっぽい子だと恵からは聞いてはいたが、こんな風に癇癪起こすとは。

 

「女の子の愚痴はみっともないよ。男の子よりはましですけど」


 そう言って唯の後ろから紅茶を持って差し出す眼鏡の男性。

 彼はそっと唯の方に手を乗せた。


「手が空いてるなら手伝ってくれないか、唯」

「もうちょっとだけお願い! 直人、ねっ、ねっ、ねっ」


 手を合わせて拝み頼む唯。

 やれやれといった顔をして、直人と呼ばれた人は奥へ歩いていった。

 晶はぼんやりと見ていたが正気に返った。


「誰です?」

「誰って直人よ」

「だから直人さんって誰です?」

「だんな。ダーリンとかハニーとか夫とか」

「唯さんって、若く見えますけど結婚してたんですね」

「晶って正直でいい子。うんうん、まだ若いもんね、私」


 二人は笑う。

 だが本題がずれたみたいだ。

 唯は咳払い一つして仕切り直す。


「……ようするに晶は馬鹿でスケベな男が嫌いと。けど男が母親、つまり女から生まれる以上、なくならないと思うけどなあ。男におたくが多いのはね、まず女から生まれるときに母親から女らしさを得るのよ。だから男は女性的な面をよく持っているものなの。けどそんなことになってるのなら世の中、女の格好した男で溢れ返ってもいいのにそうなっていない。それは後の育て方によるのよ」

「はぁ……」

「産まれてきた子が女なら即実践的なもの、ままごととか人形とかを与えて人間関係の訓練と適切な距離の持ち方を幼い頃から学ぶの。けど男にはそれは出来ない」

「すりゃーいいじゃん。そこでやんないからおたくで馬鹿が増えるのよ」

「それをしちゃうと、男は女の子になっちゃうのよ。心理的、精神的に女になるの。元々母親という女から生まれた存在の男という生き物が男としてたらしむには、女と同じ事をしちゃいけないの。だから幼い頃にモノらしい物、ミニカーとかプラモとかを与えて母子強制の残滓を除去する方向へと持って行かなきゃならないのよ」

「そっかー、男って人との接し方を知らない馬鹿なのね」


 紅茶を飲んで晶は息を吐く。

 軽く首を振ってから、唯は一口紅茶を飲んだ。


「男は思春期の性的成熟から、人間の女性を恋することから関係性を学ぶの。うまくアプローチ出来ない男は、慣れ親しんだかつての女性性の離脱の為に与えられたモノに自閉する。一種の退行現象よ」

「つまり、フラれたから、生身の女の子よりも作り物の仮想空間少女に興味が行くのね。やっぱり男って馬鹿じゃん」


 腕組みして鼻で笑う晶だった。

 だが、どこかしら寂しそうな顔をしたのを唯は見逃さなかった。


「女の子のおたくも多いし、お互い様かもね。で、晶は直樹って子が好きなのね。よくわかったから、もう仕事に戻りなさい」

「別にボクはー」

「ちゃんと働かないと、減俸よりもこわーい解雇にしちゃうぞ」


 真っ赤な顔する晶の鼻を指で軽くつつき、唯は不敵な笑みを見せる。

 確かこういう時の唯さんが一番怖いんだ、と晶は慌てて厨房から出ていった。


「フフ……痘痕の靨かな」


 唯は直人の方に目配せした。

 直人は呆れてため息をこぼしていた。





 二階の窓側の席に座ると光と祐介。

 ようやく彼女は自ら閉じこもった殻を破る。

 ゆっくりと顔を上げ彼を見た。


「三年前です。気弱で臆病な私は好きでもない人達と群れなければその日を過ごしていくのも怖かった。情けないですね……本当。そんな私を助けてくれた恍さんを、その為に……苛めなければいけなかった。ごめんなさい。……私が悪いんです」


 嗚咽が混じる上擦った声。

 目から涙が流れる。

 しかし彼女は消して顔を背けなかった。


「僕に、今さら……そんな話聞かされても」


 祐介は握る拳に力を入れる。

 話とはこの事かと思ったとき、誰かに見られている視線に気付いて振り返る。

 オーダーを運んでいる恵の姿があった。

 彼女は別のテーブルにお茶とケーキをならべ、顔を上げたとき祐介と目があった。

 祐介は昨日、駅まで一緒に歩きながら彼女が話していたことを思い出す。


『傷つけた人と傷つけられた人って、何処が違うのかな』

『傷つけちゃいけないよ。そうだろ?』

『昔の私なら、祐介君と同じ事を言うだろうけど……』

『けど?』

『傷付けるには何か理由があると思うし、それが良くない事だって知ってると思う。だからそれをしてしまった人は、傷つけられた人とはべつの辛さを背負っているんじゃないのかな』


 昨日は答えられなかった。

 でもいまなら、答えられるかもしれない。 


「光さん、恍のことで君を責めるつもりはないよ。三年間、僕やみんな辛かった。けど、光さんも泣いたんだろ。……あとは君が決める事だよ」


 祐介は席を離れた。

 すっかり冷めたティーカップ二つ、テーブルの上に残して。

 


                   *




 晶がカウンターに戻ると、英美と働く愛の姿があった。

 怪我は大したことがなかったのだろう。

 息を吐く晶は、緊張が溶けた思いだった。


「ねえねえメグタン。ピチブラの制服って可愛いと思わない? 誰がデザイン考えたのかなー。私達のキャラクター人形を作ったら売れるかも」


 レジ前から離れて、英美が洗い物をしている愛に話しかけていた。


「……人形?」

「フィギュアね。あ、ゲームもいいかも。爽快ケーキアクション。おもしろいと思うでしょ?」

「……戦うの?」

「入ってきたオーダーをすばやく準備してお客さんに提供していくアクションゲーム」

「ゲームより、真面目に仕事したほうがいいと思う」

「それは……そうだね」


 晶は英美と話をしている愛の様子を伺っていた。

 どのタイミングで声をかけるべきか、考えれば考えるほど躊躇してしまう。


「……晶さん」


 不意に振り返った愛に声をかけられてしまった。

 笑みを作る晶。

 自分でもぎこちないとわかるほど、引きつったように笑った。


「愛、元気? ……じゃないよな、やっぱし。さっきはその……ゴメン!」


 手を合わせた晶は、頭を下げて愛に謝った。

 黙している愛。

 英美はそんな二人を横でじっと見つめた。


「晶ちゃんは祐介君のことが好きだったから、光と店に入ってきたとき、嫉妬したんだよ。けどあの二人、そういう関係じゃないんだって。よかったね晶ちゃん」

「英美、あんたは引っ込んでなさい」

「はーい。でもね、エーミ思うんだけど、晶ちゃんって新川直樹君のこと好きじゃないの? 喧嘩するほど仲がいいって言うし」


 淡々としゃべり続ける英美に対して、晶は思わず右腕を振り上げる。


「……今度は、減俸じゃすまなくなります。解雇ですよ」


 愛がぼそっと囁いた。

 愛を突き倒したことを思い出すと、振り下ろせなかった。

 そのすきに英美は愛の後ろに隠れる。


「晶さん、彼女を許してあげて下さい。あなたがしたこと、私は許しますから」

「愛……わかった」


 晶が右腕を下ろしたときだった。


「やっぱし暴れてやんの」


 入り口の方で声がした。

 三人はドアの方へめをむけると、男子が一人、立っていた。

 緑色したジャケットに赤いネクタイ、チェックのスラックス姿の彼にむかって、レジ前に立つ英美は陽気に手を振る。


「直樹君。エーミもいるよーん」


 直樹は軽く手を振り返し、カウンターに近寄ると晶に声をかけた。


「ホントにバイトしてたんだな。けどおまえの性格にはあってない、可愛い制服が可哀想だ。おまえ胸ないから」

「あんた、ケーキ買わずに喧嘩を売りに来たの! 営業妨害するなら帰った帰った。ボク、あんたなんか嫌いなんだから」

「はいはい。また来まーす」


 直樹はサッサと帰っていった。


「なにしに来たんだか。英美もわかったでしょ。ボクは直樹みたく馬鹿でスケベな男は大嫌いなの」


 晶は下唇を噛み、頬を赤らめ瞳を潤ませていた。

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