Heart Evolution. 2

 数日前のこと。

 奥の部屋で足下に泣き崩れた光を前に、恵は言葉を返せなかった。

 恵自身にも似た覚えがある。

 数カ月前、学校でされた事は、思い出すのも嫌になる過去。

 いまも心の中に巣食っている記憶だった。

 平気な顔をして傷つけてきた人達と、光は同じ?

 少なくとも、自分に危害を加えていた人ではない。

 誰だって傷つきたくない、傷つけられたくない、そんな思いをするのもさせるのも嫌だと思っている。

 寂しさや不安、迷いから内面に閉じこもるか、外面に飛び出るか。

 それだけの違いなんだ。

 わかっていても、どんな言葉を光にかければよかったのか。

 いまも、恵にはわからなかった。

 これまで店で出会った人達は皆、比べ者にならないほど素敵で優しく、いい人達だった。

 だけど、彼女達も恵と同じ、心のどこかに悩みを抱えていた。

 人は皆、同じ。

 誰もが素敵になりたがっている。

 それはきっと、悩みや不安、孤独を抱えて生きている証拠だ。

 思いをめぐらせていると、ふと浮かんだ言葉を口ずさむ。


「理解される事を欲しながら、理解を拒否する心もある……か」


 昔、兄が話してくれた言葉だった。

 今の自分に満足しながら、常に逆の心も持ち合わせているのが人間だ。

 私もそれを持って生きている。

 そうなのだろうか。

 自問自答をくり返しながら、恵はオーダーを運んだ。




                       *




「んー心配だね」


 晶が腕を組んで英美に呟いた。

 英美は洗い物の手を止めて晶をみた。


「祐介君を恵さんに取られるのが心配だね」

「ちがーう。だいたいボクがこの店で働こうと思った理由は、恍の想いが詰まった所で働きたいと思ったから。……まあ、チンチクリンなあの子に任せておけないって思ったのもあったけど」

「チーちゃん背が低いけど、ちんちくりんだなんて晶ちゃんひどーい」

「そういう意味で言ったんじゃない」


 晶は、すかさず手元にあったトレーで英美の頭を叩いた。


「ポカスカ叩かないでよ。華麗で繊細な私の脳細胞が死滅していくじゃないの」

「使ってないからいいだろ」


 二人のやり取りを聞き流しながら、愛はレジ前に立っていた。

 騒ぎすぎ。

 教室の休み時間ではないのだから。

 そう思いながら愛は恵へ視線をむける。

 どこか元気が無い。

 どうしたら力になれるのだろうと思いを巡らせていた。

 そんな時、一人のお客が店にやってきた。


「いらっしゃいませ、お一人ですか?」


 愛が声をかけた。

 セーラー服に身を包むその客は頷き、店の奥へと歩いていく。


「いらっしゃいませ。八番テーブルがあいて……」


 晶がオーダーを運びながら言いかける、が何の反応も見せずに素通りしていく。

 奥の空いてる席に座ると、黙り込んでうつむいた。

 その態度に晶はムッとするが、恵から『お客さんを傷つけるようなことをしてはいけない』と言われていることを思い出した。

 晶は八番テーブルへ向かった。


「ご注文はお決まりですか?」


 セーラー服から、近くの中学生なのはすぐにわかった。

 前髪を垂らして俯いているので顔はよくみえない。


「……………………ココアありますか?」

「ココアですか? 少しお待ち下さい」


 首を傾げながら晶はカウンターへ戻った。


「わけあり……かな」


 いま一度メニューを確かめたあと、晶は恵を目で探す。

 食べ終えた食器を持って、フロアから戻ってきた。


「ねぇ、チクリン。ココアってある?」

「ココアですか? 基本的に紅茶しかないと思うんですけど……探してみますね」

「ボクも手伝うよ」


 晶は恵と一緒に奥の部屋に入った。

 在庫棚からココアを探す。

 棚にはティーキャディーの缶が並んでいる。

 一つ一つにラベルが貼られていた。


「この中には全部茶葉が入ってるの?」


 脚立に乗り、ラベルを見て探す恵に声をかけた。


「うん、会社別、等級別、種類別にね。一応お茶という名の付くものは揃ってるって……神名さんから聞いたことがあるんだけど」

「神名さん?」

「月城神名さん。以前、一緒に働いてた先輩です。珈琲に紅茶、ハーブティーに日本茶、中国茶……。お客さんの要望で注文も受け付けてるんです。その為にいろいろ置いてあるって……唯さんも言ってましたから……」


 恵は淡々と話し、ココアを探す。


「……無いなら断ればいいんじゃない? だいたい『お客様は神様です』なんて今更流行ないって」


 あくびする晶は、近くの椅子に座り込んだ。


「だいたい、こんな手間暇かけて、労力使うのがわからないけどね。人員削減、規制緩和と無駄を省いて効率を、って流れなのに。まぁ働いてお金をもらってる身分だから大口叩けないけど」


 探す手を止めて、恵は脚立の上から晶に目を向ける。


「晶さん、ブラウニーって知ってます?」

「知ってるよ。ゴブリンの仲間だろ。家事とかの手伝いをして、人から施しや姿を見られるとどっかに行っちゃうっていう小妖精。小人さんがどうかした?」

「すごいですね、晶さんって。詳しいんですね。……私たちはそのブラウニーです。ここに来た人達の悩みを解決する、その手伝いをする『小人』さんです」

「だから?」

「人の見てない所で苦労するんです」


 淡々と語る恵に対して、晶は乾いた笑いをする。

 気まぐれでは人助けは出来ない。

 まして自分達自身、悩み多き女の子なのに。

 人様の悩みなんて……と思う晶だが、口には出せなかった。


「手伝うよ」


 すぐに椅子から立ち上がり、晶は下の棚から探しはじめた。

 恍の面影にも似た態度をする恵をみていると、忘れかけていた何かを思い出す。

 目に映り聞こえるすべてのものが無限に大きく、暖かかった幼い頃……。

 出来ないことは何もなかった。

 不可能などありはしなかった。

 空だって飛べると思っていた。

 いつだって見上げれば澄み切った青い空があった。

 心から何だって話せる友達と……。


「恵さん、人は変わってくのかな」

「えっ?」

「あれは夢だったのかな。恍と一緒に空を飛びたかったな……」

「わかりません。ただ、それは晶さんしか見られない……素敵な想い出だと思う」


 顔を上げた晶は、恵と目があった。

 優しい瞳をしていた。

 恥ずかしさをおぼえ、とっさに顔をそらす。


「あ、ピュアココア」

「見つかりましたか。すぐ作りましょう」


 ココアの入った小さな箱を手にし、二人はカウンターへ戻っていった。


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