Heart Evolution. 3
その頃、唯と蘭は紅茶を飲みながら黙りを続けていた。
原因は蘭がプレゼントをくれないことにあった。
唯は完全に拗ねた子供のようになっている。
「あんた、三十も過ぎた二児の母親でしょ。そんな子供みたいにだだこねてたら、祐介君や働いてる子達に笑われるわよ」
「あの子達の前ではこんな所みせないからいいの。だいたいくれるっていうから期待したんじゃないの! 蘭のケチ、嘘つき、ほら吹き、詐欺師!」
ここまで来ると完全に頭が痛くなってきた。
「舞が見たら……」
「姉さんのことは言わないでよ」
きつい口調を返され、蘭はいいすぎたと口を結ぶ。
幼い頃に両親を、そして姉、その上娘の恍も亡くしているのだ。
「あげるから……機嫌直して」
蘭は息を吐いた。
「やっぱ、蘭はいい人じゃん! 話せるー」
明るくはしゃぐ唯に呆れながら、蘭は封筒を一通、渡した。
訝しげに眺め、渋々見つめてから、蘭の顔を見た。
「小切手? それともゴールドカードとか、旅行券かな?」
「……もっと凄いものよ」
「もっと?」
慌てて中を開けて取り出すと三つ折りにたたまれた紙切れが一枚出てきた。
見開くと、唯は蘭を冷視した。
「何これ?」
「プレゼント」
「どこが凄いの? この紙切れが」
「あなたの欲しがってた物よ。よく見なさい」
騙されたと思いそれに目を通してみた。
唯の表情が一変する。
「確かに凄い物ね!」
唯は大事そうにもとの封筒の中に戻した。
*
カウンターでは、恵と晶がココア作りに懸命だった。
晶が深めの片手鍋にココアパウダーとグラニュー糖、小量の牛乳を入れ、弱火にかけながらスプーンで練り上げる。
「……これでいいかな、チクリン」
「うん、今度は牛乳を足しながらホイッパーで掻き混ぜるの。この時たえず撹拌しながら温めるんだって」
「カクハンって?」
「掻き混ぜることです」
緊張しながら恵は、神名に貰ったノートに書かれたレシピを読み上げる。
端で見ている英美もドキドキしていた。
「細かい泡をいっぱい作ることが大事、なんだって。牛乳を入れ終わったら、強火にして撹拌を続けて。……沸騰寸前になったら縁まで細かいつぶつぶの泡が上がってくるから、それを見つけたら出来上がり。カップに注ぐときは茶こしを使うとなめらかな口当たりになり、また表面に出来た膜も取れるってわけです」
「オッケー!」
晶は言われた通り撹拌を続け、小さな泡が縁に出来てくる頃火を止めた。
カップに入れるときは勿論、茶こしを使った。
恵が用意したカップは、肉厚の陶器のカップ。
トッピングとして、シナモンスティックでココアを掻き回す。
「チクリン、それって何してるの?」
「香りをつけてるんです。晶さん、持っていって下さい」
トレーに乗せ、恵は晶に渡した。
「うん、わかった」
ありがとうと礼をのべて晶がカウンターを出ていく。
英美はじっと鍋の中に残ったココアを指をくわえて覗き込む。
甘いような香ばしい香りによだれが出そうになっていた。
「ねぇ、チーちゃん」
「は、はい。……何ですか? 英美さん」
「飲みたい」
「えっ?」
「飲みたい飲みたい飲みたい飲みたーい! ねっ!」
目を潤ませて恵に縋り付く。
瞳を輝かせる彼女に根負けして首を縦に振った。
「少しだけですから」
「やったー、いただきまーす」
近くにあった小さいカップに注ぎ、恵は英美に手渡した。
受け取ると、熱さに気をつけながら一口のんだ。
「おいしい! これいいね」
「よかった。晶さん、うまく作れたんだ」
英美はあっという間に飲み干していた。
苦労して作った割に、無くなるのは意外と早い。
恵は自分も飲んでみたかったと思ったが、飲み終えた嬉しそうな英美の顔を見たら、自分の気持ちなんかどうでもよく思えた。
「もう一杯ほしいなー」
「商品ですから。私用目的で作ると、唯さんが怖い顔をして『減俸だー』って怒るからだめです。お金を出すのなら良いと思いますけど……」
「チーちゃんがそう言うのなら……わかった。またなんか残り物ちょうだいね」
英美は仕事に戻った。
自分とは違う明るくて元気な彼女を、恵には羨ましく見えた。
*
八番テーブルの席に俯いて座るお客の所に来ると、晶はそっとココアの入ったカップを置いた。
「ご注文のココアです。ごゆっくりおくつろぎ下さい」
そっと両手でカップをつかむと匂いをかぐ。
湯気と共に立ちのぼるココアの香りに表情が緩み一口飲んだ。
「……おいしい」
「一生懸命ボクが作ったからね。ねぇ、一つ聞いていい?」
「はい?」
このとき、ようやく顔を上げ、晶と目が合った。
「何か元気なかったみたいだけどどうかしたの?」
晶は目の前の少女に笑顔を向ける。
相手の少女は、哀しい顔に戻ってしまう。
「……テストの点が悪くなって」
「人間の価値なんて、点数で決まるものじゃないでしょ」
「私にはそれが全てなんです。先生の言うことも、母の思うとおりに生きることも」
「人形じゃん、それ」
晶は冷たく言葉をかけ、その場を去ろうとした。
「私は何も悪い事してないのに、どうして……」
少女は帰っていく晶の背中に、自分の想いを呟いた。
しかし晶にその声は聞こえなかった。
*
ふてくされてカウンターに戻ってきた晶の顔を見て、英美は思わず笑った。
「変な顔ー、まるでお猿さんみたい」
「うるさい! 英美が行けばよかったのに」
顰めっ面をした晶は、ため息を漏らした。
八番テーブルにいるあの少女のようなタイプが苦手だった。
自分とは正反対な性格。
関わり合いたくなかった。
「さっきの子、飲んでくれたの?」
「飲んではくれたけど、成績が悪くなったってしょげてた。見た目、中学生みたいだから中三かな。受験ノイローゼみたいなものかも。英美ならうまく悩みを聞いてやれるんじゃないの? ボクはああいうのだめだ……」
「エーミも苦手。あんまり勉強できないから。それに私たち、受験勉強なんかしたことないから何も言えないよ」
英美の言うとおりだった。
くじ順で受かった今の学校。
しかもエスカレーター式で、勉強が出来なくても進級できる。
そんな自分達が、あの少女のような悩みに力を貸すことは無理だと思った。
晶はレジの前にいる愛を見た。
彼女に頼めばよかったのかもしれない。
ただ、無表情で変な子だし、話しかけづらい。
ここはやっぱり……。
晶はレンジ前で紅茶を作る恵に声をかけた。
「チクリン、あの……頼みがあるんだ」
「なんですか」
「あの、八番テーブルのあのお客の所に行って、悩みを聞いてあげてもらえませんか。私には……」
「私が行っても、なんとかできるなんて思えないですし……わからないですよ」
恵は晶の顔を見上げながら静かに答えた。
落ち着き払ったその態度が、晶には自信に満ちているとしか映らなかった。
「そこをお願い!」
「……わかりました。……ここ、お願いします」
仕事を晶に引き継いでもらうと、恵はカウンターを出ていった。
「お願いしまーす」
明るく見送る晶の姿に、愛は冷たい目をむけた。
「人に頼らずできないの?」
小声ながらもはっきりと晶に届いた。
言い返そうと晶は愛を睨むも、顔を背けられる。
やっぱりあの子とは合いそうにない、と晶は背を向けた。
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