The apple of her eyes. 4
時報音が店内に鳴り響く。
晶は壁にかかる柱時計を見た。
時刻は五時三十分。
「英美、そろそろ帰ろう。明日、小テストあるから勉強しないとまずいし」
「うん、たまにはしよう」
「たまにじゃないでしょ。毎日勉強しなさいよ。それでいて私より点数いいんだからやになっちゃう」
笑いながら二人は鞄を持って席を立とうとした。
その時、オーダーを運び終えた恵が通り過ぎていく。
瞬間、思わず晶と英美は目で追った。
色彩溢れた現実と憧憬の世界が解け合い、周囲の音という音、光という光が鮮やかに広がっていく。
「……英美、今の子……似てない?」
「似てる……ね」
二人は彼女を追った。
*
恵は、立ち去った席の飲み終わった食器やポットをトレーに乗せ、カウンターへ向かう。
一歩、また一歩と、近づく晶と英美。
恵のすぐ後ろまで来たとき、いきなり振り向かれた。
「お帰りですか? お会計はレジでお願いします」
二人にニコッと笑って挨拶をする恵は、一礼してカウンターに入っていった。
晶と英美は顔を見合わせる。
「……違うのかなやっぱり」
それとも忘れてしまった?
それはあり得ない。
だとすると三年で自分達が変わってしまったのか?
「この三年で、きれいで可愛くなったから見違えたのかも」
「晶ちゃんが? んー、わかんない。聞いてみようよ」
英美は、カウンターの中に入って洗い物をはじめる恵に目をむけ、を見る。そして何を思ったか、中に入り込んだ。
「あの、私は森原英美といいますけど、もしかして……恍ちゃん?」
「えっ?」
恵は声のする方を見て少し驚いた。
自分より背が高くて髪を左右に分けて赤いリボンで結わえているその子が、自分をじっと見つめている。
その目には不安が満ちていた。
レジに立つ愛に支払いながら晶も、恵に視線を向けていた。
「少しお待ちいただけますか」
恵のその一言に、英美も晶も互いの顔を見合わし、軽く頷いた。
水を切り、エプロンで手を拭きながら奥の部屋に消えた恵を待つ二人は、柱時計が刻む時間の音が聞こえる。
それは胸を打つ鼓動と同じ速さで。
湯を沸かす光は、何度も奥の部屋へと振り返る。
そんな彼女の姿を、愛は黙視していた。
*
「久しぶりだね、晶さんに英美さん」
店内の窓から射し込む夕日に背を向けて、晶と英美の前に祐介が立っている。
互いに大人びたが、あの頃の面影は残っていた。
彼は店の奥、空いてる席へ促し、座った。
二人も同じ席に腰掛ける。
恵は仕事に戻ると、光がレンジの前に立ったまま俯いていた。
「どうしたの?」
「聞きたくないの」
「?」
それだけ言って光は奥の部屋へと逃げていった。
*
「祐介君、あの子は恍ちゃんじゃないの?」
英美はカウンターの恵を指さした。
「指さすなって! ははは、相変わらずなんで」
笑いながら英美を押さえつける晶。
彼の前だと舞い上がってしまうのが晶自身、わかった。
祐介は苦笑してみせた。
「そうみたいだね、晶さん。彼女は、竹林 恵さんって言うんだ。うちでバイトしてもらってる」
「うちって、ここ?」
「ここ? こ、こ……ここ!」
驚きの余り変な声を出してしまう晶と英美。
「鶏じゃないんだから、二人とも。知らなかった? 六年前から営業してるけど。知らなかったんだ……」
「うん。……元気そうだね、祐介君」
真っ赤な顔をして晶はうつむく。
英美は一人クスクスと笑っている。
「どうしたの? 顔が赤いけど。……暑い?」
「ううん、夕日があたってるだけ。……うん」
英美は側で笑いを必死にこらえている。
夕日がまぶしいのは本当だった。
逸る気持ちを抑えながら、晶は話題を変える。
「……恍は、元気?」
晶の問いに祐介の顔色が少し変わった。
「恍は……もういないんだ」
いない?
その一言で一気に冷めた。
「いないって、どこかに行ったの? 親が離婚して……とか」
「いや、そうじゃ……そうじゃないんだ……」
元気のない返事。
晶と英美は顔を見合わせて首を傾げる。
彼女達の瞳を見てから、祐介は息を吐いた。
「逝ったんだ。恍は三年前に」
「はい?」
意味がわからない。
もしかして、もしかして……。
頭の中で何度もリピートしてしまう。
「そんなことあるわけない。悪い冗談言わないで! だいたい何で」
晶は声を荒げ、祐介の襟首へ手を伸ばそうとした。
「だめ!」
英美が晶の手を慌てて押さえた。
抵抗する晶は、英美の手が震えているのに気付いた。
「……ちょっと、英美」
「祐介君、どうしてなのか教えてくれませんか」
英美は晶を押さえつけ、祐介に訊ねる。
そんな彼女の、泣くのを我慢している顔を晶は見てしまう。
なにも言えなくなり、手を引っ込めるしかなかった。
「……いじめられてたんだ。気付いてやれなくて、目の前で車の前に」
*
気になって奥の部屋へ入った恵は、光が両手で耳を塞ぎ、部屋の隅にしゃがんでジッとしているのをみつけた。
「聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない」
呪文のようにつぶやいている彼女の姿を前に、声をかけていものかためらってしまう。
なにをそんなに怯えているのだろう。
思い切って声をかけようとした時だった。
「それでもあなたは聞かなくてはいけない。斉藤 光さん」
厨房に通じるドアを開けて出てきたのは唯だった。
光は唯を見上げた。
怯える彼女を唯は見下ろし、一歩、足を出す。
「わ、私……何もしてない、何も。ただ見てただけ、見てただけだから、私……ほんとに何もしてない! 何も」
「だから悪いんでしょ。……恵、後は任せた」
そう言うと唯は厨房へと入っていった。
気が動転して体を振るわせる光と目が合う。
「光さんの様子がおかしかったから……覗く気はなかったんだけど……何かあったの?」
「ゴメン、恍。来ないで!」
「私は恵です。落ち着いて」
「め、恵さん? ……はぁー、恵さんね」
晶はため息を付いてうずくまってまま、下を向いている。
恵は立ち上がるのに手を貸し、近くの椅子へ座らせようとした。
その瞬間、バランスを崩してしがみつかれる。
「しっかり、光さん」
「……助けて、恵さん」
「うん。大丈夫だから。どうしたの?」
「…………………………………………いじめてた…………私」
光は小さな声で恵の耳元に囁くと、その場に崩れた。
恵は彼女の告白を聞いた後、なんと声をかければいいか、わからなかった。
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