The apple of her eyes. 3
一階の奥のテーブル席に座る晶と英美は、オーダーが来るのを待っていた。
「時間がかかるのね。それより、どうしてボクをここに連れてきたの? 寄り道なんてしないあんたが、なにかあったの?」
「実はここでヤクの密売が!」
晶の無言のげんこつが、英美の頭に直撃した。
鈍い音がして、頭を抱えながら涙を浮かべる。
「いたいですぅー。何するんですか晶ちゃん。私の繊細な頭が壊れたらどうしてくれるんですか!」
「……充分壊れてるよ」
「ひどーい、クーリングオフはもうきかないんだから!」
そりゃそうだろと言おうとしたが、英美のペースに乗るとこっちまでおかしくなってくる。
落ち着け私、落ち着け、落ち着け……。
「お待たせしました。御注文のケーキと紅茶です。ごゆっくりおくつろぎ下さい」
また、足音立てずにテーブルの横に愛は立っていた。
伝票をテーブルにふせ、無表情の顔でオーダーをテーブルに並べると、一礼して去っていった。
彼女達の前にはケーキスタンドの中に入っている注文した苺のタルトにクリュームブリュレ、アップルタルトにピーチブラウニー、中央にはシナモンティーとレモンティーが並んで置かれている。
「わああああぉぉぉぉ! 美味しそう」
「いただきまーす!」
二人は目の前に並んだ美味しそうなケーキを皿に取る。
英美が、われ先にと慌ててフォークを手にしようとすると、床に落ちてしまった。
「今、私のフォークがテーブルから約一メートルにある床に自由落下したのは、まさに行為と環境との相互作用の産物……」
「手が滑って落としただけでしょ、大げさな。サッサと拾いなさい」
晶は冷たくあしらった。
ケーキを目の前にして、これ以上は付き合いきれない。
英美と晶は小皿にケーキを取り、アップルソースをかける。
ドロッとした黄色い甘ったるい香りと共に広がっていく。
注文したブラウニーをフォークで切り分け一口、口にしてみた。
「うん! おいしい」
「デリシャスって感じ! はぐはぐ……ん」
英美は口の周りにソースをつけながら、ものすごい勢いで食べ始めた。
まさに家畜の勢いといったところか。
そんな英美の子供っぽい仕草を見てか、周りから笑い声が聞こえてくる。
晶は恥ずかしくなって体を竦めた。
穴があったら……という状況だった。
「……英美、もう少しゆっくり食べてよ」
「美味しいものは美味しそうに食べなきゃ。……あー、さては晶ちゃん、私のケーキ狙ってるんだー。あげないよーだ」
「ボクがあんたみたいなことするわけないよ。まったく恥ずかしい、もう少し人の目ってヤツを……まあ、それにしても美味しいね。どこかで食べたことのあるような」
「恍ちゃんのくれたケーキみたいね」
英美の一言に晶の手が止まった。
……三年ぶりにその名をきいた。
「……恍か。そう言えばあの子の持ってきてくれたケーキは本当に美味しかった。誕生日には必ずくれた。ここのケーキだったのかな? まあ、ボクらが林檎学園に入ってからは別々になっちゃって。……今、どうしてるかな」
「小学校のころ、困っているといつも話を聞いてくれたり励ましてくれたりしてくれたよね」
すっかり食べ尽くした英美がシナモンティーを飲みながら呟いた。
二人の頭の中で、昔の彼女と過ごした時間が蘇る。
彼女をひとことで言い表すなら、強い子、だった。
どんなに辛いことがあってもけして負けない子だった。
「ホントにいい子だったよね」
「そうそう」
「ヴァイオリンがうまい子だったよね」
「そうそう」
「かわいい子だったね」
「そうそう」
「晶ちゃんは、恍ちゃんのお兄ちゃんの祐介君が好きだったの?」
「そうそう……じゃない!」
晶は決まりが悪そうに声を上げた。
「そんな昔の話、蒸し返さないでよ」
「あー、顔が真っ赤。夕日のせいじゃないよね」
「うぅ、違うったら」
否定をするものの、顔が火照ってくるのが自分でもわかった。
きっと耳まで真っ赤だ。
「たしかに普通の男子とちがって、嫌なことでも話せたよ。少し臆病な所があったけどそれはそれで……」
晶はレモンティーを飲み、息を吐く。
「それに引き替え、他の男子ときたら、馬鹿でおたくでスケベなだけじゃない」
「あー、直樹くん達ね」
「そう、あいつら」
晶は、思い返すだけで腹が立ってきた。
今日といい、昨日といい、むかつくったらありゃしない!
……とつぶやいて、英美に指摘されるのが一番むかつくことに気がついた。
「英美もさ、自分勝手で我が儘なところ直したほうがいいよ。恍にあれだけ、『そういう所、直した方がいいよ』って言われてたくせして、三年たっても直ってないなんて進歩ないじゃない」
強い口調で言い切り、レモンティーで渇ききった喉を潤した。
壊れたスピーカーのように言い返して来る、とふ心の準備をする。
しかし英美は……、
「……晶ちゃん、酷いよ。……そんな……言い方、しなく……たって……」
小刻みに肩を振るわせ、指で目をこすり、鼻をすすった。
「……わ、私、ただ……ング、怒ってばっかの……あ、晶ちゃんのこと……心配だった……から、力に……なってあげ……ン、たかったから、話……を聞いてあげたかった……から……」
嗚咽まじりでうまく聞き取れなかったが、英美の自分に対する気持ちに気付いた晶は、身を乗り出してハンカチを差し出した。
今までの英美の態度は、彼女なりの気遣いだったとは。
『あーちゃんはもう少し思いやりを持って、相手の気持ちをわかってあげられるようになったほうがいいよ』
かつて恍にいわれた言葉が、耳元で聞こえた気がした。
「……英美、ゴメン」
「……うん」
晶は思い出す。
三年前、三人で一緒の中学にいけたらいいねと話をしていた。
それが叶わなかった時、哀しかった。
哀しくてずいぶん泣いたが、どうすることも出来なかった。
小学校の卒業式のとき、恍が晶に贈った言葉だった。
あの時の彼女の顔は今でもはっきり覚えてる。
淋しさを全面に出してはいたが、またいつか逢う時は笑顔で、という思いを込めた顔だった。
「今のボクは恍に合わす顔ないよ。……全然変わってないもん」
「……うん、私も。恍ちゃん、いま何してるのかな……」
互いを見つめながらティーカップを口へと運ぶ。
二人の瞳は遠く昔を見ていた。
まだ幼かったあの夕闇の時代を……。
*
感傷に浸っている晶達を、光は仕事しながら見ていた。
話も、概ね聞かせてもらっていた。
目元をぬぐいながら鼻をすすり、カウンターへ戻っていった。
恵が一人で小忙しく紅茶作りとケーキの準備に洗い物、レジに客の応対、と動き回っていた。
そんな彼女の肩に手を置いた。
「竹林さん、交代する……」
「ん? 光さん、ありがとう。お客さんんも減ってきたから大丈夫です。慣れていないから疲れたでしょ? 奥で休んでもいいよ。お客さんもだいぶ減ったしね」
笑みを見せる恵の足下はふらつき、背中には猫が付いたように背を丸まっていた。
「自分こそ休みなさいよ」
「ブラウニーは人の見てないところで、人の為に手助けするんだって唯さんが話してました。だから頑張るんです」
恵の顔は、光の記憶の中にいる恍の顔と重なって見えた。
「たまにはオーダーを運んでみたら。ここは私がやるから」
仕事を奪うように光に追い出された。
なぜ急に彼女がそんなことを言い出したかわからないまま、恵はオーダーを持ってフロアへとむかった。
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