Peach brownie. 4

 湯気が上るティーカップを覗き込みながら蘭は、唯の話を聞いていた。


「何処行ってもみんな心にゆとりもなくて、孤独なくせして自分の為だけに一生懸命生きている。このまま祐介達、子供らはどんな人間になっていくのかって思うようになった時、恐怖にかられたわ。何とかしなくちゃって思ってこの店を作ったの。今の子達に貴方の夢は何ですかって聞いてもろくな答えが返ってこないわ。貴女も一応マスコミ関係やってるから知ってるでしょ」

「そりゃ、知ってるわよ。今の世の中、閉塞感が取り巻いてるのよ。……こんなこと聞くのは嫌だけど、そんな貴女がどうして恍さんの悩みを聞いてあげなかったの? 自分のことは余り言えないけど……」


 唯は蘭から目線を外し、カウンターの上に置いてある小さな写真立てを取りテーブルに置いた。


「私だって人の子よ。世間の冷たい風に当てられて辛い思いをした。高校もろくに出てないし。そりゃ、今は大学も行ってるし、菓子製造技能師の免許も持っている。そこらの主婦連中には負けてないつもり。十六で結婚したとか、姉さんが死んで直人さんを取った酷い妹とか、色々言われたわ。……日本に帰って来た時、世間からぼろくそに言われて、私だって参ってたのよ。気付いてなかったわけじゃないんだけど、純粋な人間ほど今の世の中生きていくのは辛いみたいね」

「だからここを作った。……他人の心が分かってあげられるような人を育てるために、夢や希望、優しい心を持った素敵な人になるための場所。……けど何で対象が女の子達なの?」

「生命を育てるのは女しかできないからよ。別にフェミニズムを掲げてるつもりはない。今の世をつくったのは先の事も考えず、ただ己の傲慢の固まった男達よ。だから女の子達を対象にしてるの」


 写真立てをしっかりと握り締め、じっと見つめた。

 まるで写真の人物に語るかのように。

 唯の手に握られたその写真立てには、姉の舞と並んで撮った写真と恍の写真の二枚入っていた。

 写真の恍は笑っていた。




                  *





「恍さんって美浜君にとって大事な妹なんですね。恍さんに何かあったんですか?」


 恵は祐介を傷つけないように、考えて考えて話しかけた。


「死んだんだ。……三年前の雨の日、車の前に飛び出して……助けることが出来なかった。妹が死んだことを認めるのが怖くて、よく街の中を探し回ってた。けど……自分でやっと納得出来た時、竹林さんが妹と同じ事をしようと……」


 祐介は近くにあった小石を拾い上げると、川の中に投げ込んだ。

 波紋が広がり、やがて静かに消えた。


「僕は君を助けた時、妹を助けようとして助けたのか、一人の女の子を助けようとしたのかわからなくて。けどあのとき、確かに聞こえたんだ。……声じゃなく言葉じゃなくて、共感って言ったらいいのかわからないけど……確かに何か感じて、僕は」


 祐介の話を聞いてあの時を思い出した。


「私も聞こえたよ。……もう自分を責めるのやめにしよ 美浜君が私を助けてくれたのは事実だし、私は」

「ありがとう、恵さん」


 どうして礼を言われるのかわからなかった。

 礼を言わなきゃいけないのは自分の方なのに。

 体が妙に熱くなってきた。

 わからないけど、とにかく嬉しかった。


「ありがとう、祐介君」


 彼に軽く頭を下げ、笑った。

 彼も笑い、肩にそっと手を置き、互いにもたれ合った。

 その時だった。

 誰かの声が聞こえた。

 後ろの堤防の方に目を向けると、一台のワゴン車に二台のバイク、三台の自転車が止まっていた。

 堤防の坂を駆け下りてくる彼女達の姿が目に入ってきた。


「チクリン、みっけ!」

「竹林さん!」

「祐介君!」


 大きな声で叫びながら走ってくるみんなに、恵と祐介は軽く手を振って答えた。

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