Peach brownie. 3

「わかった。みんなにもそっちへ行くよう伝える。街中にはいないみたいだから」


 弥生からの電話を切った唯は、直人と鈴の携帯電話にかけた。


「唯さん、大丈夫よ、見つかるって」


 電話を終えて項垂れている唯の肩を、蘭はそっと掴み、抱き締めた。

 亜矢達から話を聞き、心配になって蘭も駆けつけてきたのだ。

 唯は強くうなずくと、彼女の手をふりほどいた。

 しっかりとした足取りでカウンターの中に入り、薬缶に水を汲み、火にかけて沸かしはじめる。


「何してるの?」

「お茶を作るのよ。蘭も飲む?」

「……いただくわ」


 そう答えた蘭はカウンター傍の椅子に座った。


「ねえ、恍さんのこと話してくれない? 差し支えなかったらでいいけど」

「姉さんが亡くなり、私が林姓から美浜姓になったあと。直人さんと一緒に外国でケーキ作りの修行をしながら暮らしてたころに双子が生まれたの。それが祐介と恍。小さい頃から恍は祐介にべったりとくっついていて、仲がよかった」

「帰国したのは?」

「七年ぐらいたってからかな。日本に帰ってきたんだけど、なんて言うのか……住み難いと感じたかな。恍は祐介といたがるんだけど、他の人には変に見えるのかなかなか友達は出来なかったみたい。日本語だけじゃなく英語はもちろんフランス語とか少しだけど喋れたし、ヴァイオリンだって弾くし、普通の子にはできないことができたから、それだけでいじめられて……よく泣いて帰ってくることが多かった。二人していじめられて帰ってくるから、戻ってくるんじゃなかったってよく思った」


 薬缶の火を見ながら話し出した。

 湯が沸いたのか、ガスを切り、ポットに湯を入れ、ティーカップにも注ぎ込む。

 キャディースプンで茶葉を計って入れ、ポットの横に砂時計を置く。


「けど、弥生や神名、美香や亜矢達がいたから、あの子は頑張って生きてた。けど、やっぱり世間って自分が可愛いのか、自分以外の人は他人という箱に入れて、助けることもしない。そのくせ自分が困っているときは助けろって、他人に強要する。嫌な世の中よ」


 蘭は彼女の話を漏らさないよう聞いていた。

 自分が困ったときは唯たち姉妹にすがっておきながら、彼女が困っているときには何もしなかったことを思い出し、胸が痛かった。




                 *




 そのころ川岸にただずむ二人は川の流れをただじっと見つめていた。


「どうして私がここにいるってわかったんですか? ここに来てまだ半年もたってないんです。行く所がなくて彷徨っていたらここに来ちゃって。この街に私の居場所はないのかなって……どうしていいのかわかんなくて。……消えてしまいたかった」

「僕もそうだよ。初めてこの街に来た時、自分の居場所というか、存在してていいのかなって思ったり、迷ったりした時によく妹とここに来たんだ。何かあるとすぐここに来てしまうんだ。竹林さんがここにいると知って来たわけじゃないんだ」

「私を捜しにきたわけではなかったんですね。てっきり」


 思わず恵は、祐介の顔を覗き込んでしまう。

 彼は、苦笑いをうかべていた。


「ちょっと、嫌なことがあって」

「そうなんだ。……実は三日前からバイト行ってないんです」

「あら? そうだったんだ」

「電話がうるさかったから昨日の夜、家を出てきちゃって。もう自分でもどうしていいのかわからなくなってみんなを責めて、自分を責めて、私の世界を責めて……。けど、美浜君のお陰で、何かわかったような気がしたんです」


 笑顔を作っている彼の顔が、恵には淋しそうにみえた。


「ひょっとして」

「うん。僕も家出してきたんだ」


 ポツリ、そう言った。

 予想だにしなかったその答えに驚き、思わず口に手を当てた。


 ……信じられなかった。


 自分のように悩みを抱えているようには見えないから……。

 会いに来る時、電話してくる時、いつも恵に気を使い、優しく話していた祐介。

 そんな彼がどうして家出するのか、わからなかった。

 そのとき以前、陽一が言ってたことを思い出す。


「……美浜君。お兄さんが言ってたけど、『私を救えるのは私が救わなくてはいけない美浜君だけ』って言ってたけど……どういう意味なの?」


 恵は祐介の顔をみつめている。

 しかし祐介は、川の流れを見ている。


「昔のことを引きずってるだけさ。トラウマってやつだよ」

「トラウマって?」

「心的外傷。多かれ少なかれ、人間誰もが抱えている心の傷だよ。竹林さんは転校による新しい環境に慣れず、そのために受けた傷が心の傷になったんだよね。佐藤さんや吉田さん、美香さんや亜矢さん、神名さん、鈴さんや弥生先輩。みんな、なにかしら心に傷を持ってる。僕の母さんだって、僕だって。みんな辛いに負けないように、一生懸命生きてる。……僕の場合、妹のことなんだ」

「妹さん? 恍さんのことですか。陽一さんが言ってましたけど、美浜君と双子の妹さんとか……」

「兄さんはおしゃべりだな。そうだよ、けど兄さんとは本当の兄弟じゃないんだ。母さんのお姉さんの舞さんが産んだって聞いてる。兄さんを産むとすぐに亡くなったらしくて……だけど母さんは誰が母親だろうが関係ないって言って僕ら三人、育ててくれたんだ。色々大変だったらしいけどね」


 揺らめく波の如く、流れに目を向けてみる。

 静かに静かに……。

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