Gastronome aimable. 1

 自分を虐待し、だまし、襲い、辱め、裏切り、嫉妬する外界。

 そんな世界に自分がただ一人、無力で、見捨てられ、危険にさらされている感情。


 基底不安    

 

 何故自分はここにいるの?

 今自分は何をしているの?

 時に人は己の存在と歩んできた道に疑問を投げかけるときがある。

 答えを求める為の友もなく、話せる人がいないことに気付いたとき、自分は孤立していたことに気付く。

 大勢の人が周りにいるのに。

 知り合いはたくさんいるのに。

 心をさらけ出し、助けを求められる人は一人もいなかった。

 それが人がたくさんいても淋しいと思う理由。

 それが心を閉ざした理由。

 この殺伐とした世界に生きるみんなの心の中に潜んでいる夢の屑。

 空を見上げて心が空しくなる。

 海を見ては心を青く染めていく。

 荒野を見つめるから夢が見えなくなる。

 夢は何?

 何を目指すの?

 何を求めるの?

 全ての真実が虚言に変わり、心が崩れていく。 

 その音が聞こえる。

 そんな世界だから、彼は彼女に話しかけたのかもしれない。



                   *



 駅前近くにある小さなケーキクラブハウス『PEACH BROWNE』。女子中高生達には有名な店で、相変わらずの繁盛ぶりを見せている。

 神名に続いて鈴と亜矢、そして美香が、八月いっぱいで店を辞めることになった。


「みんな辞めていっちゃう。寂しいね」


 カウンターに頬杖をついて聖美がぼやいた。

 外の夏の暑さも手伝って、嫌気がさしていたのだ。

 肘をついて外を見ていると、ドアが開いて親子連れが入ってきた。

 聖美は慌てて姿勢を正して笑顔を作った。


「いらっしゃいませ!」


 小さな男の子は父親の手を引っ張り、ガラスケースを指さし、円らな瞳を聖美に向けた。


「ブルーベリーチーズケーキがいいの?」

「うん! これがいい」

「仕方ないな。すみません、これ四つ下さい」

「千四百円になります」


 箱に詰めるのを知見に任せ、聖美は料金トレーを差し出す。

 父親からお金を受け取り、ケーキを詰めた箱を手渡した。

 

「ありがとうございました」


 和やかな笑顔で、親子を見送った。

 以前は親子連れを見るだけで辛かった。


「親子っていいわね」

「そうね」


 知見は微笑んで相槌を打ったタイミングで、食べ終えた食器をトレーに載せて、恵が戻ってきた。

 今日のシフトは、恵を入れて三人。

 トラブルなく仕事しなければ、と思いながら知見は恵に声をかけた。


「恵さん、何かあった?」

「どうして?」


 カウンターにトレーを置いて、恵は首を傾ける。

 知見はすぐには答えなかった。

 普段から恵が笑顔をしてくれない子なのは知っている。

 だからこそ、心配しすぎなのは逆効果な気がした。


「いいことでもあったのかなと思って」


 恵は目を丸くした。 


「それとも嫌なこと?」

「あ……えっと。兄さんが帰ってきてるの」

「お兄さん? へえ、そうなんだ。良かったね。大学生?」

「……うん」


 素っ気ない返事。

 恵はそれ以上何も話してくれなかった。

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