Gastronome aimable. 2

「頑張ってるね。今日は三人かい?」


 眼鏡を掛けている男性が奥の部屋から顔を出し、彼女達に声をかけた。


「おじさん、久しぶり!」

「お疲れ様です」


 聖美と知見は明るく挨拶をした。


「今日は唯のヤツは学校に行ってるから、何かあったら私の所に来なさい。厨房にいるから」


 それだけ言うと奥へと引っ込んでいった。


「あの人、誰?」


 恵は二人にたずねる。


「誰って、この店の店長よ。いくつになるのかな? 相変わらず若く見えるよね」

「四十は過ぎてるんじゃないのかな」


 聖美と知見はそう言うと指折り数えて見せた。


 ……店長は唯さんじゃなかったんだ。

 恵は首をひねるが、その問いを二人には聞けなかった。


 

                      *


 

 恵がカウンターから離れるのを確かめてから、聖美は知見に声をかけた。


「恵が元気ないんだけど何かあったの?」

「お兄さんが帰ってきてるみたいだけど、詳しいことは聞いてない。恵さんってブラコンかな」

「ブラコン?」

「ブラザーコンプレックスのこと」


 二人は恵に聞こえないように彼女のことを話していた。

 ひょっとしたら恵も辞めるなんて言いだすんじゃないかと思ったからだった。


「なに浮かない顔をしてるの、二人共」

「弥生先輩! それに神名さん」


 ドアを開けて入ってきた彼女達に、聖美と知見は驚き、同時に喜びを感じずにはいられなかった。

 二人の後ろに陽一もいたが、彼女達の目には入っていなかった。


「知見さん、ヴァイオリン弾いてる?」


 神名は優しい口調で言うと笑ってみせる。

 

「ええ、ここでたまに弾かせてもらってます」

「聖美は部活とバイト、頑張ってる?」


 弥生は聖美の鼻を軽くつついた。


「もちろんです」


 聖美は弥生に笑顔で答えた。

 二人に先輩たちの相手を任せ、カウンターに戻った恵は洗い物をはじめた。


「今日はどうしたんですか? 塾の帰りですか?」

「図書館の帰り。今日はちょっと用があってね、唯さんいないでしょ? 後で久しぶりに働いてみよっかな」


 弥生は二人にウインクをし、神名と陽一と共に二階へ上がっていった。

 二人はその場で踊りそうな気持ちになるも、恵は黙々と皿を洗っていく。


「恵、嬉しくないの?」


 傍によった聖美が訊ねる。

 恵は首を小さく左右に振った。


「だったらもう少し喜んでもいいんじゃない? 神名さんだって来てくれたのよ」


 恵は軽く頷いてみせるが、つまらなそうな顔をするばかり。

 呆れた聖美は知見を見ながら肩をすくめて見せた。



                      *



 洗い物を終えると、恵はポットに湯を注ぎ、紅茶を作りはじめた。

 初めて入ってきた時、まさか店で働くとは彼女自身、予想もしなかった。

 今では紅茶を作るのもうまくなり、楽しみとなっていた……はずだった。

 はずだが、今はそうでもない。


 ……何してるんだろう。


 その問いが心に芽生えた時から、何もわからなくなっていった。


 ……どうしてここにいるんだろう。


「恵、弥生先輩達のテーブルに持っていって!」


 聖美が恵の前に、オーダーを置いた。

 わたしがですかと問いかけようとする前に、別のオーダーを持って聖美はカウンターを出ていってしまった。

 目の前に置かれた銀のトレーには、ティーグラスとケーキが並んでいる。

 どうしてわたしが運ばないといけないのかな。

 小さく息を吐く恵は、仕方なさそうに二階に持って上がった。


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