Plume smile. 4

 一階に降りてきた三人は、複雑な顔をしている鈴達に迎えられた。

 店に客はいなくなっていた。


「亜矢、鈴。大きくなったわね」

「三年も経つんだ。縮むわけないだろ」


 亜矢はムッとした顔で言い返した。

 そんな彼女を見て鈴は軽く頭を叩いてやった。


「三年前注文したラムのレモンカップとクレームブリュレはいかがでしたか?」

「美味しかったわよ。流石はPEACH BROWNIEね」


 鈴の問いに蘭は微笑みながら答えた。

 それを見た鈴も微笑んだ。


「いくらになるかしら、可愛い小人さん」


 レジ前で聖美に向かって蘭は尋ねた。顔を真っ赤にして聖美はレジを打つ。


「えっと、八百円です」

「おかしいわね。恵さんが運んできたのは三人分よ。二千四百円でいいわね」


 聖美が困って唯の方を見ると軽く頷いているのに気付いた。

 お金を払い終えるとドアへ向かって歩いていく。

 そんな様子に慌てた亜矢は、カウンターを出ようとしたが足が前に出なかった。


「いいの? お母さん行っちゃうわよ」


 亜矢の後ろに立つ美香が声を掛けた。

 鈴は先にカウンターを出た。


「待って、母さん」


 その一言に、みんなが鈴を見た。

 蘭は立ち止まって振り返る。

 鈴が美香を一瞥すると、美香が亜矢の背中に触れた。


「お母さんのこと許したんじゃないの?」

「違う」

「本当は一緒に住みたいんでしょ」

「……ちがう」

「お母さんって言いたいんでしょ」

「……ちが……ぅ」

「もっと素直にならなきゃ。遠慮することないわ」

「……」

「誰も笑ったりしないわよ」


 亜矢はカウンターに両手をついてうつむいていた。

 だが、美香の言葉に促されるようにゆっくり顔を上げた。


「……母さん、待ってよ!」


 亜矢はカウンターを飛び出し、蘭に抱きついた。


「……いっちゃやだ」

「亜矢、ごめん……悪い母さんね……」

「もう……どこにも行っちゃ、やだよ!」

「ええ……」


 蘭はそっと亜矢を抱きしめて上げた。

 みんな素直に喜び、二人を見ている。何だかんだ言って亜矢は母親の蘭に甘えたかったのかもしれない。そして蘭も母親として抱きしめてあげたかったのかも。自分の気持ちを他人に知られないようにいつも強がっていたんだ、美香はそう感じることが出来た。そして三年間、辛い思いをしてたことを友達の自分にさえ話してくれなかった事に、少し哀しかった。


「美香、あの子頑固だから……。貴女に言いたくても言えなかったのよ」


 みんなが喜ぶ中、哀しい顔をしている美香に鈴は優しく話しかけた。小さく頷きながら鈴の顔を見たとき、優しい目をしていることに気付いた。こんなに優しい目をしていたなんて知らなかった。


「鈴、迷惑かけたわね」


 母は亜矢の頭を優しく名撫でながら、鈴に話しかけた。


「大変だったんだから。亜矢はグレるし、父さんは大けがするし、十六で母親代行は疲れたわ」


 鈴は嫌みっぽく言い、煙草をくわえた。

 その仕草を見て、やっぱり親子なんだなって蘭は思った。

「唯、今日は帰るわ。本当は今日、アポを取り付けだけに来たのよ。取材はまた今度にするわね。それと二人共、仕事早く片付けて帰ってくるから家に帰ってから話の続きをしましょ。互いに積もる話もあることだし」

「母さん……」


 蘭は亜矢の頭を撫でながら唯と鈴、亜矢に言いながら恵に目を向けた。

 目が合うと慌てて俯いてしまった。


「……ありがとう、恵さん」


 そう言って手を振り出て行ってしまった。 

 亜矢はしばらく泣いていたが、美香の所に行き、抱きついた。


「泊まりに来いよ。美香……」

「うん。けど今日はやめておく。……お母さんに甘えなさい。けど、明日泊まりに行っていい?」

「……悪いな、いつも我が儘な私で」


 二人はこの時初めて素直になることが出来た。



                  *



 雨も上がり、空が赤く染まっていく頃、閉店時間を迎えた。

 唯は奥の部屋に鈴と亜矢を呼び、給金を渡した。

 いつもより多めに入っているのが手触りでわかった。

 亜矢は一人で喜んでいる。

 そんな彼女をよそに、鈴は唯に礼を述べた。


「唯さん、気を使ってもらってすみません」

「いいのよ。それにしても女って男よりも大変よね」

「何がです?」

「生きる事よ。貴女のお母さんは自分で決めたのよ、辛い世界を。大人になるほど淋しくなって強がってるだけかもしれないけどね」


 唯は苦笑した。

 鈴には、唯が何を言おうとしてるのかがわかった。

 だから笑みを返した。


「その顔、貴女が大人になったときも同じ笑顔が出来てたら正解よ。頑張りなさい、応援してるから」

「今まで有り難う御座いました」


 思わず鈴の目が潤む。

 そんな彼女の頭をコツンと叩くと、唯は抱き締めてあげた。


「用があってもなくても、たまには顔出しに来なさい」

「はい」


 小さく頷く鈴の顔はいい顔をしていた。

 唯は亜矢と鈴を先に帰らせた。

 それが唯に出来る精一杯のことだった。



                   *



 後片付けの手を止めて、知見は首を傾げていた。

 仕事をサボってると思った聖美はそっと彼女に近寄る。


「何してるの知見。首でも痛いのかな?」


 聖美はモップの柄で知見の頭をコツンと叩いた。


「イタッ……そうじゃなくて、鈴さん達のお母さんの名前は確か『楊 蘭』って言ってたでしょ? 本当なら『久崎 蘭』じゃない? 名字が違うでしょ、ペンネームかな?」

「違うと思うわよ」


 二人の頭を軽く叩きながら唯は話しに入ってきた。


「結婚前の名前よ。たぶん、女身一つで自分だけの力で頑張ろうとしてるから昔の名を使っているのよ。昔から我が儘で身勝手で、自己満足って言うかそんなところがあったからね」

「まるで亜矢ね。やっぱり親子か」


 先に帰ったことをいいことに、話を聞いていた美香は自分の思いを存分にぼやき出す。


「全く馬鹿で頑固で、人の気持ちなんか考えないもの。煙草だって吸うし、中学の時は茶髪に染めるし。……あれは脱色か」

「へえ、そうなんだ」


 美香の話に唯は苦笑しながら、美香の周りにある食器を片付けていく。

 機嫌が悪い時は物に当たる癖があることを知っていたからだ。

 下手に暴れられたらとんでもないことになる。


「あのー、蘭さんとは友達なんですか」


 知見のなにげない問いかけに、


「ん? ちょっとね。……舞の、姉さんの友達だったのよ」


 唯は刹那そうに話した。


「本当に馬鹿でどうしようもないんだ。けど」

「……けど?」


 聖美は美香の手にする皿を取り上げながら顔を見つめた。


「あの子も鈴さんも今日は本当にいい顔をしてた。最高の笑顔をしてた。あんな顔するの私、初めて見たわ」

「……よかったですね」


 美香と聖美がそんなことを話している時、恵はテーブルを拭きながら〝親って勝手な生き物だ〟と心の中で叫んでいた。


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