Lebe kuchen. 2

「いいの? カウンター。誰もいなくなっちゃって」


 春香が心配そうに訊ねる。


「神名さんが奧の部屋にいるから大丈夫です。……あの、明君。美浜君は一緒じゃないんですか?」

「ん? ……確か、弘明って子と野球見に行くって言ってたけど。ひょっとして恵さん、あいつのこと好きなの?」


 一同、驚いて彼女を見た。


「そうじゃなくて、いつも三人は一緒にいるものかと思ったから」


 恵はさらり、とそう言った。

 少しは照れる恵の顔を見てみたかったのに、つまらない。

 みんなを席へ案内している頃、同じ二階では聖美と知見は亜矢のテーブルに同席して話をしていた。

 良晃は聖美達が思っていたほどの人ではなく、ごく普通な高校生で人の良さそうな顔をしている。亜矢は恥ずかしそうな顔を彼とは顔を合わそうとはしないがどこか嬉しそうだ。


「へー、亜矢さんにこんな素敵な彼氏がいるなんて。良晃さんって、亜矢さんみたいにヤンキーかと思ってたけど、そうじゃないんだ」

「キーヨ、失礼よ。すみません、変なこと言って……」

「ったく、ホントだぞ! 良晃にそんなこと言って。怒ったらどうすんだ。こいつが怒ると……そういえば怒った所見たこと無いな……と、とにかく失礼だぞ!」


 知見は慌てて謝るが、亜矢はご機嫌斜めな様子。

 アイスティーをがぶ飲みしてみせるが、当の本人の良晃は以外と落ち着いていた。


「亜矢さん、そんなに怒らなくても。僕は気にしてないから。……それにしても亜矢さんの言うとおりの子達ですね。猫目の聖美ちゃんに、キノコ頭の知見ちゃん」

「ば、ばか! その話は……」


 慌てて良晃の口を両手で押さえようとしたが、時すでに遅く二人の嫌悪な目つきがそこにあった。知見の眼鏡が不気味に光る。


「亜矢さん、私達のことを!」

「そんな風に思ってたんですか!」

「二人とも、落ち着けよ、……なっ! あーん、良晃助けろよ」


 数分後、良晃の説得のお陰で喧嘩にはならなかったが一時は大変な騒ぎとなったのは言うまでもない。


 

 カウンターに戻ってきた恵は、聖美と知見が戻ってくるまで小忙しく働いた。

 そしてようやく戻ってくると、後はまかせて奧の部屋に入っていった。

 奥の部屋では神名が、机にノートや紙切れを散らかして何やら忙しそうに仕事をしていた。


「……あの、神名さん、何してるんですか?」


 近寄ってよく見ると、メモの束と、当店のケーキ全種類リストとあと、いろんな紙切れが目に入ってきた。手には電卓を持っている。


「売り上げですか?」

「ん? これはクリスマスケーキの注文の予約リストで、ちょっと整理をしてるの。予約は半年前からしてるの。そうじゃなきゃ、年末、私達が大変だから」


 ……クリスマスケーキか。

 まだ八月なのにもう冬のことをしなくちゃいけないんだ。

 恵は感心して神名を見ていた。

 リンツァートルテ、エルドベアトルテ、グリュイエールチーズケーキ……聞いたことのないケーキばかりの名が書きつられていく。 

 恵には想像もつかなかった。


「私に何か用何じゃないの? 恵さん」

「あ、……あの、大したことじゃないんです! アイスティーの作り方を……教えてくれませんか」


 恵は恥ずかしそうにそう言った。

 そんな彼女を見て神名はすんなりOKした。


「いいわよ。けどホットの時と変わんないわよ。ただ茶葉を入れてお湯を入れる時、出来上がりの二分の一だけ入れるの」

「濃くなりますよ……」

「後で氷が溶けるでしょ。そのことを頭に入れておかなきゃね。そしてアイスティー用のガラスのポットの中にティーストレーナーを使って移し替えるの。この時ポットは温めておかないでよ。後は氷を入れたグラスの中に一気に入れる、これでいいのよ」

「……あの、砂糖は」

「ストレートティーの時はガラスのポットに先に入れておけばいいの。まあ、透明感の紅茶を作るときが一番大変で、等級はBOPやFタイプがアイスティーに向いてるよ」


 神名は優しく教えてくれた。

 正直、恵は嬉しかった。

 その通りにカウンターに戻ってアイスティーを作ってみようとした時、店にお客が入ってきた。その人を見て一瞬声が出なくなった。


「……く、葛谷先輩。……いらしゃいませ」

「竹林 恵さん、ちゃんと仕事してる? それにしてもそのコスチューム、似合ってるわ」

「……有り難う御座います」


 彼女は同じ天ノ宮高校の美術部部長兼生徒会長。

 正直、恵は嬉しかった。

 プライベートで会ったことはおろか、ろくに話しすらしたことがなかったからだ。憧れの先輩、長いサラッとした髪、スラッとした姿。頭もいいし何より優しいのだ。


「所で恵さん。神名、いる?」

「は、はい。神名さんなら奥の部屋に……」


 奥の部屋を覗いて神名を呼ぼうとした時、彼女の方から出てきた。


「いらっしゃい弥生。こんな所で油売ってていいの? 勉強はどうしたのよ受験まであと半年もないのよ」

「それはこっちの台詞よ。神名こそ何してるのよ」


 二人は知り合いみたいだ。けど何だか様子が変。恵は心配でただ見ていることしか出来ない。


「半年もないのよ、もう……」

「……そうね」

「そうねって、あんた! 何考えてるのよ」


 いつも冷静な部長が動揺してる。そう言えば二人共三年生、今年受験なんだ。

 恵はドキドキしながらあれこれと考えていた。そんなことをしているうちに奧から唯が顔を出した。


「うちの家の方で込み合った話してくれない? ここは店の中だし、お客に迷惑かけないで。二階に陽一いるよ」

「わかりました。それじゃー」


 弥生は恵の前まで来ると、自分の後ろに隠れている男の子を前に連れ出した。


「恵さん、弟の悟。ちょと見ててね」

「はい……」


 二人はそして奧の部屋へと消えていった。


「あの、唯さんは葛谷部長のことを知ってるんですか」

「まあね。昔ここで働いてもらってたし、うちに遊びに来てくれたり……。神名とは昔からの親友みたいよ」

「そうなんですか。一体何のようで来たんでしょう」

「あの子達、今年受験だから。うちの陽一も なんだけど。……あの子、大学に行くのかな」


 カウンターで恵は仕切りに唯から話を聞く。

 今日の彼女はお喋りだと唯は思った。

 少しは心を開いてくれるようになったのだろうか。

 内心少し嬉しかった。

 悟は恵のエプロンの端を仕切りに引っ張っている。

 それに気付くとニコッと笑って見せた。


「恵さん、ここは私がやるから悟君を連れて奧の部屋に行ってて。何か飲み物作るから」


 唯は恵の肩をポンッと叩いて頼むと、悟の顔を覗き込む。


「悟君。恵が気に入ったの?」

「うん!」

「よかったわね」


 小さな彼の頭を軽く撫でてやった。

 嬉しそうな顔をするのを見てから恵は奧の部屋に連れていった。

 奧の部屋のテーブルはさっきまで神名が使っていたまま散らかっていた。

 ノートや紙切れやらメモが散乱している。


「ちょっと待ってね」


 そう言うと恵は整理をはじめた。

 とにかく滅茶苦茶にならないように、またあとで仕事が出来るように整えて、机の端に置いた。


「座って」

「うん。お姉ちゃんはなんて名前なの?」

「私は竹林 恵。部長に弟さんが見えたなんて知らなかった」


 悟は屈託のない笑顔を恵に向ける。

 子供って可愛い!


「ほーい、アイスパイナップルティーとチョコレートケーキだぞ。恵もどうぞ」

「私も仕事に……」

「いいって、休憩しなさい。疲れたら休む、これは鉄則よ!」


 唯はウインクしながら恵に言い、カウンターへと戻っていった。


「いっただきまーす!」

「……いただきます」


 元気な悟につられて恵もケーキを戴く。

 そして唯が持ってきてくれたアイスパイナップルティーを飲みながら、妙に浮かれている自分に気付いた。


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