Wahr schatz. 4

「それは困るんだけど」


 入口から入ってきた唯は話に首を突っ込んできた。

 どこに行ってたのか、手にはトートバッグを肩に掛けて持っていた。


「唯さん、お帰りなさい。学校は終わったんですか?」


 神名はそう言って、軽く頭を下げる。


「まあね。それより、五人もいて喧嘩を止めれないの? 第一、今日はあの子達当番じゃないのに何で来てるの」


 カウンターに入ってくるなり、一人一人、額を指でつついた。

 カウンターの中に六人も入るのはとても狭く辛い。


「奥にいるのね二人は。どれどれ、……硬直状態か」


 そっと覗いてから呟いた。中の二人はピクリとも動かない。

 しばらく見ていて唯はある事に気付き、そっと近づいて二人の顔を覗き込むといいことを思いついた。


「やっぱり二人とも、寝てるわね」

「唯さん、止めた方が……」


 神名が止めるのも気にせず、また二人の顔を覗き込む。

 す ―――――っと息を吸い込むと唯は、二人の鼻をつまんで耳元で叫んだ。


「起きなさい!」


 流石に、二人は跳ね起きた。

 かなり荒っぽい起こし方。

 みんなはそれを見て、改めて彼女を怒らせないようにしようと思った。


「し、死ぬかと思った」

「耳が……ジンジンしている」

「あら、おはよう。お目覚めの気分は如何?」

「最低ーっ……じゃないですぅ」


 耳を押さえながら、二人は相手が唯とわかると急にかしこまってしまった。

 二人は知っている。

 この人を怒らせたら最後だという事を。

 お金は、ぜっっっっぇたい、貰えない!


「いい子達ねー。さて、非番の日に店で喧嘩してた理由を聞かせて欲しいんですけど」


 笑いながら、唯はみんなの前で二人を問いただす。笑っている時の彼女が一番恐い。


「あの、その……、ゲーセンで、初心者の亜矢に格ゲーで負けたから……」


 美香は恐る恐る答えた。

 彼女のその一言に、唯の眉がピクッと動く。


「ば、バカ美香! 唯さん、美香の言うことは気にしないで下さい。冗談ですから、あはははは……」

「なるほど、道理でこの前から良晃と格ゲーばかりしてたわけか。シューティングしかやらない亜矢が急に熱心にやってるから不思議だったけど、そういうことだったのね」


 鈴はそう言って、一人で納得した。


「……良晃ってだれですか?」

「誰って、亜矢の彼氏」

「え、えぇえーっっっ!」


 聖美、知見、恵は驚いて大きな声を出してしまった。


「こら! お前ら、その驚きはどういう意味なんだ!」

「亜矢さん、あの子達が驚こうが笑おうが、関係ないでしょ」

「……はい」


 唯を前に、もう笑う元気もなかった。




                     *




 蝉の鳴き声が虫の音に変わりつつある夕刻。

 閉店時間となり、みんなで後片づけをしている。そんな中、亜矢と美香はこってりと唯に搾られていた。


「まるで母親が子供を叱っているみたいですわね」

「なに言ってるのよ、知見。けど唯さんってどうして亜矢さん達に厳しいのかな。恵はどう思う?」


 二階を掃除している聖美達は、階段の手すりを拭く恵の意見を聞いてみようと声をかけてみたが、相変わらず口を閉ざしたままだ。


「あの子、まだ閉ざしているのかな?」

「自閉症ってその人を取り巻く環境、家族とかが原因らしいのよ。特に早期幼児期における体験がね」

「何一人で冷静になっているのよ。どうせ私は知美みたく頭は良くないですよーだ」


 拗ねる聖美。

 知見はそんな彼女に返す言葉を持ってはいなかった。

 掃除も終わり、みんな帰っていく。

 兄に会いたいが為、早く帰ろうと恵は慌てて帰ろうとノブに手をかけた時だった。


「あっ、……忘れ物」


 兄の為に買ったケーキをカウンターに置き忘れたことを思いだし、慌てて奧の部屋に戻った。

 部屋に入ると店の方から声が聞こえる。

 亜矢さんと美香さんの声だ。

 二人に気付かれないように、そっと店内を覗いてみた。

 テーブルの上に座り、二人は背を互いにくっつけて、何か話をしているみたいだ。

 手元には、アイスティーが置かれてある。


「悔しいなあー、亜矢に負けるなんて」

「まだ言ってんのか。あれはまぐれだって。そんなことよりまた減俸だぜ! 勘弁してくれよ」

「そうよね、いくら悪いことしたっていっても今日は非番の日なのに減俸食らうなんてゲーセン行く金がまた無くなるし、弟にはバカにされるー」

「知るか、そんな事。それにしてもさすが良晃、美香を負かすぐらいのテクをあたいに教えてくれるとはいいヤツだ。宿題だってノート見せてくれるし、いろいろ使えるな」

「良晃君ってゲームうまいの?」

「ん? ま、あたいよりかはうまいと思うぜ」

「まったくあんな大人しい子を脅して、そんな趣味があったの亜矢? 何か弱み握ってるんじゃないの?」

「人聞きの悪いこと言うな! 中坊の時、付き合ってくれって言ってきたのはあいつの方何だからな!」


 そう言いながら亜矢は赤面していた。美香は鼻で笑いながら更に突っ込んでみた。


「ホント? 実のところ亜矢の方が先だったんじゃないの? カツアゲされてる所を助けに入ったんでしょ?」

「あ、あの時はムシャクシャして暴れたかったんだ。そこにボコボコにされてるあいつがいて、可哀想かなって……」

「ふーん、それだけの関係?」

「そ、そうだ」

「それだけで、三年も付き合う? 普通は……」

「わ、わかったよー、おめーの言うとおりだよ! だからそんな小っぱずかしい話はやめてくれ! 顔から火が出る」 


 美香のその言葉に亜矢は顔を真っ赤にして降参した。動揺している亜矢はまるで子供だった。そんな彼女を見てると少しだけ羨ましくなってきた。


「良晃君とは……旨くいってるんだ」

「……ま、まあな」

「ねえ、どうして良晃君の店でバイトとしようと思わないの? 好きな人とはいつも一緒にいたいと思うのが普通じゃない?」


 美香の問いかけに少し考えてから亜矢は答えた。


「……そりゃ、良晃のことを好きだとは思うし、美香のいうとおり一緒にいたいと思うこともある。……まぁ、どのくらい好きなのかって言われたら、あたい自身よく分かんないから答えられないけど、一応好きだ。それに良晃のパスタ料理店、『ファルファッレ』の方が時給はいい! 何たって時給九百円で、もしあたいがそこで働くと良晃のおじさんからいろいろおごってもらえるからな。……それはそれでいいんだけど、スパゲティーは嫌いだし……」

「嫌いだけど……なによ」

「き、嫌いなの! ただそれだけ」

「嘘ね。亜矢と何年付き合ってると思ってるのよ。嘘の付き方は昔から下手なんだから。言いなさいよ、怒ったり笑ったりしないから」

「……わ、わかったよ。お前にはかなわねぇよ。本当は……美香が……あれ以来お前、情緒不安定っていうか、その、変だったじゃないか。傷心の美香をほっといて……その、良晃と一緒にいれるかよ! あたいはそんな自分勝手なヤツじゃない」


 亜矢は恥ずかしそうに答えた。

 そんな感情を美香に知られないよう、アイスティーを一気に飲み干した。


「痛ぁー……一気飲みなんかするんじゃないな。頭ガンガンするよ。まるで親父の二日酔いだぜ。あはははは」

「バカ? 全く! 本当にバカなんだから。……本当に」


 机に何かこぼれ落ちる。


「そんなにバカバカいうなよ。……美香よりはバカなのは認めるけど。そんなこと言われるとあたいだって傷つく……ん? 泣いてるのか、美香」

「泣いてなんかないよ」


 亜矢が振り返ると美香の目から涙がこぼれ落ちているのが見えた。


「……泣いてるじゃないか」

「泣いてなんか……ないよ……」


 美香は亜矢の背中にしがみつき、泣くのを必死になってこらえた。頬を伝って熱い涙が瞳からこぼれていく。亜矢は目を閉じ、美香だけに聞こえる声で言った。


「……あたいは、私はずっと美香の友達だよ」

「……うん」


 涙を流しながら美香は亜矢にもたれ、亜矢は美香の手にそっと自分の手をのせた。そしてカウンターの向こうに見える夕日を静かに見つめた。

 夕日はビルとビルの隙間の向こうから静かにこっちを見ている。

 亜矢には焼けるような綺麗な夕日が自分達に笑いかけているような感じがした。

 思わず口元で笑う。

 美香は亜矢の暖かい背中で幸せを感じた。

 恵には彼女達に去来するものは何かわからなかったが、気付かれないようその場を離れた。

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