Un verre de la larme. 4
聖美がカウンターに戻って来た時だった。
「頑張ってるじゃないの」
背後からかけられた声に聖美は振り向いた。
「あ、先輩! いらしてたんですかっ」
声を弾ませて聖美がお辞儀する相手に、鈴は懐かしい顔を見たなと思った。
「姉貴、どうかしたのか。あ、弥生先輩だ」
「弥生先輩? ウソー、あ! ホントだー。気がつかなかった」
鈴の肩にのしかかるように手をかけ、亜矢と美香は顔を出した。
いきなりのことに鈴は、思わず手持ちのオーダーをひっくり返しそうになる。
「バイトもいいけどあまり無理しちゃ駄目よ。今度、大会に出るそうじゃない。頑張って」
「はい!」
聖美は嬉しそうな顔をして、軽く言葉を交わした。
憧れの先輩が応援してくれている、それだけで嬉しくなる聖美だった。
戻ってきた恵もその様子を目にしたが、すぐにまたオーダーを運びに出ていった。
*
柱時計が六回、店内に鳴り響く。
いつものように閉店時間となった。
彼女達は慌ただしく明日の準備と片付けをしていると、祐介が入ってきた。恵が来てからというもの、彼はちょくちょく閉店してからやってくるようになっていた。
「いらっしゃい、祐介君。どうぞ」
「すいません……」
祐介は軽く頭を下げてから奧へと歩いていった。神名はポットにお湯を入れ、沸かし始めた。
「まめね。恵、祐介君が来たわよ」
聖美は二階を掃除している恵を呼んだ。しばらくしてゆっくりと階段を降りてき、彼を見て頭を下げた。
「さーて、お邪魔さんは引っ込みますかね」
亜矢は鈴、美香と一緒に奧へと消えていく。
聖美と知見もその後をついて入っていった。
神名は祐介のいるテーブルにティーポットとティーカップを二つ運び、自分も奥に下がった。
「どうぞ、座って」
彼の言うままに恵は座った。
ポットを手に取りカップに注ぐ。良い香りが湯気から立ち上ってきた。
「元気ないみたいだけど……。もう仕事は慣れた?」
「……はい」
「本当?」
俯いたままの彼女を見つめる。
『後は笑顔よ』と言う清美の声が頭の中をよぎった。
彼女は軽く頷き、笑顔を作って祐介に見せた。
それを見た時、祐介は飲もうとしていた手を止めた。
「無理して笑わなくていいと思うよ。無理して作ってる笑顔は周りにもわかるし、自分に嘘ついて生きていくのは辛いから。楽しいときと、本当に必要なときに少しだけで充分」
「そう……かもしれない……ですね」
少し驚いた表情を見せ、そう答えた。
まるで心を読まれている、そんな思いにとらわれる感じがした。
「……どうして毎日来るんですか?」
「心配だからかな? 一応、助けた手前もあるし……」
「同情、ですか」
目の前のティーカップを見つめて恵は呟いた。
そんな二人の様子をみんなはカウンターの影から黙って覗いていた。
「どう二人の様子は?」
「黙ちゃった。今日はこれで終わりだな。祐介も祐介だ。もっと喋ればいいのにさ」
美香の質問に亜矢はそう言うが、聖美は別のことを考えていた。
「妙に気を使うのはかえって良くないのよ。ほっとけばいいのよ、下手な優しさはかえって気持ちが悪いものよ」
〝私はそうだった〟と言わんばかりのその口調は、そこにいるみんなを黙らせてしまった。
「先に帰ります。お疲れ様でした」
「えっ! お、お疲れ様でした。聖美、待って!」
そう言って聖美はさっさと帰ってしまい、知見も慌てて後を追いかけて出ていった。
「あいつら帰っちゃったのか。全く!」
「亜矢、静かにしてよ。聞こえないじゃないの」
「この子達ったら……まったく。それにしても神名、唯さんは?」
「学校に行ったわ。祐介君が来るのと入れ替わるようにしてね」
鈴と神名は奧で帰り支度を済ませ、二人の話が終わるのを黙って待っていた。
紅茶も飲み終わり、祐介は帰ろうとしていた。流しにポットを運び、恵は小さな声ではっきりと言った。
「もう、来ないで下さい。私の事は……ほっといて……下さい」
「竹林さん。……君がそう言うなら、そうするよ」
祐介はそう言って店を出ていった。
恵はドアの鍵をかけ、カーテンを閉めた。
店を閉め、ブラウニーの制服から学生服に着替えて亜矢達と共に店を出た恵は駅に向かって歩き出す。
「亜矢、私は先に行くから」
「乗せてくれてもいいじゃないか! 姉貴のどケチ!」
鈴は亜矢にそう言ってバイクのエンジンをかけ、愛車のFZRに乗ってサッサといってしまった。それに続いて美香は自転車を走らせる。
「美香、途中まで!」
「イヤ! 亜矢なんか知らない。べぇー!」
美香はペダルをこいでいってしまった。神名はそれを見て笑ってしまう。そんな彼女を冷たく睨むようにして見つめる亜矢。
「……ご、ごめんなさい。笑うつもりは……なかったんだけど」
「減俸食らうし、姉貴と美香のバカは行っちゃうし、神名姉は笑うし、今日は最低な日だー!」
「誰がバカよ! 人がせっかく乗せてやろうと戻ってきてあげたのに、もう知らない!」
Uターンして戻ってきた美香は後ろからカバンで亜矢の後頭部を叩くと、そのまま自転車で走り去って行こうとする。
追いかける亜矢、二人は夕闇の中に消えて行った。
「さて、恵さん。私達も……あれ?」
神名は辺りを見渡したが、恵の姿は何処にもなかった。
*
夕方の電車の車内。
学生やサラリーマンなどが帰宅するため混雑している。
そんないつもの風景の中に恵の姿があった。
窓の向こうに見える街。
対照的に車内はうるさかった。
揺られながら窓に映る自分の顔を見つめる。
淋しく、哀しく、冷たく、暗い。
笑みを作ってみるが空しいだけだった。
何が楽しくてみんな笑っているのだろう……。
恵は小さくため息をもらした。
浜路駅に着き、電車を降りると辺りは薄暗く、夕日も見えなくなっていた。
一人歩いて帰る家。恵はその場所が一番嫌いだった。
マンションの五○七号室、それが帰るべき場所である。鍵を開けて中に入った。
「ただいま……」
呟くように言い、ドアを閉めた。中は薄暗く、静かだった。
自分の部屋に入ると机の上にカバンを置き、ベットの上に寝そべる。
真っ暗な部屋。
時計の秒針が刻む音だけが聞こえている。
枕を抱きしめ、そこに顔を埋めた。
「どうしてあんな事言ったんだろう。……自分に嘘付いて」
目を閉じるとあの時、彼がどんな顔をして話をしていたのか分からなかった。
みんなの顔も思い出せなかった。
そんな時、何故か聖美の顔だけが浮かんできた。
*
聖美の自宅───
「スマイル、スマイル」
洗面所で笑顔を作る彼女は自分にそう言い聞かせていた。
しかしそれとは逆に、鏡に写る顔は次第に悲しみに満ちていく。
「泣いちゃ駄目、泣いちゃ……泣いたって何も変わらないんだから。分かってるでしょ、聖美」
我慢できず、自然と涙が出てきた。
嗚咽が止まらない。
両親に聞こえないようにしようと蛇口を捻り、思い切り水を出した。
水の音でかき消す鳴き声は、流れる水と共に消えてはくれなかった。
「どうかしたのか?」
「べ、別に。顔、洗ってるだけ」
車椅子の車輪音と共に聞こえた父の声に慌てて顔を洗った。
今の彼女にはそうするしか何も出来なかった。
「……いっぱい泣いても、悲しみは……つのるのよね」
鏡に向かって呟き、何度も何度も顔を洗った。
笑顔の仮面。
辛くても、叫びたくても、泣きたくても笑うことしかできない仮面。
道化を演じる仮面と心はアンバランス。
けど、もうそんな顔はいらない、欲しくない。
聖美は二度と、笑顔で隠した悲しむ顔を見たくはなかった。
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