Un verre de la larme. 3

「いらっしゃいませ!」


 明るい声がレジの方からした。

 思わず恵は振り向くと聖美の姿があった。

 店に入ってきた親子連れの客に笑顔で迎える聖美。

 ガラスケースの向こうにはいろんなケーキが並んでいる。

 それらを食い入るように見つめるその女の子は、必死に父親にねだっていた。


「このおっきなのがいい!」

「どれどれ。一人でこんな大きなケーキ、食べれるかな」

「食べれる~」


 女の子はちょっとムキになって言い、ガラスケースにへばりついた。

 その様子に仕方なさそうに父親は財布を取り出した。


「すみません、これ四つ下さい」

「はい、リンツァートルテですね。少々お待ち下さい」


 箱の中に一つ一つ入れ、綺麗に包装する。


「千六百円になります」

「わたしがもつー、ねえったらー」


 支払いを済ませ、箱を受け取った父親の足元でダダをこねている女の子は店を出るまで繰り返し繰り返し頼んでいた。


「ありがとうございました」


 笑みを作って軽く頭を下げる。

 しかし聖美は、そんな父と娘を見送りながら溜め息をもらした。

 恵はその様子を黙って見ていた。


「ん? どうしたの、恵」


 視線に気付いたのか、聖美は振り返って恵に声をかけた。

 しかし彼女は俯き、洗い物をしようと背を向けてしまった。


 ……どうして自分はここにいるんだろう。


 恵は亜矢の隣で、蛇口から流れ落ちる水を見つめながら、心の中で呟く。


「チクリン、後はあたいにまかせて知見を手伝ってやってくれないか?」


 ニヤッと笑って亜矢が指さす方を見ると、知見が一人で頑張っているのが目に入った。

 オーダーを運び、皿を下げてはまたオーダーを運ぶ。

 その単調な繰り返し作業をせっせとこなしている。


「恵、手が空いてるならこれを三番テーブルに持っていって! 私はこっちを持って行くから。一応マニュアルは読んでるわよね?」


 聖美がトレーにのったオーダーを恵に手渡した。


「あ、あの……」


 恵は何か言おうとした時にはもう、彼女は行ってしまった後だった。

 どうしていいのか分からない恵はオロオロするばかり。

 そんな彼女を見るに見かねて知見は、指をさして三番テーブルを教えた。


「後は笑顔よ!」


 もう戻ってきた聖美は彼女の耳元で囁いた。

 小さく頷き、そしてため息をもらした。

 

 ……行くしかない。


 オーダを落とさないようにゆっくりゆっくりと歩く。

 彼女の周りには、楽しそうに笑う客の姿があった。


「お待ちどう様でした……」 


 三番テーブルに着くと、蚊の泣くような小さな声でそう言い、テーブルにティーカップ、ポットなどを並べた。その時、彼女達の制服を目にすると軽く頭を下げ、逃げるようにカウンターに戻った。


 ……同じ学校の制服だ。


「何あれ? 変な子」

「ホント! 食べる気なくすわよね」


 バカにするような感じで、笑いながら言う声が背中から聞こえた。

 その言葉は彼女の背中を、心を刺した。


「次、八番にこれね」

「……はい」

「スマイルよ、スマイル!」


 笑顔を見せる聖美に、無理して笑顔を作って見せ、そしてまた運びに出かけて行った。


「キーヨ、いいのかな。恵さんにいきなりオーダー運びさせて。まだ、どうするのか神名さんから聞いてないのに」

「……そうね」


 聖美の側に寄ってきて耳元で知見は囁いた。

 聖美は軽く頷き奧の部屋に目を向ける。

 誰かが出てくる様子はなかった。

 とにかく、二人は再び運びにカウンターを出ていった。そんな彼女達を鈴は黙って見守っていた。

 側にいた亜矢はそんな姉の顔を見た時、昔見た母親と同じ顔をしているのに気付いた。まだ優しかった頃の母の顔に……。


「ねえ、亜矢。あの子達を見てて昔のことを思い出しちゃった。人と接するのが極端に苦手だったものね、貴方は」


 美香は亜矢に話しかけながら、初めて亜矢と出会った頃を思い出していた。

 あれはまだ小学生の頃……。


「あ~あ、昔を振り返るほど年は取りたくないね。美香みたいに」

「誰がオバンよ! 中学の時、番張ってたあんたに言われたくないわよ」


 美香は、音が鳴るほどポットを台の上に強く置いて、掌に拳を叩きつけた。

 亜矢は洗いかけの皿から手を離すや由香をこするように滑らせながら美香と向き合い、膝を軽く曲げつつ八の字に立ちながら、両手を握りながら体の前で交差し、両腕を肩の位置で止めて身構える。

 両者にらみ合う様子を横目で見ながら、鈴は息を吐く。

 寄ると触るとすぐ喧嘩する。

 そのくせ、仲がいいんだから……。


「もしもし、お二人さん。仕事中なんですけど私語はやめて下さる? 今月も赤字で苦しいんで、給金を引いてあげますよ。そりゃスッパッとね!」


 奧の部屋から出てきた唯は二人の背後に立ってささやく。


「すみません! 減俸だけは勘弁してください」


 二人揃って手を合わせて頼み込むも、唯は目を細める。


「美香、そのポット高いんだから丁寧に扱って。亜矢は今月で割った皿、今日で五枚だから。ふたりとも、今月の給料から引くから」

「そんなことしたらゲーセン行くお金が」

「その皿はあたいが割ったんじゃなくて」

「これで今月は大丈夫ね!」


 泣きつく二人を無視して、唯は笑って奧に引っ込んでいった。

 亜矢と美香は肩を落とし、ため息を吐いた。

 

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