Un verre de la larme. 2

 そのころ、店の奧の一室で話をしている人達がいた。


「神名のお陰で今月もまた赤字よ、給金もバカにならないんだから。七人! うちの家計は火の車に放火をするくらいの大変なんだから。こんな綺麗で美人で若い私でも、一応二児の母親なんだから。知らなかったでしょ。こんな苦労ばっかり抱えていると小皺が出来ちゃう。三十過ぎればお肌の曲がり角ってか?」

「すみません、唯さん。でも、あの時はあの子をほっとけなかったから……」

「別に謝らなくてもいいのよ。バイト募集はしてないんだけど、人が増えていくのは心が病んでるせいなのかしら。それとも人がいいのかしらね」


 神名がいま話しているのはこの店の主人、美浜 唯。

 彼女は売り上げと家計簿とバイトの給金の計算に忙しかった。

 赤鉛筆を得意そうに振り回し、鼻で笑う。


「それでなんて言ったかな、その子。確か、竹林 恵っていったかな? 今いるの?」

「ええ。三日前から取り合えず来てもらってますけど」


 言葉を渋る神名。

 唯は気にせず、電卓を叩いている。


「ん? どうしたのよ。来てもらってるけど……何?」

「はい、あ、あの……学校でいじめられてるみたいなんです。本人の口から聞いた訳じゃありません。毎日私が迎えに行っているんですけど、友達とかいなさそうですし、クラスの雰囲気が冷たくて……。彼女、美術部に入ってますから弥生に聞いてみたんです。いつも一人でいて、話かけても口を閉ざしてるそうで……。心を閉ざしてしまってますけど、根はいい子だと思うんです……多分」


 神名が切なそうに話をした時、唯は赤鉛筆を力まかせに折り、缶ジュースを引っ掴むと、一気に飲み干した。


「くーっ! やっぱ、赤字だ。七人になるんなら当番制にしよっと! よし決めた!」

「あ、あの……唯さん」

「ん? ちゃんと聞いてるわよ。恵が美術部でいじめの弥生はいい人なんでしょ。ちゃんと聞いてるって!」


 笑う唯。

 相変わらず、全然聞いてないじゃん……。

 神名は呆れて何も言えなかったが、唯の顔を見て少し安心出来た。

 店内は相変わらず忙しそうだった。

 聖美と知見はオーダーを運び、食器を下げるの繰り返し。

 美香と亜矢が紅茶とケーキの準備をし、鈴はレジで働く。


「神名、何処にいるの。その……恵って子」

「洗い物をしてる子です」


 奧の部屋からカウンター内をこっそり見ている二人。

 神名は指さして教えた。


「あ、あの子が……。へえ、中学生みたいに可愛いじゃないの」


 笑みを見せたその顔は複雑だった。

 神名は横目で黙視し、目を伏せた。


「……祐介君が連れて来たんです」

「あの子が! ……そう」


 唯は洗い物をする彼女に、昔の面影をダブらせて見ていた。


 ……あの位の背だったかな……。

 神名の持ってきた彼女の履歴書に、唯は目を通す。

 身長は百四十四センチ、とある。


「それにしても笑顔じゃないわね。接客業には不向きかも」

「だから言ってるじゃないですか。いじめられているみたいだって。鈴さんの話じゃ自殺しようとしてたんじゃないかって言うし」

「初めて会った時のこと?」


 二人は奧の部屋に戻り椅子に座った。

 神名の真剣な顔に少し真面目な顔を見せてあげた。


「ねぇ、神名。群発自殺って言葉、知ってる? 変な流行みたいに自殺を取り上げているのを目にした心の弱い、内気で、友達のいない子供達、自殺予備軍が衝動的に自殺をしてしまう。そうしなければならないと思い込んでね。一種の伝染病みたいなものよ、自殺って」

「さしずめウィルスはメディアですか」

「潜在意識は否定形を理解できないから。こぼすな、落とすな、割るな、転ぶな、喧嘩するな。してはならないと言われたことを脳は意識してしまうようにできている。失敗に注目してしまう言葉をかけない心替えが必要なの」

「よく言いますよね、言霊とか。大事ですね」

「そうよ。忘れがちだけどね」


 唯は苦笑して呟く。

 二人は取り合えず、あの子を見守ることにした。

 恵は黙々と洗い物をしていた。

 その傍らには割れた皿が数枚並んでいる。


「チクリン、替わろうか? その皿一枚五百円だから四枚で二千円。それ以上割ると唯さん怒るし……」


 亜矢はティーカップにダジリンティーを注ぎながら話しかけた。一生懸命やっているのは分かるのだが、これ以上は見てられなかった。


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