#035 アリエラ住民救出作戦-2

 ベルメル貴族たちが逃げ去った後、自然と人々がアリエラ下層街区の中心にある、私たちがいる診療所の周りに集まってきた。

 もう、アリエラ街区の誰もが、ティアちゃんが魔法で貴族たちを撃退したことを知っている。


 後ろを振り向いたティアちゃんは、不安に瞳を揺らしていた。

 アリエラ女王であることは誰にも言えない秘密だった。

 さらに、魔王帝国に降伏し盟約を受けた。

 アリエラの人々に受け入れられないと思っていた。


 誰もが夜風の中で押し黙っていた。

 月のない夜に、冷たい星明りだけが瞬いている。

 ティアちゃんが悲しみにうつむいた。


 アリエラの人々の輪の中から、誰ともなく、〈ラーメル・セディアの第二、"星"〉を謡い始めた。それは、アリエラの歌ではないけど、でも、アリエラの人々はティアちゃんが、この歌を壊れたオルガンで弾き続けていたことを知っていたの。


「希望を、明日を」と謡う、切ない願い歌を覚えていたの。 


 ティアちゃんも歌う。私も、カルフィナも歌った。

 全員で合唱した。

 

 歌い終わると、拍手が人々の輪から起こった。


「……ありがとうございます」

 ティアちゃんは、ぽろぽろと泣いていた。


「みなさま、アリエラへ、私たちの故郷へ帰りましょう」

 ティアちゃんは、まだ、泣き声混じりに人々へ呼びかけた。


「信じられないかも知れません。でも、カレル西湖畔にアリエラはあります」


 ざわめきが人々の輪の中でさざ波のように広がっていく。ティアちゃんは、気力と勇気を振り絞って、声をあげた。

「みなさまにお詫びしなきゃいけないことが、あります。

 わたしは、最後のアリエラ王国女王であることを、ずっといえませんでした。

 それに――」

 

 一瞬、ティアちゃんの薄緑色の瞳が私を見た。

「わたしは、魔王帝国システィナ姫殿下からの降伏勧告を受諾しました。本日をもって、アリエラ王国は消滅し、魔王帝国に編入されます。もちろん、皆様の安全も生活も保障されます」


 どよめきが大きくなった。

 ティアちゃんを大勢の人たちの声が取り囲んでいる。ティアちゃんは、背中の傷が熱を帯びているにもかかわらず、キッと前を向いて、自らの運命と対峙していた。本当に強い子だって思う。


「最後にもうひとつ、お詫びすることがあります。

 わたしは―― アリエラとベルメルが戦争になるきっかけとなった、両王家の血を引く罪深い隠し子です。生まれてきたこと自体が罪といえる娘です」

 救いを求めるように、ティアちゃんの左手が胸元の十字架を握っている。


「だから、システィーナ姫殿下に、アリエラの人々の救済と引き換えに、私の命を差し出しました。でも、それなのに……っ!」

 ティアちゃんが、堪えきれずに顔を覆って泣き始めた。


 私は、ティアちゃんを後ろから抱き寄せた。

「よく頑張ったね、本当に……」

  

 後は、私が引き継ぐね。

「アリエラの皆様、初めまして。

 魔王帝国第6皇女、システィーナ・イス・シクストゥスです。人類の王国貴族の愚劣な支配から、皆様をお救いするため、中央帝都よりこのメイルラント地方へ赴いた者です」

 さすがにもう、誰もしゃべっていない。魔族の中央帝都からの侵攻軍が、間近に迫っていることは、誰もが知っていた。連日、外城壁の補強に駆り出されていた。

 その魔王皇帝の姫君、つまり、私が目の前にいる。女王と名乗ったティアちゃんを抱き支えている。


 さきほど、アリエラ狩りをする貴族を魔法力で圧倒して見せた。

 信じられないようなお話だけど、圧倒的な月魔法を人々の前で披露した効果は、絶大だった。


 なすすべもなく、暴虐に虐げられるに任せていたアリエラ狩りを撃退した。攻撃魔法を行使するベルメル貴族たちに、魔法力で圧勝した。魔法を使えない平民市民たちからしたら、ベルメル貴族の魔法力はあまりにも暴力的だった。


 そのベルメル貴族らに圧勝したの。


 アリエラの人々の薄汚れた笑顔を見たら、もう、わかった。虐められ続けてきたアリエラの人々は、ベルメル貴族らが悲鳴をあげて逃げ帰ったありさまに、心の中で喝采を叫んでいたの。


「私から、皆様へ受け取って頂きたいものがあります。それは―― 食事、医療、お風呂、棲みか、そして、故郷です」

 絶望と不信の泥沼に囚われた人々に、私の声が届くのか? それだけが心配だった。少しだけ待った。


「カレル西湖畔へ、アリエラからほとんどの建物を移築しました。いま、この新しい街から、このベルメルへ街道を急ぎ施工中です。明日、未明、ベルメル城都北門を破ります。それが、合図になります。

 全員で、明日、朝早く、新しい街へ移動します」


 すっと、ティアちゃんを抱き寄せた。

「もうひとつ、ティア女王は皆様の救済を私に懇願されました。自らの命を差し出す代わりに、皆様を助けてほしいと」


 笑って見せるつもりが、自然と声が潤んでしまう。

「みんなのために、こんなに一生懸命になれる子は、ティアちゃんしかいないと思います。だから、私は、ティアちゃんを新しい街のまとめ役に任命します。どうか、皆様のご理解とご協力を、私たちに賜るようお願いします」

 征服軍の総司令官が、下層市民にお願いするなんて、あり得ないと思うかもしれない。でもね、こんなにも苦しめられてきた人々には、うわべの言葉やお芝居は通じない。


 私は人々に向かって、深く頭を下げた。

 ティアちゃんが、カルフィナも慌てて、私に合わせて人々へ深く一礼した。 


 はじめは戸惑いがちに、まばらに、だけど、急に勢いを増して、私たちは割れんばかりの拍手に包まれた。


 その後は、タイミングを待ち構えていたギルド長やギルトスタッフたち、獣人騎士団たちが飛び出して来て、人々へ大移動参加の案内状を配った。


 推定4500人はいるアリエラの人々を、一夜のうちにカレル西湖畔まで、安全に連れて行くのは、大変なことなの。まずは、要点をまとめた紙をばら撒いたの。

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