#025 アリエラ下層市街区へいきます

 階段を降りた先は、空気の匂いからして異質だった。

 ベルメル王宮の気品や、貴族家の庭園の清潔さ、中流市民が住まう丘陵地の落ち着き、下町商店街の活気―― そのいずれもが、このアリエラ下層市街にはなかった。


 砂利を蒔いただけの辻道はどれも狭くて、汚れた板塀で仕切られた住居は、雑草が茂っていた。蔦が絡み、幽霊屋敷のような小屋さえある。そして、脇道が突き当たる先には、ゴミが驚くほど大量に捨てられている。下層市街の少なくとも三分の一は、ゴミ捨て場にされているの。

 その光景は、最終処分場というより、不法投棄の現場に近いと思った。


「誰もいないね」

 カルフィナが戸惑ったように、周囲を見回している。

「ううん、気配はあるよ。活気は全くないけど」

 そう、返したら、カルフィナの嫌そうな表情がさらに悪くなる。顔に、もう帰りたいと書いてある。


 ◇  ◇ 


 死霊術師のカルフィナは死者や遺骸がどこに埋まっているのか、感覚的にわかる。

 

 私はというと、領域魔法が使える。

 領域魔法っていうのは、広い範囲をカバーできる魔法資質ね。魔法力が届く範囲が広いっていえば、わかりやすいかな。

 魔王帝皇帝の孫娘だから、大軍を把握して指揮するために、広い範囲で大掴みだけど色々な情報が感覚的にわかる。領域魔法を、情報把握のために使えるように練習しているの。だから、下層市街のどこにどんな感じの人々がいるのか、何となくだけど感覚的に掴めた。


 生きている人を見つけられるのだけど…… みんな元気がない。しかもご老人と子供ばかりが、薄汚れた街に取り残されている。

 お昼に差し掛かったところ、こんな時間は大人たちは働きに出ている。いや、正確には働かされている? と、すると、外城壁補修工事に駆り出されているのだろうか。


 狭くて汚い下層市街を抜けて、そろそろ帰ろうと思った時だったの。

 ふいに、カルフィナが謡い出した。耳を澄ますと、微かなオルガンの音色が聞こえた。カルフィナは耳が聡いから、私よりも早く気付いたの。


「〈ラーメル・セディアの第二、"星"〉をアレンジしてるのかな?」

 そっか、カルフィナの好きな聖歌だから、歌い出したんだ。

 ラーメル・セディアは、人類の作詞家。歌いやすい合唱曲を多く遺している。第二合唱曲 "星" は良い歌だから、魔族の間でも好んで歌われているの。


 機嫌よく歌を口ずさむカルフィナが立ち止まった。耳を澄ましている。

 オルガンの音がときどき飛ぶの。難しいパートではない場所でも。


 雑木林の向こう、街外れに小さな教会があった。オルガンの旋律は、その教会から漏れていた。

 事前に読んでいた資料に教会についた記載があったことを思い出した。この教会は滅ぼされたアリエラ王家や貴族たちが祭られているらしい。


 少し開いていた扉を潜った。

 小さな教会には、オルガンの隣に小さな修道女がたったひとり佇んでいた。よく見ると、小さな女の子が胸に白銀色の十字架を下げている。


 最初に声をかけたのはカルフィナ。

「あなたが、オルガンを弾いていたのね」

「はい…… でも、壊れていて……」

 耳を澄まさないと聞き取れないほどに、少女の声はか細い。

 薄汚れたアップライトのオルガンを見ると、黒鍵盤がひとつ欠けている。


 私も歩み寄った。

「あの大人の人たちは、アリエラの人たちは、どちらに、いらっしゃいますか?」

 アリエラという単語に少女がビクッと反応した。警戒されていると感じた。


「怖がらなくても大丈夫。私たちは、下町にある冒険者ギルドで働いしているの」

「そう、なのですか?」

 少女の表情から、警戒の色が薄れて、顔をあげた。やっと前髪に隠れていた表情が見えた。びっくりするほどの美少女だった。綺麗な薄緑の瞳をしている。

 少し信用してもらえた。ライムギルド長に感謝だよ。


「大人の人たちは、働かされています」

「外城壁の補修工事ですか?」

 小さな修道女が首を振った。

「ベルメル貴族たちは、いろいろな場所に大人の人たちを連れて行くんです。下水道の掃除とか、貴族家のお庭作りとか、城壁もそうかも……」

 私とカルフィナは顔を見合わせた。このベルメル城都が美しいのは、滅ぼしたアリエラ王国から得た奴隷を酷使しているからだと、気づいたの。

 

「虚飾の街というわけね」

 カルフィナが苦虫を潰したようにいう。


「あの、ライムギルド長さまには、良くして頂いています。

 わたしは、母を亡くして以来、身寄りがなくて…… 食べ物を恵んでくださるのは、本当に感謝しています」

 胸元に吊るした十字架をぎゅっと手に包んで、微笑んだ。

「それに、この教会を頼ってくる小さな子供たちも救われています」

 小さな修道女の言葉と同時に、どこに隠れていたのか、もっと小さな子供たちがひょこひょこと現れた。


「コロッケの匂いがする」

「コロッケだぁ」

「ねぇ、ティアおねぇちゃん、コロッケ食べたい」

「えっ? あの? コロッケなんて、ないですよ」

 小さな修道女は、おチビさんたちにせがまれて、困った顔になっている。


 あ…… 私のトートーバッグの中に、コロッケがしまってある。さっきおじちゃんのお店で、4つ買ったの。うち2つは私とカルフィナが食べた。

 チビちゃんたち、お腹が空いてるらしくて、トートーバックから微かに漏れる匂いに気づいたらしいの。


「システィーナ、なに突っ立ってるの」

 カルフィナが小突いてきた。

「だって、カルフィナ。これは、ソマリちゃん、ミヌエットさんの分にするつもりで……」

 おチビさんたちの瞳が一斉に私を見ていた。

 ごめん。ソマリちゃん、ミヌエットさん。

 降参した。

 その場にしゃがんで、おチビさんたちの目線に合わせた。トートーバッグから、まだ、温かい紙包みを取り出した。人数分ないから、おチビさんの前で千切ってコロッケを人数分に分けた。


「はい。美味しいコロッケだよ」

 小分けした黄金色を配った。


「わーいっ!」

「コロッケっ!」

「はふっ! 美味しい」

「はむ。はふっ はふっ」


 ふたつのコロッケを四つにしたら、あっという間に食べられちゃった。おチビさんたちの笑顔がお代だった。

 小さな修道女、ティアちゃんは、十字架を包んだ手を胸元にあてて、

「……ありがとうございます」

 と、泣き笑いのような透明な笑顔だった。

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