#026 壊れたオルガンと、第二合唱曲 "星"
星歴1229年 10月26日 午後15時30分
ベルメル王国 アリエラ下層市街
気になった。
だから、翌日も郵便局へ行く雑用を引き受けた。
また、トートバッグを持って、下町商店街に立ち寄ってから、アリエラ下層市街へ行ってみたの。
例によって付いてきたカルフィナは、あきれ顔だった。
でも、美しいベルメル貴族街よりも、アリエラ下層市街にこそ、私は可能性を見ていたの。この薄汚れた街にこそ、きっと、私の求める理想がある気がした。
そう、驕り高ぶる人類の王侯貴族との誘致合戦に打ち勝つという、私の作る魔王城下町の勝利の方程式が見える気がしたの。
まず、向かったのが市街地中央にあるウィンストン診療所。
「ありゃあ、これ、ソマリちゃんが見たら、キレるわ」
オペラグラスで窓越しに診療所の様子を覗いた。カルフィナが、呆れたため息を漏らした。
それくらい、下層市街の診療所はダメダメなありさまだった。薬棚は空っぽ。わずかに残った薬瓶も蓋が開きっぱなしで、変色した錠剤が床に零れていた。診察に使う道具類も消毒すらしていない? と思うほどに乱雑に転がっていた。
お医者様も、ヨボヨボのじい様がひとりだけで、次々と訪れる怪我人の相手をしていた。待合室も無駄に混雑している。
推測するに、貧困と不衛生が常態の下層市街は、元々が慢性的に病人を抱えていたと思う。そこへ外城壁工事現場からの怪我人が上乗せ。とても、じい様ひとりじゃさばききれない。
「う~ん、ソマリちゃんに相談するのは、ちょっと待とうか」
私付きの医務官、ソマリちゃんは、清楚系に見えるけど、物静かで控えめな美少女に見えるけど、患者を前にすると豹変するの。施設大隊のみんなからは、「小さな軍医殿」と呼ばれ、畏敬を集めている。
使命感がすごいので、うっかり要救護者の群れを見せるのはまずい。ソマリちゃんには、オーバーワークというリミッターがないの。指揮者である私としては、ソマリちゃんは頼れるけど、使いどころの判断が難しい従者だった。
城壁工事が急ピッチで進んでいるためと思う。包帯を巻いた姿の人たちが、目立った。奴隷扱いされているから、安全管理なんて無視のムチャな工事をしているらしいの。
ちょっと胸が痛んだ。城壁工事を慌てて始めた理由は、私が、魔王帝国の皇女がこのメイルラント地方へ遠征したから。
ベルメルの王侯貴族は、王宮や貴族家邸宅の庭園づくりばかりに熱心で、城都の外城壁のメンテナンスをずっとサボっていた。だから、慌てて補修工事を始めた。悪いのは、虚飾の街づくりに終始した王侯貴族。だけどね、迷惑をこうむるのは、アリエラ下層市街の人たちだったの。
町の中を散策した。
相変わらず元気のない街だった。
最後に、街外れの雑木林の向こう、あの小さな教会へ立ち寄った。
誰もいないかと思ったら、先客が何人かいた。
こんなとき、私の認識阻害魔法は便利だった。ヒト属に化けるだけじゃないの。やろうと思えば、存在自体を認識しずらい状態を作り出せる。黙って静かにしていれば、すぐそばにいても気づかれない。便利でしょ。あ、でも、しゃべるとバレるから、お口チャックね。
◇ ◇
教会にも、ケガを負った人が訪れていた。きっと、あの診療所ではまともな治療を受けられなかったのだろう。
ティアちゃんが教会の床に座っていた。差し出された包帯を巻かれた手を、ティアちゃんの両手が包んで、祈る。
微かな光が漏れた。
ケガをした人の表情が和らいだように見えた。
カルフィナがこんこんと私を突いた。
振り向いて、うなずいた。
魔法だった。
ティアちゃんは、ケガをした人に魔法を使っていたの。
さらに、数人の人たちがティアちゃんの元を訪れた。
ティアちゃんは、傷ついた人たちを抱擁して、魔法を唱えていた。
でも、小さな修道女の姿に、私は疑問を感じた。
誰もが無口で、魔法の代価も支払わない。お礼もいわない。
ティアちゃんは、それでも感情を押し殺した瞳で、傷を負った人や、病気の人たちに魔法をかけていた。
小さな背丈で、大人たちに両手を伸ばして、時には背伸びする仕草で魔法をかけている。そして、大人たちは、小さな修道女を冷たい瞳で見下していた。
たった30分ほどの時間だったと思う。
訪れた人たちは、男女合わせて五人ほど。
私は、教会の端に立って、自身に「冷静になれ」っと言い聞かせていた。
五人目の老婆が立ち去ると、カルフィナがため息をついた。
ティアちゃんは、ふらふらと歩いて、壊れたオルガンに向かった。
「あの……」
カルフィナが声をあげそうになって、
「しっ!」
私が慌てて止めた。
まだ、誰か来る。
私の領域魔法は、教会へひとりの男の子が入ってくるのを捉えていた。
「ティア、食べ物……」
ふいに入ってきた男の子は、ぶっきらぼうに、オルガンに向かうティアちゃんへパンの切れ端を突き出した。
「ありがとうございます」
ティアちゃんが両手でパンを受け取る。
「あの、ラーダも魔法をかけるから……」
よく見ると、男の子は、ギルド本部の裏口に食べ物をもらいに来た、あの子たちのひとりだった。そう、私のことをずっと警戒して、物凄い視線で睨んでいた男の子。しかも、足首を微かにかばう仕草をしている。
ティアちゃんが、足元に膝まづいて手を伸ばすと――
「やめろ、こんなこと、貴族たちに知られたら、どうなるか……」
男の子が振り払った。ティアちゃんは、床に座り込んで、顔をあげた。瞳を潤ませた笑顔だった。
「ありがとうございます。でも、これは、贖罪だから」
男の子は、一瞬、熱雷に打たれたような、怒りのような表情を隠した。そのあとは、困惑の顔になった。それから、無言で教会の外へ走り去った。
床に四つ這いになって、ティアちゃんは少しの間、声を殺して泣いていた。
それから、オルガンに向かい直した。
〈ラーメル・セディアの第二、"星"〉の涼やかな旋律が小さな教会を満たした。
カルフィナが歌声をあげた。
泣きながらオルガンを弾くティアちゃんと、カルフィナが一緒に、「希望を、明日を」と、切ない願い歌を謡う。第二合唱曲、"星" の歌詞は、深い夜の帳の奥底で、冷たい夜空を見上げて、明日を、希望を、想い人に幸せをと希う、そんな歌。
ティアちゃんが気付いて、こちらに透明な笑みを向けてくれた。
自身を傷つけて、死んでしまいたいと願うほどに、泣いている人には、カルフィナは優しいんだよ。
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