#033 小さな女王への降伏勧告

 これは、必要な儀式だからと、心の中で「こめんなさい」と唱えた。ソマリちゃんの治癒魔法で何とかしているけど、ティアちゃんの体調はかなり悪い。


「アリエラ王国女王、ティア・トリア・アリエラに降伏を勧告します」

 私の言葉が、ティアちゃんをひざまづかせた。


「いつか、こんな時が来ると思っていました。

 わたしは、呪われたアリエラ王家最後の女王として、どんな残酷な死でも受け入れます。だから、チビたちやアリエラの人々を救ってください」

 ティアちゃんは、胸元にさげた十字架を握っている。


「魔王帝国は、逆らう人類の王侯貴族を討ち滅ぼす代わりに、平民市民は庇護下に収めると聞き及んでいます。わたしが、ひとりで魔王帝国に抵抗して、滅びの運命を受けます」

 気高い子だと思う。

 ひとりで、アリエラ王家の負の遺産をすべて背負うつもりなの。


 魔王帝国は、人類の王侯貴族を許さない。愚劣な支配者から、人々を開放し、ヒト族として眷属に迎え入れる。

 愚かな王侯貴族は、たとえ降伏を勧告しても受け入れることはない。愚かゆえに、魔王帝国の強大さが理解できない。肥大したプライドを抑えることもできない。そして、魔王帝国も、愚か者の命乞いなんて許すはずはないもの。


 だから、人類の王族、貴族を叩き潰してこそ、人々は解放される。人類の国家を消滅させ、どの王侯貴族の持ち物でもなくなった人々に、魔王帝国は眷属として、地位と安全を保障する。


 王族の死滅こそが、人々が救済される条件なの。


 それが、魔王帝国による人類城都攻略のセオリーだった。


 でも、私は、いままでの魔王帝国の遠征軍とは違う。

 もう決心はついていた。

 方法は、ひとつしかない。

 絶対にティアちゃんを救ってみせる。この小さな修道女の姿をした女王を、私の庇護下に収めるって決めたの。


 初めて会った時と同じ。私も床へ座り込んで、ティアちゃんと目線を合わせた。そのまま、修道女の姿をした小さな女王を抱き寄せた。耳元にささやく。

「どうか降伏を受け入れてください。私が、あなたの苦しみも責めも引き継ぎます」

 薄緑色の瞳が驚いて見開かれている。 


「そんな、だって、魔王帝国は愚かな人類の王族をけして許さないと……」

「ティアちゃん、あなたは愚かじゃないわ。私は、あなたを仲間としてほしいの。ね、降伏を受け入れて」

「だって、降伏っていっても―― 私、お城も、騎士団も、臣下も何も持っていません」

 ティアちゃんは戸惑って髪を揺らしている。ずっと、最後の女王として、処断される覚悟を自分に言い聞かせてきたんだと思う。

 ティアちゃんの、この小さな修道女の心は、贖罪に身を捧げる運命に囚われていたの。私は、こんな悲しいことは嫌い。許せないの。だから、変えてしまいたい。


「ティアちゃんと、チビたちがいるわ。それで充分だよ」

「そんな……」 


 絶句したティアちゃんを無視して、言葉を重ねた。

「あなたには、毎日、ちゃんと食べて、毎日、髪を洗い、勉強して、私を含む大勢の人々とお友達になること、そして、私と一緒に幸せになることを求めます」


「そんなっ!? そんなこと、できません」

「どうして?」


 ティアちゃんは、声を張りあげた。

「私が生まれたせいで、父は、無理な和平を強行し、謀殺されました。街が呪われて、戦争になり、大勢の人たちが死にました。たくさんの人たちが傷つきました。

 私が生まれてこなければ、ベルメルとアリエラが紛争を起こす前に、私が処分されていれば……」

 ティアちゃんは、泣き続けた。

「幼いときのあの日のこと、覚えています。

 父は、クルス王子は私のことを斬ろうとしました。でも、私が怖いと泣いて母に抱き付いて―― それで、私を処分できなくて、周囲の反対を押し切って、アリエラと和平を進めたんです」


 その事情は、ファレンカルク伯爵様からの鳥の折り紙にも記載されていた。

 10年前、クルス王子は、許されない隠し子のティアちゃんを処分するために、アリエラ王国を訪れた。


 当時、3歳だったティアちゃんは、その日のことを覚えていたの。

 でも、クルス王子は最初からティアちゃんを殺める気はなかったの。

 ベルメル王族たちから突きあげられて、ティアちゃんを処分すると見せかけて、電撃的にアリエラとの和平条約を結んでしまうことを、目論んでいたの。腹心の従者に命じて、事前に和平条約の素案も作らせていた。


 でも、腹心と信じた従者に裏切られた。

 実際は、クルス王子の計画は、他のベルメル王族らに露見していた。

 アリエラ跡で見つかった王子の遺骸は、胸骨を短剣のような凶器で貫かれていた。

 ほとんど争った形跡がなく、ふいに、心臓を呪詛の魔道具で一刺しにされていた。


 だます方が悪いのか、だまされた方が悪いのか、私にはわからない。

 ベルメルとアリエラふたつの王家が婚姻によって結ばれ、もしも、ティアちゃんが女王として即位していたら。ティアちゃんは小さな修道女ではなく、強大な軍事国家の女王になっていたのかも知れない。


 でも、現実は厳しくて、そんなことは許さない。

 特に、ベルメル王族は複雑怪奇だった。

 第2王子、第3王子もいて、それぞれに外戚貴族が取り巻きとしてついている。さらに現国王には兄弟もいる。外から眺めるだけなら、美しい庭園に囲まれた高貴なお城なのに、ベルメル王城の中は魑魅魍魎の世界だった。


 自らを贖罪が必要な咎人と、思い詰めてしまったティアちゃんは、間違いなく、身勝手な大人たちに振り回された被害者で、救うべき存在だった。


 だから、悲しい現実を、私たちの力で変えてしまおう。 

  

「ティアちゃん、私はあなたを処断するつもりはありません。

 でも、どうしても、贖罪をと願うなら、あなたに相応しい役目を与えます」


 ティアちゃんに、この幼いアリエラ女王に、伝えるべきことがあるの。

「アリエラ王国跡から、私たちの新しい街へほとんどの建物を移築しました。ティアちゃんには、新しい街―― アリエラ街区のまとめ役になってもらいます」

 私の言葉の意味を理解したティアちゃんが、驚きで口元を覆う。

 それから、慌てて首を振った。

「そんな、わたし、そんなこと、できません」

 

「いいえ、あなたが贖罪を願うなら、できないとはいわせない」

 私の赤い瞳が、ティアちゃんの薄緑色の瞳を見据えた。

 ティアちゃんを救う方法は、ひとつしかない。

 必ず、この子を降伏させると決めていた。

 もしも、ティアちゃんが降伏勧告を受け入れず、あくまでも死を望むのなら、魔王帝国の皇女である私は、ティアちゃんを処断するしかない。そんなこと、絶対に嫌だった。


「もちろん、サポートは付けます。でも、生き残ったアリエラの人々のために、新しい街で、まとめ役になることは、ティアちゃんにしかできない」


「でも、そんなこと、わたしには――」

 私の赤い瞳に見据えられて、幼い女王は震えている。

「わたしには、そんな資格なんか……」

  

「あるわ。私があなたを任命します」

 言い含めるような私の言葉が、溜め込んでいたティアちゃんを弾けさせた。小さなアリエラ最後の女王は、スカートの裾を握りしめて、キッと見あげた。

「どうして、わたしに死を与えないんですかっ!

 殺してください。斬り刻んでください。私が生まれたせいで、たくさん人が死んだんです。わたし、生きている資格もないんですよっ!」


 私の視界の中で、ティアちゃんが潤んで揺れた。

 ティアちゃんが、私が泣いていることに気づいて、驚きに薄緑の瞳を揺らしている。私は頬を濡らしたまま笑って見せた。 

「ひとりで勝手に死ぬことも、不幸になることも、自らを傷つけることも許さない。あなたが悲しいときは、私も一緒に泣くから……」


「魔王の皇女がこんなに優しいなんて、卑怯ですよ」

 とうとうティアちゃんは、私に縋りついて激しく泣き崩れた。


 ◇  ◇


 ティアちゃんは、私の腕の中で泣き続けた。泣きつかれて、気持ちが落ち着いた頃、まだ、しゃくりあげているティアちゃんをぎゅっと抱き寄せた。耳たぶに息を吹きかけてささやく。 

「アリエラ王国には消滅してもらいます。ごめんなさい。魔王帝国は身勝手でごめんなさい」


「ううん。ありがとうございます。

 わたしは、ティア・トリア・アリエラは、魔王帝国システィーナ・イス・シクストゥス姫殿下からの降伏勧告を受諾します」

 ティアちゃんの温かみが、私に身を預けてくる。支えきれなくて、ティアちゃんを抱いたまま仰向けに転がった。溜め込んでいた想いを全部、私に吐き出してくれたことがうれしかった。

 

 ティアちゃんにも、白亜の儀式正装を手渡した。

 背中に、かつてのアリエラ王国の紋章が刺繍されている。これを背負えるのはティアちゃんしかいない。


「私付きとなったティアちゃんに、私から魔法を与えます。ティアちゃんは領域魔法が使えるんだもの。障壁魔法〈カトレの水晶壁〉を与えます。これでアリエラの人たちを守って」

 ティアちゃんを抱き寄せる。呪文を唱えてから、ティアちゃんと唇を重ねた。

 魔法の口移しをした。

 王族の血を引くティアちゃんなら、充分な魔法資質がある。これで覚えられるはず。



  

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