第三話 時空のおっさんは異世界転移者の前に現れる
それは、村の広場の真ん中で、アイ・フューン・マイチヤがなにか呪文を唱えようとしたまさにその瞬間のことだった。
それと同時に、マサトが浄化の宝珠をかざす。
宝珠から光が溢れ、あたり一面が白く塗りつぶされたかのようになる。
そしてそれが、マサトの予想していた事態と予想すらしていなかった事態をもたらすこととなった。
「グググ……こ、コレハまさか……」
光に包まれ、目の前にいたフューンの輪郭が見る見る間に崩れ落ちていく。
皮膚が、黒いローブが灰になってしまったかのように割れてこぼれ落ち、その後にそこに立っていたのは、人間とはにても似つかぬ、青白い凹凸のない奇妙な存在だった。
人々から悲鳴が上がる。
それはマサトも例外ではない。
いや、むしろその怪物が一番予想外だったのはマサトだったかもしれない。
だがそれでも彼は少なくとも表面上は冷静さを保ったまま剣を抜き、先程までフューンだった怪物へと突きつける。
「なるほど、こいつが貴様の正体だったというわけか」
「グググ……どうしてオレの正体を……何故、変化の魔法が解除されてしまったんだ……。かくなる上は、怪物どもをこの村に……なぜだ。何故ん反応しない」
「無駄だ! お前の魔法はこの浄化の宝珠の力で封印されている。さあ、終わりだ。覚悟しろ!」
マサトはすぐさま剣を構え、その怪物に斬りかかる。
魔力が封じられたためか、先程までフューンだったその怪物は、ほとんど抵抗することもなく斬り伏せられ、形を失って崩れ落ちた。
腑に落ちなさを抱えつつも、それについて考える間もないまま、村人たちから大歓声があがる。
声にならないような叫び声が村じゅうに響き、そんな声に囲まれながらマサトは駆け寄ってきた村人たちに叩かれたりして揉みくちゃになっていく。
それと同時に浄化の宝珠もその効果が解除され、村を包んでいた不思議な白い光も晴れていった。
それでようやく落ち着いたのか、村人たちからさらにいくつもの声が聞こえてくる。
「やっぱり凄いぜ! マサト!」
「この村の英雄だ!」
「今日は祭りだ!」
そうして村は、そのままなし崩し的に祭りへとなだれ込んでいった。
ようやく祭りも終わり、マサトが自分の家に帰ってきたのは、もう夜も更けた頃であった。
家の扉を開くと、暗い部屋の中に一人の男の影がある。
マサトは一歩後ずさり剣に手をかけるが、そんなマサトの態度をまったく気にかけることもなく、その影は気さくに手を上げて挨拶を返してきた。
「やあ、お待ちしていましたよ。お帰りなさい、村の英雄殿」
声でそれが誰なのかわかる。そして次第に輪郭も明らかになる。
家の中で待っていたのは、昼間怪物と成り果て、それをマサトが斬り伏せたはずのフューンであった。
「どういうことだ! お前、怪物になって死んだはずでは!? 僕は確かにお前を斬ったぞ!」
「ああ、失礼。あれはこっちで用意した
あらためて名前を呼ばれて、マサトは目の前の存在が油断ならない存在であることを悟った。
その態度と発音でわかる。この男はその言葉のとおり、自分を日本人である大井マサトと認識して、それを前提として話しかけてきているのだ。
「日本人? なんのことだ……? そもそも、お前は何者だ?」
「うーん、流石にまだシラを切りますか。まあそりゃそうですね。じゃあまず、あらためて
「時空のおっさん?」
突拍子のない言葉が続いて、マサトは思わず素で尋ね返してしまった。
日本には生まれてからそれなりに長く暮らしてきたつもりだったが、そんな仕事があるなど聞いたこともない。そもそも、異世界転移者はそんなに多いのだろうか。
「知らないのも無理はないことです。異世界転移者以外とはほとんど接触もしないし、秘匿されている
「なるほど、その時空のおっさんとやらについてはわかった。だが、僕は異世界転移者じゃないし、ニホンなんて場所も知らん。お前はいったい何の根拠があって、僕をそのニホンジンなどといっている?」
その反論を聞いて、イフネは呆れ顔でため息をついてみせた。だがその表情はいかにも自信ありげで、まるで最初からその質問を待っていたかのようであった。
「根拠ですか、根拠。なら早速、お望み通り
「それがどうかしたのか。怪物が何故正体を明かしたのか、その理由を答えてやっただけだぞ」
「それが、あなたが
イフネの口元が自信たっぷりに小さく歪む。
なにかを間違えてしまった。マサトはその顔だけでそう思わされてしまう。
「根拠だと? あの怪物との会話がか?」
「そう。あなたはあの時、浄化の宝珠を使って魔力を封じる空間を作り出し、それのよって怪物の正体を解き明かした。それは確かに必要なことだったし、それによって怪物は正体を明かし、倒すこともできた。お疲れ様です。でも、あの浄化の宝珠の効果の範囲はそれだけじゃなかったんですよ」
「どういうことだ。俺にはなんの異常もなかったし、誰も何も言わなかったぞ」
「いいえ、マサトさん。実はそうではなかったんです。実はあの時、浄化の宝珠の影響であの時あなたにかかっていた異世界言語の翻訳も同時に機能停止してしまっていたんですよ。あの浄化の珠は白い光の空間を作り出すことからもわかるように、タ
その事実を突きつけられて、マサトもその瞬間のことを思い出す。
周りの人々は恐怖や驚愕、勝利の高揚感で声にならない声を上げていたのではない。単にマサトが彼らの言葉を理解する能力を失っていただけだったのだ。
「おわかりいただけましたか? ちなみに今も、
思いがけない言葉に、懐のスマートフォンに手が伸びそうになったがなんとか思いとどまった。危ない、これは明らかに罠だ。
どうやらまさにそんな意図があったらしく、マサトがとどまるのを見てイフネも少しだけ悔しそうな顔を浮かべている。
どうやらまだ勝機はあるらしい。
「ふん、それはお前が勝手に言っているだけじゃないのか? それにあんな状況だ。怪物が言いたいことなんて言葉が通じなくてもおおよそわかるだろう。おおかた『なぜだ?』とか『許さん』とかそういったものだったんだろう」
「おっと、あくまで
「次だと?」
あまりにも簡単に自説を諦め、二の矢を構える。
イフネのその態度が、マサトにはあまりにも恐ろしかった。
「はい、次です。さっそく次の根拠の話をしましょう。俺はあなたと酒場で話をしていた際、10分と時間を指定して離席しました」
「そうだ。そしてその予定からさらに10分も遅れた」
「その節は申し訳ない。でも、そこなんですよね、あなたが日本人、少なくとも、この世界の人間でないという、
再びイフネが自信に満ちた笑みを向けてくる。
「あなたが時間を過剰に気にするのはお察ししますよ。地球での生活は分刻みのスケジュールだったそうで、ここに来たことでどれだけ気楽な生活を遅れるようになったとはいえど、そういった習慣はなかなか抜けないとは思います。そんな時に他人が自分から言い出した時間に遅れたらさぞかし腹も立つことでしょう。でも、それがよくなかった」
「どういう意味だ……」
「いいですか、大井マサトさん。この世界には『分』という概念はないし、この先にも生まれることがないんです。ここには2
それマサトも知っていた。惑星の大きさや太陽の距離で、惑星ごとに一日の長さが違うのだ。
「もし将来この世界に時間が現れるとしても、それはもっと別のものになる。なにしろ地球とは月も昼も夜もまったく別物なんですから。そもそも、この世界での一日の長さを図ったことがありますか? そんな世界で分単位の待ち合わせを受け入れてしまうのも駄目ですし、わざわざ何分遅れたのかまで指摘するなんてもっての外。そんなこと、この世界の人間にはできないんです、考えもつかないんですよ。それができるのは地球人だけだ。このことについて、なにかありますか?」
「……お前が、遅れたのが悪いんじゃないか……」
その指摘を受けてしまっては、マサトもただそうひとこと愚痴をこぼすことしかできなかった。
そしてそんなマサトに対し、イフネひとこと、勝利宣言を返してきた。
「それは申し訳ありませんが、まあ、それこそが狙いだったので」
「……それで、僕はこれからどうなるんだ? あの世界に戻るのか?」
ようやく感情の整理ができてきて、マサトはポツリとそうつぶやいた。
恐怖もある。残念さもある。無念さだってある。
だが今は何より、寂しさがあった。
「まあ、それが俺の仕事なんですけど、今回は
悪びれもせず、その自称・時空のおっさんはそう言ってのける。
「話だって?」
「そう、話です。なに、悪いようにはしませんよ。そのあたりは、あなたと俺の利害は一致している。それは確かなんで」
彼のいう利害の一致というのはなにかはわからないが、一つだけ、マサトには確認しておきたいことが残っていた。
「そうか……。なら、最後に一つ聞いていいか?」
「なんです?」
「あの黒幕の偽装が完璧なら、何故僕のことを疑ったんだ? 認識阻害も完璧だったはずだ」
言われて、その時空のおっさんは自信たっぷりにその答えを口にする。
「ああ、それなら缶ですよ。最初に会ったときの」
「缶? あのエナジードリンクのか」
「そうです。あの金属の筒を缶と表現するのは、この世界の人間には無理ですから」
そう言われて、マサトは頭を抱え、大きくため息をついた。
勝負は、最初からついていたということか。
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