第二話 異世界転移者としがない魔法使い

 その、自称しがない魔法使いが村に現れたのは、マサトがあの缶を持ったゴブリンを倒した日の夕暮れ時だった。

 ゴブリンについての報告を終えたマサトが帰路についた時に、ちょうど村長の家の前でその男とすれ違ったのである。

 そこで、マサトは思わず目を疑うようなものを見た。

 その男の黒いローブの下に見えたのは、かつての彼の世界でよく見た、安っぽい青いジャージだったのだ。

 一方で向こうもこちらに気が付いたらしい。

 不意に足を止め、ゆっくりと話しかけてきたのである。


「えーっと、すいません」


 まさか、俺が大井マサトだと気づかれたか?

 やはりこの人物も『日本人』なのだろうか。


「その手に持っているそれ、そうそれです。それ、どこで見つけましたか?」


 だが男が興味を示したのは、マサト本人ではなく、その手に持ったままの缶の方だった。


「あ、ああ、なんだ、俺じゃないのか。で、この缶がどうかしたのか?」

「いえ、ずいぶんと珍しいものだったので、なぜあなたが持っているのかと思いまして。ああ、すいません、俺はアイ・フューン・マイチヤ。フューンでいいですよ。世界中を旅しているしがない、そう、しがない魔法使いです」

「アイ・フューン……。そうか、よろしく、フューン」


 奇妙な男はそう自己紹介をして一礼をする。

 その響きに強い違和感を覚えながらも、マサトはそれを御首にも出すことなく完璧な微笑みを返す。

 まだ断言はできないのだが、このフューンという男は、おそらく平然と嘘を付いてみせるタイプの男だ。おそらく名前も偽名だろう。

 それになによりちらりと見たローブの下のジャージ。

 重大な秘密を隠しているのは間違いない。

 マサトは警戒心を隠さないが、男はさらに話を続けていく。


「実は、この先の川にかかっている橋が落ちてしまっていましてね。修復まで三日ほどかかるらしいんです。その間、この村で待たせて宿を借りてダラダラさせてもらうことにするんで、少しご挨拶でもしておこうと思いまして」

「なるほど……」


 返事をしかけて、マサトは一つの事態に思い当たり言葉を止めた。

 もしここで大井マサトと名乗ったら、今度こそ自分の正体がバレるかもしれない。

 そうなる前に、一刻も早くここから立ち去ってしまわねば。


「それでは、俺は家に戻って用事があるので。どうぞごゆっくり。では失礼……」

「ああ、ちょっと待ってください!」


 呼び止められる。

 背中から汗が吹き出て服が張り付く。


「せっかくですし、よかったら後でお話を聞かせてもらえませんか? 俺の宿は、あの酒場の上なんで、また後で酒場の方に来てもらえれば」

「あ、ああ、では後で……」


 返事も適当に、相手がそれ以上なにか言い出すのを待たずに、マサトは足早に自分の家へと戻るのだった。


 大井マサトのこの世界の家は、ジャニシュ村の外れにある小さな小屋である。

 3ヶ月前、この村に住むにあたって無人だったこの小屋を譲り受け、自分で住めるように改修したものだ。

 しかし部屋の中は日本にいた頃とあまり変わらない。

 武器などの必要最低限のものだけ玄関付近にまとめて置いてあり、それ以外はベッド以外なにもない殺風景な部屋だ。

 いまさら物のある生活に戻ることはできなかっただけのことだが、結果としてそれが功を奏するかもしれない。

 あの旅人の対処を誤ればこの部屋ともお別れだ。

 では、どうすればいいのか。

 そこでまずマサトが取った行動は……。



 ジャニシュ村の中央にある唯一の宿屋兼酒場である『新たなる地図』亭には、あの魔法使いを含め、同じように足止めをされたと思しき旅人が数人ほど滞在しているようだった。

 街道沿いにあるため、いつでもそこそこ来訪者のある村であったが、宿の部屋が満室になるのは滅多にないらしい。

 少なくとも、マサトがこの世界に転生してからは初めてのことだ。

 マサトはそんな宿屋の一階にある酒場に出向いて、黒いローブに身を包んだ男が片隅で一人食事をしているのを見つけ出す。

 

「どうも。昼間は失礼したな」

「いえいえ、こちらこそ突然申し訳ありません」


 近付いてゆき、自然な感じで席に着く。

 あの後例のスマートフォンもどきで竜の影に確認したところによれば、どうやらマサトの名前や顔の認識はかなり阻害されているらしい。

 どういった原理なのかはわからないが、たとえ日本人がマサトの姿を見てその名前を聞いても、その人物の中にある大井マサトとは結びつかず、なんの情報もない現地の人間であると認識されるというのだ。

 つまり昼間のフューンの反応も至極当然なものだったのである。


「そういえば自己紹介がまだだったな。僕はオーイ・マサト。この村で剣士として、自警団的なことをさせてもらっている」

「ああ、なるほどそれであの缶を」

「どういう意味だ?」


 だがそれを尋ね返すのと同時に、魔法使いの顔がこわばった。

 そして、おもむろに立ち上がる。


「おっと、少々失礼していいですか。少しやっておかねばならない用事を思い出しまして。10分ほどで戻ってきますので……」


 そうしてマサトの言葉も聞かず、フューンは酒場の奥にある階段から上の階へと上がっていった。

 一人残されたマサトはスマートフォンもどきで彼が席を立った時間を確認し、酒場の声に耳を傾ける。

 あの魔法使い以外にも旅人が多いため、今日の酒場はなにやらどの席も珍しい話で盛り上がっているようだった。

 その中でも特に興味を引いたのは、商人の一団の話だ。

 どうやら話題の中心は浄化の宝珠というマジックアイテムのことらしく、その売り先でいろいろと悩んでいるようであった。

 範囲一帯のあらゆる魔法と他のマジックアイテムの力を一時的に封印するという強い効果を持っているようなのだが、なにぶん一帯全てを巻き込むため使い所が難しいらしい。

 これまでも買い手が見つからず、旅の間ずっと不良在庫になっているという。

 マジックアイテムの話などろくに聞いたこともなかったマサトには、それだけのことでもかなり興味深く聞けたのだが、やがて話は知らない国のスキャンダルなど下世話な方向に進んでいってしまった。

 その手の話は世界が変わっても大して変わらない。

 いつも話題に上がる側だったマサトは、それらの話をシャットアウトするため、再び時計に目を向けた。

 フューンが上がっていってから既に15分。未だ戻ってくる気配はない。

 他の席にも耳を傾けてみるが、やはりどうにも面白みのない話ばかりである。

 結局フューンが戻ってきたのは20分後のことだった。


「ずいぶん遅かったじゃないか。10分もオーバーだ」

「いやー、申し訳ありません。思った以上に手間がかかってしまいました。それで、なんの話でしたっけ?」


 マサトの嫌味にもほとんど悪びれる様子もなく、フューンはそのまま席に着いて話を始める。


「缶だ。なぜ僕が缶を持っていたのかという話だった」

「ああ、そうでした。いえ、大した話じゃないですよ。旅の途中で少し話を聞いたんですが、最近この村の周辺に現れる奇妙な怪物おかしなやつらがよくそれを持っているらしいので、あなたがそれを倒したのかなと」


 その不思議な喋り口調も気にはなったが、それ以上に、怪物の話題がフューンの口から出たことでマサトはさらに警戒心を強める。

 自分が異世界人であることは隠さねばならないし、フューンがその尻尾を出すことろを掴みたい。それらの思いを抱えてマサトはフューンを観察する。

 この自称魔法使いは当然、ただの旅人などでもあるまい。

 では、いったいなにが目的でこの村に来ているのか。

 思い当たることが一つある。

 あの缶だ。

 最初に目ざとく見つけてきたが、そもそもあの缶を仕組んでいたのが彼ならば?

 彼は怪物を操って、この村に良からぬことをもたらそうとしているのではないか。

 そんな疑惑が湧き上がってくると、なにもかもが疑わしくなってくる。

 しかもフューンの次のひとことは、その疑惑を限りなく高めるものだった。


「ああそうだ、よかったら明日の昼、村の人たちを酒場の前の広場に集めてくれません? せっかくなんで、ひとつ魔法を披露したいと思いまして」


 その唐突な提案に、マサトの警戒心は一気に限界値まで跳ね上がる。

 そこでこの自称魔法使いはなにをやらかす気なのか。

 不安のよぎるマサトだったが、ふと、先程の商人たちの話を思い出した。

 浄化の宝珠。

 すべての魔法を封じるというそのマジックアイテムがあれば、この魔法使いの企みも阻止できるのではないか?

 もし万が一、なにも裏がない純粋な好意だったとしても、まあ、彼が恥をかいて笑い話で済むことだ。

 そうと決まれば、準備に取り掛からねばならない。


 結局、その後は特に話が膨らむこともなく、そのままお開きとなった。

 マサトは店を出ると、裏口へと回ってそこから店内の様子を覗い続ける。

 どうやら魔法使いも話し相手がいなくなり、もうそういう気分ではなくなったらしい。飲んだ分の会計を済ませて、そのまま上の自室へと戻っていく。

 それを確認して、マサトは再び表に戻って何食わぬ顔で酒場へと入っていった。


「あれ、剣士さん。帰ったんじゃなかったのかい?」


 酒場に戻ってきたマサトに対し、まだ飲み続けていた商人たちが話しかけてくる。

 彼らがまだ残っていたのはマサトにとっても好都合であった。


「ああ、少し要件を思い出したんで。ところで一つ相談があるのだが……」


 そして大井マサトは、彼らに本題を切り出していった。

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