田瀬 史郎 (たぜ しろう) 定年退職後 64歳
朝6時になると目が覚める。目覚ましはかけていないのに、自然と瞼が開くのだ。社会人の習慣が残っているのか、歳をとったせいなのかは分からない。きっとどちらもあるのだろう。
ベッドから起き上がると、洗面台に向かい、顔を洗う。歯を磨き、リビングへ行くと妻が既に台所に立っている。私は食卓につき、新聞を広げた。記事にざっと目を通していると、朝ごはんが用意された。
「いただきます」
今日は味噌汁と納豆、塩鮭だった。妻は私の起きる少し前に置きて、朝ごはんを作ってくれる。仕事があったときはまだしも、退職してからは交代制でいいと言っているものの、習慣になっているから。といって、未だに作ってくれている。ありがたいことだ。
代わりと言うのもおこがましいが、朝食後の洗い物は私の担当になった。いつも通りに食器を洗い終えると、二人分の珈琲を出す。
「ありがとう」
そう言って妻は熱々の珈琲に口をつけた。
時間がゆっくりとすぎる。仕事をしているときは、一年があっという間だった。年齢を重ねているせいだと思っていた。20歳の時の1年より、60歳の1年の方が分母が大きい分、体感が短いものだと納得していた。しかし、そうではなかった。ただただ、仕事という忙しさのせいだったみたいだ。
今は時が経つのが遅い。一日が遅いのはもちろん、1か月、1年が長い。特にやりたいこともないためだろう。日々をぼんやりと過ごし、何一つ刺激の無い毎日だ。
それが本当にありがたい。
今までも妻との時間をないがしろにしていた訳ではない。それでも、今は妻と一緒に過ごす何もない時間が身に染みる。
「どこかでかけるか?」
「うーん、そうねえ。散歩でもする?」
「いいぞ。適当にふらつくか」
目的の無い行動なんて、社会人の頃は考えられなかった。時間を無為にすることなんて考えられなかった。
しかし、今はそれが出来る。それが楽しくてしょうがない。こんなにも長い時間が過ごせていることに、一緒に過ごしてくれる妻に感謝している。
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