第21話 来る日も来る日も
来る日も来る日も空を飛び回っていた。戦闘機に乗り始めてまだ数年だが、気がつくと小隊を率いるパイロットになっていた。俺がこのような扱いを受けるほど日本軍のパイロット数は減少していた。そして、熟練度も低く殉職者が絶えなかった。
初戦で日本軍が快進撃できたのは、武器の性能もさることながら、兵隊の熟練度によるところが大きかった。しかし、ミッドウェー以降、優秀なパイロットを多く失い俺の部下も新米ばかりだ。出撃する度に部下を失うもどかしさに嫌気を感じる毎日だった。彼らにも家族や愛する人が居て、一人の人間としての人生があった。若い彼らは、これから人生の花を咲かせるというのに。
それなのに……
夜になるといつも、もどかしさに襲われる。治郎も俺と同じことを考えていた。
「ほんと、嫌になるよな。斎藤の母になんて言おうか……」
斎藤は誰よりも治郎を慕っていた部下だった。彼は今日、エンジントラブルにより墜落し命を落とした。トラブルにより命を落とすことは、昔と違い最近ではよくあることだ。作る人間、整備する人間の熟練度が低い今、こればかりはどうしようもない。
「せめて、戦いで死なせてやりたかった」
治郎の目には涙が浮かび、声は弱々しく震えていた。無念さが痛いほど伝わり、息が苦しくなった。
「そうやなあ」
俺は治郎に多くの言葉をかけることができず、寂しさに包まれた部屋を出た。空を見上げると美しい星空が輝いていた。風が吹き木々が揺れる音や波の音を聞いているとなぜだか、心が落ち着く。
その時俺はふと、思った。
人間は争いをしているが、自然ひいては地球にとってはちっぽけなことに過ぎないのかもしれない。宇宙から見ればさらに小さなことだろう。
たった一人の人間ですらこれほど悩み、苦しむ。もちろん、一人一人の敵兵も同じことを感じているだろう。
鬼畜米兵と日本では言われているが、彼らも我々と同じ人間だ。子を愛する父や母がおり、美しい景色を見て感じる高揚感や、寂しい演劇を見て涙するのもきっと同じなのだ。
マスターの息子さんは生きているだろうか
俺はマスターと過ごしたあの頃に想いを馳せていた。日本兵として、憎むべき存在である敵兵の安否を気遣うなど言語道断だ。誰かに聞かれたら牢屋入りだろう。だが、俺は鬼畜米兵という言葉を使うことに抵抗を感じていた。もちろん、大事な部下を殺した敵は憎く、許すことはできないだろう。目の前にいたら手を出せないでいられないはずだ。
しかし、戦争だから仕方がないと言えばそれまでだ。戦争とは全くの他人同士が国を背負い殺しあうもの。敵の心情など考えていては自分が殺されてしまう。兵隊は敵の心情や人生など考えてはならず、自国のことだけを考え、修行僧のように心を無にして戦うしかない。
俺は夜空と対話していた……
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