理由がなくちゃ会えない

 理由が無くてはそこに行くことができない時、なにか理由を考えなくてはならない。


 例えば先日髪を切ったばかりで大して伸びてもいないのに床屋や美容室に行きたいと思った時、みんなならどうするだろう?俺はまったく思い付かないね。

 大体理由もなく床屋に行く理由って何だって話になるだろう。


 でも俺には行きたい理由はわかる、今似たよう状況にあるからだ。


 尤も俺の場合は床屋なんて理由の面倒な場所ではない、お風呂屋さん… 温泉宿だ。

 日帰り温泉だって言ってしまえば毎日行ったって問題ないだろう、風呂好きだったりとか家に風呂が無いとか温泉マニアだとか毎日行くにも色々理由はある。


 でもその例えの床屋も俺が温泉に行く理由も本来その施設に行く為のものではないのである。


 


「いらっしゃい!あら?今日も来てくれたの?温泉そんなに良かった?気に入ってくれてありがとう、ゆっくりしていって?」


 温泉に着くとフレンズが一人出迎えてくれた、今日も美人だ。


 つり目でニコりとこちらに微笑んでくれる彼女はギンギツネさん、このお宿を管理しているので実質ここの女将さん。


 そして俺がどうしても温泉に来たかった理由こそ彼女だ。

 本当は温泉などどうでもよい、彼女に会いに来たのだから、つまり俺はギンギツネさんに恋をしてしまった。


 一目惚れだ。


「今日も日帰りかしら?タオルも持たずに来たの?」


 あまり顔が見たかったものだから手ぶらだ、財布だけ。

 少し不思議そうな、いや不審そうな目を向けてくるのでつい目を逸らし適当に言い訳をしておく。

 仕事帰りに直接寄ったとか、車にあると思ったら無かったとか適当にだ。


 そんな適当な嘘なのだが、話すと彼女はそれを疑いもせず優しく言ってくれる。


「じゃあ良かったらこれ使って?本当はお部屋に置くやつなんだけど… いつも来てくれるから特別、本当はタオルだってタダじゃないんだからね?内緒よおっちょこちょいさん?」


 俺がタオルを受け取ると小さくウインクをしてギンギツネさんは仕事に戻って行った。

 凄まじい破壊力、動機が激しく息が荒くなってしまう。

 このまま風呂に入ると死んじゃうかも~?なんて。


 特別… か、こんなことを彼女に言われる人が他にもいるんだろうか?知らないが今俺は猛烈に嬉しい。


 美人で気が利いて、話上手でしっかりしてて… 一目惚れとは言ったがただ美人なだけでは俺もここまで躍起になって通うほど入れ込まない、いちいちツボなのだ。


 率直にタイプ、見た目も中身もストライクで俺の心は鷲掴み、困ったものだ。


 タオルを持って大浴場へ向かう時あまりニコニコしてたもんだからすれ違う人が引いていた、でも気にせずその顔のまま温泉へ向かう。

 それくらいハッピーだ、公衆浴場でつい鼻歌を歌ってしまうほどにはハッピー、もしかしてタオルにラブレターとか挟まってたりしないだろうか? …うん、さすがになかったようだ。


 で、そんな上機嫌な俺は風呂上がりに例のタオルで体を拭いているときに気付いた。



 これ、返さなくちゃいけないよな?



 当然だ、俺の物ではないのだから、これはギンギツネさん… いや旅館の備品だ。


 美人で気立てのいいギンギツネさんがバカな俺の為に“特別”に貸してくださったのだ、貸してくださったということは勿論返すのが必然、特別にご厚意で貸してくださったのだからこれを持ち帰るなどナンセンスだろう、特別に… そうこっそり貸してくださった。


 おっちょこちょいさん?


 なんて彼女のイタズラな表情を思い出し悶える俺はまた他のお客さんから不審者扱いされているだろう。


 こっそりということはこっそり返さなくてはならない、二人だけの内緒の取引だ。

 これは彼女に話しかける思わぬ口実ができた、神が与えたチャンスに違いない!男らしくデートのお誘いをする心の準備をしなくてはなるまい。


 そう思い立つと彼女を探して旅館を練り歩いた、エスパーでもなんでもないのでどこにいるのかなんて知らないしわからない、俺もフレンズだったら彼女の匂いを覚えてまっすぐ会いに行けるのだろうか?羨ましいぜフレンズ。


 探していると休憩室だろうか?畳とテレビのあるスペース、そこに差し掛かったところで探し求めていた彼女の声を耳にする。


「こらー!もう!ゲームばっかりしてないで手伝いなさい!今お客さん多い時間なんだから!」


 怒鳴り声だ、怒鳴り声すら麗しい。

 まるで母親が子供に宿題やりなさいって言ってるみたいな、そんな声が聞こえてきた。


 勉強なんてくそ食らえだった俺の耳にもどこか懐かしい、俺は彼女に母を重ねているのだろうか?


 さておき、そんなお母さんみたいなギンギツネさんともしも結婚したら… なんて考えてみる。

 そしたらお小遣い制になってしまいその時俺が言うのだ、「ねぇ~?お願い!後輩には奢らないとさ?お小遣い頂戴?」って。

 するとエプロン姿の君が腰に手を当てて返すのさ… 「先週あげたばかりじゃない!もぉ!何に使ったの?納得のいく理由なんでしょうね?」ってつり目を更に吊り上げてほっぺた膨らませてさ?怒った顔も可愛いね~?なんて思いながらその時俺はネックレスでも差し出そうじゃないか、「今日、記念日だろう?」なんてキメ顔で。

 そして上機嫌な君は顔を真っ赤にして俺に抱きつく、そこからは温泉なんて入らずに自宅のせまーいお風呂で洗いっこして嫁の機嫌も直りお小遣いも貰えて幸せいっぱい胸いっぱい、やがて子供もできて…。


 っと、これ以上は本当に危ない人だと思われるので帰ってからゆっくり妄想しよう。



 さて、それではとびきり紳士な対応でギンギツネさんにタオルの返却を… って。



 さっきまでそこにいたはずのギンギツネさんはいなくなっていた、変わりに彼女と同じキツネのフレンズであるキタキツネだけがその場に残り、なにやら携帯ゲームに熱中していた。


 俺に気付くと彼女は言った。


「あれ?君最近よく来るよね?ギンギツネならもう行っちゃったよ?」


 キョトンとこちらを見てはすぐにゲームに熱中し始めた、彼女も美人だがこうしてあまり怠惰なところを見せられては魅力的に見えない、君と付き合う男は大変だろうな… やはり俺はギンギツネさんだ。


 …まて彼女さっきなんて?


「あれ?まだいたの?ギンギツネなら受付に戻ったよ、それともゲームの相手でもしてくれるの?」


 お気付きだろうか?彼女なぜか俺がギンギツネさん目当てだと知っているのだ、誰にも話した覚えはない、もちろん本人にもだ。


 別にそういうつもりじゃない。


 言いふらされて晒し者にされ本人からも距離を置かれるのは御免だと思いそう伝えた。

 だって俺がギンギツネさん目当てで温泉に通ってることを本人が知ったらキモがられるんでは?しかもお客なので無下にもできないヤバい客としてブラックリスト入りするかもしれないじゃないか?それは死ねる。

 しかしこちらのキタキツネ氏、なにやら電波なことを言い始める。


「隠しても無駄だよ?ボクは君からそういう磁波を感じてるんだから… っていうかあからさまにギンギツネを見る目がやらしい、誰が見てもわかるよ」


 この時、俺はそんなに分かりやすいヤツなのかと少し恥ずかしくなってしまった。

 まさかギンギツネさんと話すときもずっとそんな目をしてるのだとしたら既にキモい、自分で自分に嫌気がさす。


 ダメだな欲を出しては、一旦距離を置いて自分を見つめ直してからまた新たな気持ちで彼女に会った方がいいかもしれない。

 タオルはキタキツネさんに渡してまずは一週間… いや、5日… やっぱり3日…。


 ダメだダメだ!一週間だ!


 一週間温泉には行かない、自宅にある小汚ない風呂場を掃除してシャワーでも浴びる。


 走馬灯のようにギンギツネさんの笑顔を思い出しながら俺は丁寧にお礼を伝えタオルをキタキツネさんに返そうとした、がその時彼女はおもむろにゲームの電源を落とす。


「協力してあげてもいいよ」


 耳を疑った、ギンギツネさんと比べあまり豊かに笑おうとしない彼女だがこの時はやや口角を上げ微笑を浮かべて俺を見ながら言っていた。


 そして彼女は条件を提示してきた、ゲームの対戦相手としてしばらく通えと言うのだ。


「口実だよ、そうすれば毎日来たってボクのワガママを理由にできる、ボクはワンパターンでつまらないCPUを相手にすることもなくなる、ボクの相手をすることでギンギツネは君にこう言うんだよ?“いつも悪いわね”って、今より間違いなく仲良くなれるよ?」

 

 なるほど彼女はどうやら思っていたより頭がいいらしい、自分がギンギツネさんに世話を焼かせていることもわかった上でダラダラしているし、そのことでギンギツネさんが彼女を見放すこともないという信頼もしている。

 それは一見ニートの謎の自信にも見えるが、彼女の場合ギンギツネさんの世話焼きな性格を理解した上で必要最低限の手伝いをし、存分にダラダラするというバランスを見極めているってことだと思う知らんけど。


 いいだろう、乗ってやるぜその取引。


「成立だね?ちなみにそのタオルはまだ返さなくていいよ… っていうか濡れたタオル渡されても迷惑だからちゃんと洗ってギンギツネ本人に返した方がいいよ」


 仰る通りです、汚したら洗濯して返すのは常識だ。


 とりあえず、この日は帰ることにした。




 翌日からはキタキツネさんの相手をする口実でゲームコーナーに入り浸った、タオルはきっちりいい匂いがする洗剤で洗い翌日返そうとしたのだが、先生キタキツネがまだ持っとけというのでまた持ち帰り丁寧に畳んだまま保管されている。


 そしてある日のことだ。


「いつも申し訳ないわ、あの子ワガママでしょう?迷惑してないかしら?」


 ギンギツネさんは先生キタキツネの思惑通り俺に気を使ってきた、先生ありがとうございます。


 全然平気です、自分格ゲー得意なんすよ?


 なんて少し得意げに言ってみる。


「ありがとう、あの子あんまり外でないから遊んでもらって嬉しいんだと思うの… 無理に相手しなくてもいいから、これからもよろしくね?」


 少し雑談などしてギンギツネさんの笑顔を補給した、仕事に疲れた心が潤うようだ。

 好感度はうなぎ登り、これは俺の妄想が現実になる日は近いのかもしれない。


 




「キタキツネ?最近、彼と仲が良いのね?」


「ゲームでボクと互角渡り合うなんて貴重な人材だからね、それなりに仲はいいよ?聞き上手だから話も途切れないし」


「そうね、彼って聞き上手…」







 それはある日突然だった。


「キレがない、どうかしたの?」


 俺の浮かない顔を見るなり先生は華麗に決め技をかましながら尋ねてきた。

 KO!じゃねぇよ… くそ調子でないな。


「ギンギツネとなんかあったね?そうでしょう?」


 図星と言えば図星、逆と言えば逆。


 なにもないのだ、少し前まで彼女の暇なタイミングで話し込んでみたりと仲良くしていたのだが、最近妙に冷たい気がする。

 話していてもすぐに仕事に戻ってしまうし、あまり笑わなくなったように見える。


 まぁ笑わなくなったというのは単に話す時間が減ってそう感じるだけかもしれないのだけど。


「なるほどね、いつも付き合ってもらってるしボクから聞いといてあげるよ」


 そうしてもらおう、温泉宿でゲームなんぞしているが俺の目的はゲームでも温泉でもない。


 ギンギツネさんなのだから。




 

「…で聞いてみたんだけどさ?」


 それからいつものようにレバーをガチャガチャやりながら話し込む俺達、先生は先日のギンギツネさんの件の調査報告をしてくる。


「最近ギンギツネも変なんだよね、掃除してたらバケツひっくり返したり洗濯物干し忘れたり… それで…」



 先生は彼女に尋ねたそうだ。


「ねぇギンギツネ?最近彼に冷たいね?」


「そ、そうかしら?」


「気にしてたよ、なんで?」


「なんでって… それは」


 あからさまに複雑そうな顔をしてたそうだ、得意の磁波とやらを感じる必要もないほどあからさまに。

 外堀を埋めるように先生は彼女を追い詰めていき、すると急にムキになり彼女は叫んだ。


「もう!いいでしょべつに!あんまり私が彼と仲良くしてたらお邪魔かなって思っただけよ!暇なら掃除手伝いなさいよ!」


 ポカンとしたそうだ、そして先生が珍しく唖然とする目の前で何もないとこで躓いた彼女は雑巾の入ったバケツをひっくり返したらしい。


「んもぉー!なんなのよぉ!」


 目にはやや涙を浮かべ床を拭く彼女を前に、先生はそろりそろりとその場を後にした。


 つまりこういうことだ、誤算にもギンギツネさんはなんと…。


「どうやらボクと君の仲を誤解してるみたいだね、ギンギツネってたまに思い込み激しいことあるから」


 そう、あまりキタキツネ先生の相手をし過ぎた為にギンギツネさんがついでみたいになっているのだ、これは死活問題に他ならない。

 俺が好きなのはギンギツネさんだ、これなら客として彼女に社交辞令的な挨拶をされていたあの頃の方がマシだった。

 いつかデートに誘おうと思っていたあの頃の方が。


 誤解されて離れていってしまうなんて悲しい、このままではいけない。


「ボクに考えがあるよ、今こそあの時返せなかった… ってねぇ帰るの?」


  KO!

 

  話ながらも相変わらず華麗なる手際で俺を倒す先生の話など聞かず俺は彼女の元へ走った。

 こっちは簡単にKOするわけにはいかない、まだ始まってすらいないのだから。


 多少無理矢理でいい、ちゃんと話を…。





 彼女は部屋の掃除をしていた、どこか寂しそうな背中が見えたのは気のせいかもしれないが、とにかく今の俺にはそう感じたのだからそうなんだ。

 

 あの… とその姿にこちらも恐る恐る声をかけた、彼女が振り向くとフワリと大きな尾が揺れ整った顔をこちらに向けた。


「あら、いらっしゃい… 来てたのね?」


 表情も暗いし素っ気ないが、これは数日前からで今に始まったことではない、俺は負けない。


 なにか誤解されていませんか?俺は彼女に対してそんな気持ちで相手をしていたのではない、そんなようなことをハッキリと伝えたつもりだ。


 飽くまで友人なんですよと。


 するとギンギツネさんのキツネ目がキッと睨むような目に変わり、グッとこちらに距離を詰めると睨んだまま彼女は言った。


「あの子を… 弄ぶようなことしないで!どういうつもりか知らないけどそういうつもりならもう関わらないで!」


 悪化した…。


 何が悪かったのだろうか?俺はギンギツネさんが好きなんだ。


 聞いてください!


 って言おうとしたんだけど。


「もう帰って!」


 聞いてくれそうもない、俺はそのまま彼女に背を向けて温泉宿を後にした。




 あれから数日経っただろうか、あんなに拗れた誤解のまま俺の恋が終わりを迎えるとは、流石に仕事にも身が入らないというものだ。

 

 この件で俺が得たものはなんだ?格ゲーの技術だけたろうが、まったく… キツネに摘ままれたなんて言うと少し差別的かもしれないがそんな気分だ。


 ふと目をやると前に借りたまま返さずにいたタオルが畳まれているのが目に入った。

 

 こんなに綺麗な畳み方したの初めてだ、まだいい匂いするし… 洗濯洗剤もあれから普通のしか使ってない。


 返さないと… ダメだよな。


 タオルに手を触れた時思った、このまま終わらせるのか?本当に誤解されたまでいいのか?って。


 よし…。


 紙とペンを取ると俺は人生で一番気持ちを込めて文字を綴っていった。






「ねぇギンギツネ?これ…」


「タオルじゃない、なんだかいい匂いね?」


「彼が返し忘れたからって、あとお願いね?ボクお昼寝するから、じゃあね?」


「え?ちょっと! …タオル一組くらい片付けてくれてもいいじゃないの、もう…  あら?これは?」



 


 大体、あれから1ヶ月ぶりだろうか?


 性懲りもなく俺が温泉を訪れる理由なんて決まってる、ギンギツネさんに会いたかったからだ。


 帰って!


 って言われてから初めての来訪だ、でも1ヶ月もあればお互い頭も冷えるだろうし話を聞いてもらえると思ったから来たんだ、“お返事”も聞きたい… 届いていればだが。


「あ…」


 入ると丁度そこにいた彼女が出迎えてくれた、当たり障りのない挨拶を交わし少し見つめあった。


「いらっしゃい… どうぞ」


 今日は手ぶらできた、あの時と一緒で財布しか持ってきてない。

 そんな俺を見て少し笑いながら彼女は言った。


「タオル… また忘れたの?ちょっと待ってて?」


 ほんの2~3分、入り口で待たされると彼女がタオルを一組持ってきてくれた。


「貸してあげる、特別よ?おっちょこちょいさん?」


 あの時と一緒、でも前より少し暗い笑顔の彼女、なにか気の利いたこと言いたかったけれど。


「返すの、今度でいいから… ごゆっくり」


 忙しいのかそのまま尻尾を揺らしながら奥へ消えていってしまった、俺も心を落ち着かせて大浴場へ。

 体の汚れと共に雑念を洗い流すつもりで長風呂した。




 風呂上がりにバスタオルを開くとヒラリと紙切れが一枚落ちてきた、丁寧に開くと小さくこんなことが書いてあったよ。





 “ だいすき ”




 

 理由が無くてはそこに行くことができない時、なにか理由を考えなくてはならない。


 でももう理由なんていらないんだ、そんなの無くたって俺はここにいられるから。


「お背中流しましょうか?」


 今はキツネ美人の嫁さんと一緒に温泉宿を経営してる、グータラな妹も着いてきたが些細なことだ。


 風呂上がりに嫁さんにお願いごとをした。


「お小遣いちょうだい?お願い!」


「もぉ!この前あげたばかりでしょ?何に使ったの!」


 今日は彼女との結婚記念日なんだ。

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