マナ mana【超自然的パワー】

なんて身軽なのだろう


走り出した車の助手席に乗りながら、私はつくづくとそう思った。

ここから一時間半程、田舎へ向かうと山のふもとに、私の母と青二(せいじ)くんの父親は暮らしていると言う。

それを聞いた時、案外近くにいたのね..とがく然としたが、いいもわるいも、それを受け入れるほか、なかった。


「古民家の空き家を購入して、自然農園で野菜を作ったり、米も少し出荷しているみたいなんだ。自給自足の生活に近いみたいなんだ。父は米を作っていて、おばさんは野菜を細々と育てているみたいだよ。ごめん、おばさんて、由季ちゃんのお母さんね。」と青二くんは明るい声で言った。


「そうだったの..」それしか、私の口からは出る言葉がなかった。全てが夢のようだと思った。


「大丈夫?少し休もうか?」青二くんは高速を運転しながら、そう聞いてきた。


「ううん。しんどいとか、そういうんじゃなくて、何か、夢を見ている感じにしか思えなくて。突然のことで。」私がそう言うと、青二くんは、


「ごめん、でも、こんな機会もうなかなかないと思ったんだ。僕はもう少ししたら、実家を出て、少し遠くで一人で暮らそうと思ってる。

僕は今、美術大学の大学院を出て、その大学で講師をしながら、自分の作品も作り続けているんだ。」と言った。私は驚いた。思わず、


「何それ..。」と言ってしまった。青二くんは


「母がもともと美大の教授をしてたんだ。母は油彩が専門だった。僕は母の血をひいていると思う。」と言った。私は、


「そう..。お父さんは安心ね。」と私は言った。


「青二くんはどんな作品を造っているの?」私が聞くと、青二くんはしばらく考えて


「鉄を火で溶かして形を造って組み立てた作品です。僕は、自然を形にしているつもりなんですが、結局この世の全てが元は自然なんです。だから、自然に還る瞬間をとらえたいんです。」と説明した。


私は、難し過ぎてしばらく無言で、窓の外の景色をぼんやり眺めてから、


「ごめんね、聞いといて何だけど、難し過ぎて、私にはわからないな。」そう答えて、とりあえずにこっと笑ってみた。その様子をみて青二くんは、


「由季さんて、大胆ですよね。たぶん。」と妙に言い当てた感のある口調で青二くんは言った。


「そうなのかも..」そう答えてから、やたらと眠気におそわれ、私は不覚に眠ってしまった。目覚める手前の意識に岸本さんが思い浮かんだ。


「あっ!」と言って、私は軽く飛び上がりそうになった。


「どうしたんですか?」青二くんが慌て気味に聞いてきた。


「あ..。ちょっとメールしてもいい?」青二くんを見てそう言った。


「どうぞ、どうぞ。」青二くんは落ち着いていた。


【岸本さん、こんにちは。お疲れさまです。ちょっと、かなりの急用で、今から母に会うことになりました。明日、戻ってから全て話しますので。急でごめんなさい。由季】メールを送信した。


なんて、間抜けなのだろうか。

岸本さんと付き合ってから、岸本さんの存在が完全に頭から消えたことはなかったのに。

そう思うと少しショックだった。


「彼氏ですか?」青二くんは臆せずそう聞いてきた。


「うん。そう。」私が言うと、青二くんは


「やっぱりな。由季さんは男がいるかなって会った時に思いました。」と、青二くんらしからぬことを言ってきた。


私は寝たふりをしたくなった。

「どうでもいいことじゃない?」と適当に返しておいた。


「もうすぐ着きますよ。」外を見ると高速をおりて、一般道に入っていた。


確かに田舎だった。


家に着いて車を降りると、青二くんのお父さんと母が出迎えてくれた。

18年ぶりに見る母は、一瞬他人のように感じたが、その目の輝きは今だ衰えを知らず、まぶしく美しい光を放っていた。

その輝きが母の全てを物語っているようで、母が今ここで生活していることに間違いはないと感じさせるものがあった。


たとえ、幼い私が「なぜ私じゃだめだったの、お父さんじゃだめだったの。」と言う言葉は母の足元にも及ばない雰囲気が、母からは流れ出ていた


私は昔の苦労も寂しさも全てが水に流れていくような心もちになり、母親に近づいた。


「元気だった?」私が聞くと母は、「こっちが聞きたいわよ。」そう言って微笑んだ。

なんて、美しいひとなのだろうと、自分の母親であることを忘れて見つめていた。


こんな純粋なひと、きらいになれるはずがない。

それが私の率直な気持ちだった。


「紅雪(こゆき)、寒いから中に入らないか。君たちもさあ、中に。」青二くんのお父さんは皆を家の中へ入れた。

2階建てのその建物の2階に、空き部屋がちょうど二間あり、青二くんと私に与えられていた。

1泊の滞在なのに、悪いなと少し感じた。


「疲れただろう。夕飯まで2階でゆっくりしてくれたらいいよ。」青二くんのお父さんはそう言って、その場を離れた。


母は台所でお茶をマグカップに入れていて、青二くんと私に持たせて

「ゆっくりしてね。」と言った。


私たちは、それぞれ与えられた部屋でお茶を飲んでいた。

私はすでに、とても満足し納得した気持ちでいて、清々しい気持ちになっていた。


夕飯は鶏鍋で、母の作る野菜が並んでいた。とてもあたたまったし、新鮮な野菜はおいしかった。最後にぞうすいも頂いた。


テレビはニュースが小声でかかっていた。

室内は充分に暖房が効いていた。


食後、お茶を飲みながら、ふと目の前の母を見ると、母は、何か錠剤の薬を二種類口に入れたところだった。


「お母さん、どこか調子悪い?」私は母の顔を見つめて聞いた。母は、


「3ヵ月ほど前からちょっと、病院に掛かっているの。

私には、あそこに柱時計が見えるの。その音も気になってしまって。」と、正面の何もない壁を指差した。


「お母さん..。」私が言葉を失うと、青二くんのお父さんが、


「大丈夫。今は様子を見ましょうと医者に言われているんだ。2週間に1度診察に私も同行しているから。」と微笑んだ。その横で、青二くんも私を安心させるようににっこり微笑んだ。


私は目のやり場に困り、下を向いた。ショックだった。

幻覚、幻聴を母が見聞きしているのかもしれないと思うと。


そんな私の心配をよそに、居間のテレビは歌番組に変わっていた。そうだ、今日はおおみそかだった。


「ちょっと2階で休んできます。」自由な雰囲気なので、私はひとりの空間を求めて、2階へ行った。

その部屋からは山が見えた。

触れているわけではないのに、空気が澄んでいるのが手に取るようにわかった。

見上げると、星がいくつか出ていた。

私は岸本さんに電話したくなった。でも、今日は日勤か夜勤か休みかわからなかった。

とりあえず、電話してみた。


「もしもし、小川さん?急なお出かけなんだね。メールみて驚いたよ。お母さんに何年かぶりに急に会って、小川さんの気持ちは大丈夫なの?俺、今日日勤だったからさ、今家なんだ。明日も元旦から日勤だよ。参ったな。」そう言って岸本さんは少し笑った。


「結構、田舎なの。岸本さんの声聴きたくなっちゃって、日勤だったから、良かったー。」私はそう言った。色々なことが胸のなかで渦を巻いているけど、言葉になりそうになかった。


それから私たちは、とりとめない話をし、電話を終えた。


私は、携帯をぽん、と放り出し、布団にうつ伏せになり、目を閉じていた。


部屋をノックする音がして

「青二だけど、ちょっといいかな?」部屋の外で声がした。


「うん、どうぞー。」私はドアを開けた。青二くんは片手にマグカップを持っていた。あぐらをかいて座り、

「気分は大丈夫?お母さんの様子を見てショックじゃないか心配で。」と言った。


「母が症状出始めたのって、ほんとに3ヵ月前から?」と私は思っていたことを青二くんに尋ねた。


「口に出したのは3ヵ月前らしいけど、もしかして、もう少し前から紅雪(こゆき)さんは見聞きしていたかもしれないって、おやじは言ってた。」青二くんはそう言った。そして、


「これ、俺の携帯番号とここの家の電話。良かったら、持っておいて。」とメモを差し出された。


「ありがとう。じゃあ、これ私の番号。」とメモに書いて青二くんに渡した。


「ありがとう。」青二くんはポケットにメモを入れた。

「明日は朝食とったら、ここを出よう。いきなり長居すると疲れるといけないから。」と青二くんは言った。


「そうね。」私は賛成した。

「私、疲れちゃったから、このまま寝ても大丈夫かな?」青二くんに聞くと

「全然、大丈夫だよ。おやすみ。」そう言って青二くんは立ち上がり、部屋をあとにした。


私は布団にくるまり、さっきの無垢な表情の母を思い出し、少し涙が出たが、そのまま眠りに落ちていった。


翌朝、私以外は皆早起きで、5時、6時と起きていた。私は遅れて下に行くと、私のぶんのお雑煮もテーブルに置かれていた。


「すみません。遅れてしまって。」ばたばたと私が席に着くと

「そんなに急がなくていいのよ。」と母が微笑んだ。

私はなんだか、夢を見ているようだと感じた。

母の作るお雑煮はおいしかった。


それを食べると青二くんが

「じゃあ、僕たちは車が混まないうちに戻るね」とお父さんと私の母に向かって言った。


3人で、青二くんの今後の引っ越し先などについて話していたが、私は、自分の身なりを整えるふりをして、そこには入らなかった。


そして、別れの時がやってきた。青二くんは車の窓を開けてまだ何か話していたが、私は前を向いていた。そして、車が動き出した瞬間だけおじぎをした。目を見ないようにした。

未練が、残ってしまわないように。

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